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第8話 おやおや、お熱いねぇ

 もうラツィエルと喧嘩をしたくなくて、レーシュは朝食も食べずに馬車に乗り込んだ。  ずっと胸の辺りがむかむかとして気分が悪く、喉の痛みも悪化しているせいで食欲は全くない。  持たせてもらっているランチも残してしまったことから、昨晩は気を利かせた使用人がスープを用意してくれ、今朝も食堂に来なかったレーシュのために部屋に果実水が届けられた。だから辛うじて栄養は取れている、はずだ。  王宮に着いてからも、レーシュは妙に注目を浴びていた。使用人と同じようにぎょっと目を丸くする人が何人かいたが、いつもより早い時間に来たため遭遇した人