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第7話 ゴットフリート家の足枷

 宰相補佐官の面々は遅くまで仕事をしたが、上司の二の舞になってはいけないと必ず家に帰って寝ることだけはみんなで決めた。  子供のいるテットが先に帰り、まだ融通の利くミンテとレーシュが深夜手前まで残る。休んでいるビナーにも、ハニエルが倒れたことは手紙で伝えておいた。 「レーシュだって家庭があるのに。もう帰ったほうがいいんじゃない?」 「んーん、うちは個人主義だから。僕はなーんにも家でしてないしね」 「そっか、使用人とかいるんだよな。でも、旦那さんも落ち込んでるんじゃない? 実のお父さんが倒れたんだから」 「…………」  ミンテに指摘されて、レーシュは読んでいた資料からハッと顔を上げた。  これまで、レーシュがどれだけ忙しくなろうと「父が悪いな」と申し訳なさそうにしていたラツィエルである。今回の件も当然のように理解してくれるだろうと、まったく心配していなかった。  でもそれはレーシュ自身に関してのことだけだ。  家族想いのハニエルに育てられたラツィエルも、当然家族想いだ。王宮で働いているのだから父親のことを聞いていないはずがないし、心を痛めているに違いない。  落ち込んだラツィエルをレーシュが慰められるかどうかはまた別の話だけれど。 (そんなことより……。もし、ハニエル様になにかあったら)  実の父のように、病気で天寿を全うできない人は多くいる。不吉な想像などするものではないが、もし病気でハニエルが伯爵家当主として働けなくなってしまったら、ラツィエルの兄ザキフェルが代わりを務めるだろう。  ザキフェルはラツィエル曰くとても優秀な人間で、領地経営の手伝いですでに父譲りの有能さを見せていると聞く。それは安心材料といえる。  しかしザキフェルにはまだ子がない。レーシュの一つ歳上で、もともと婚約者だった幼馴染の女性と、レーシュたちが結婚する直前に先を越されまいと慌てて結婚したのだ。  だが結婚して十年経っているにもかかわらず子宝には恵まれず、最近は医者に相談したりしているらしい。  レーシュは義理の姉からこっそりと「私もザキフェルも、後継ぎが甥でも構わないと思ってるのよ」と教えられたことがある。レーシュはその時、なんと言っていいのか分からなかった。  つまり次期当主夫妻は、ラツィエルの息子に期待しているのだ。しかしどれだけ期待されてもレーシュはラツィエルと子が作れない。二人の間に肉体関係はないからだ。  もし当主交代なんてことになったら、ゴットフリート家は先行きの見えない不安に包まれるだろう。ザキフェルとラツィエルの兄弟が元気なうちはいい。でも、その後は? (ラツィエルの子供を生んでくれる人が必要だ) 「どうしたの? レーシュ」 「……いや、この年度まで調べ終えたら帰るよ」 「うん、早く帰って寝な。なんか顔色悪く見えるよ?」  屋敷に帰って短い睡眠を取り、重い体を引きずって食堂に向かう。食欲はないが、ラツィエルと会って話すことが必要だった。  ラツィエルはいつもと変わらない様子で座っている。レーシュが皿の上のチーズをつつき回している間に、白パンを四つも食べていた。  思い詰めたりしていないことに安心しつつも、危機感がなさそうなところには焦燥を覚える。  お互いに報告が必要なのは共通の認識で、ラツィエルはレーシュと目が合うと口を開いた。 「レーシュ、昨晩は遅くに帰ってきたらしいな。父のことは聞いた。領地にいる兄にも報告したが、医官が言うには昨日は熱を出したらしいけどよく寝てたらしい。まあ数日で元気になるだろ。王都邸には母がいるから、そっちに今日移動させる」 「うん……そっか」 「お前がすぐ見つけてくれたって? ありがとな。あの人すぐ仕事しか見えなくなるんだよ、もういい歳だってのに……。レーシュたちも今忙しいんだろ。大丈夫か?」 「ねぇ、ラツィエル」 「ん?」  人はいつ死ぬかわからないというのに、やっぱりラツィエルには危機感が足りない。  レーシュは純真な翠の目を見つめ返しながら、酷な未来を伝える。なぜか息が苦しくなった。 「君は女性と結婚したほうがいい。もしくは、愛せる男性と」 「はぁ?」 「子供を作れって言ってるんだ。お父様に何があるかわからないだろう。お兄様にも嫡子はまだいないし……不安なんだよ」 「考えすぎだレーシュ。父は大したことないって言われてるし、兄たちだってそのうち……」  レーシュが言葉を紡ぐたびに、ラツィエルの眉間に深い皺が寄っていく。それでも、レーシュの不安に対し穏やかな声が返ってくる。  自分の想いが伝わらないことに、苛立ちが募った。 「でも! 僕の父だってずっと元気だと思ってたんだ。お父様も早く安心させてあげたほうがいい。だからラツィエルもいい人と子作りを……」 「やめろ! もし父に何かあったとしても、隣にいて支えてくれるのはお前じゃないのか。恋情はなくたって、この十年でそれっぽっちの愛情も芽生えてないってのか?」 「だから、僕は君のためを想って言ってるんだ!!」 「そんなこと、頼んでねぇ!!」  ラツィエルは椅子を倒す勢いで立ち上がり、荒々しい足取りで食堂を出ていった。彼が怒るところはこれまで何度も見てきたけど、今回は種類が違う。  真っ赤な顔をして、苦しそうな表情だった。  理解を得られなかったレーシュもついカッとなってしまったが、一人残されて、胸には重苦しさだけが残った。  喧嘩したかったんじゃない。でも、ラツィエルが素直に頷くと、本当に自分は思っていたのだろうか?  ラツィエルはレーシュに「支えてほしい」と言ったように聞こえた。レーシュは結局、彼に配慮したつもりで彼の考えを全く理解できていなかったのだ。 (……ほんと、この十年なにしてたんだろ)  レーシュは誰も悲しませたくないから言ったつもりのに、何も上手くいかない。    昔から他人のことなんてどうでも良かったから、対人スキルは驚くほど低い。学園を卒業し働き始めて、少しはマシになったと思っていたけれど、それは勘違いだったみたいだ。  家族になった人さえ大切にできないことに、自己嫌悪でいっぱいだった。 「奥様……。もういつもの時間ですが、食事はどうされますか」  ラツィエルについているはずだった家令のダアトが戻ってきている。おおかた、自分の様子を見てくるように指示されたのだろう。  そんな冷静さも今は癇に障り、レーシュは立ち上がった。ほとんど食べていないため心配そうな目を向けられたが、首を振って歩き出す。  この屋敷で働く使用人たちは先ほどの会話を聞くまでもなく、ラツィエルとレーシュの本当の関係も知っているだろう。妻としての務めをまったく果たしていないレーシュに仕えさせている事実に、また胸が苦しくなった。 (僕はゴットフリート家の足枷でしかない……)  昨晩は疲れて、一日くらい問題ないはずだと髪まで洗わなかったため、今朝は爆発せずに済んでいる。昔使っていた革紐で適当に髪を首の後ろで括り、眼鏡をかけた。  その夜仕事を終えて屋敷に帰ると、実家から手紙が来ていると使用人に渡された。珍しいことだ。  実家の領地にはレーシュの母と長兄家族が住んでいる。姉は子爵家へ嫁に行き、もう一人の兄は大恋愛の末使用人だった男性と結婚して領地を出ているため、しばらく会っていない。  年に一度は母に顔を見せてと言われるので、そのお願いかなと呑気に考えながら手紙を開封すると、中身は兄の文字だった。 「えっ、また子供が?」  兄夫妻に五人目の子供が生まれるらしい。いいニュースだけれど、レーシュはええっと声を上げてしまった。本題は、レーシュに領地経営を手伝って欲しいという内容だったのである。  男爵家のなかでは比較的大きな領地を持っている実家は、収入がないわけでもないのに質素な屋敷で暮らし、人件費を削って自分たちで大部分の運営を行っている。  それに加え、乳母はいるものの兄も義姉も子供の成長を見逃したくないらしく、しばらく――可能ならずっと――仕事を手伝ってくれないかとレーシュに依頼してきたのだ。  実は、結婚するときに「お互いの利益を目的とした契約結婚みたいなものだ」とレーシュは自分の兄にだけ話してある。お互いがそれでいいのならと黙認してくれたが、もう三十なのだからしっかりしろと言いたいのかもしれない。 「うそ、そこまで……?」  案の定手紙の最後の方に、いいお見合い相手を用意するとまで書かれていた。  レーシュはどっと疲れた心地がしてソファにぽすんと座った。柔らかなクッションが体重を難なく受け止めてくれる。 (お見合い相手か……)    宰相補佐という立場で得た経験も、領地経営になら活かすことができるだろう。レーシュは今なら実家の収入を増やす方策がいくつも浮かんでくるし、実際それを見込んで兄は連絡してきているに違いない。  レーシュも離縁を考えている今、見計らったかのようなタイミングだ。いい話だとは思う。領地経営にも興味はある。  ……だけど今は、宰相補佐としての仕事のことで頭がいっぱいいっぱいだった。ハニエルのことも心配だし、任せられた仕事は全うしたい。  喉は相変わらず痛いし、昨日もあまり寝ていないせいで複数のことを同時に考える余裕がない。  お見合いだなんて、もっと考えられないのだ。

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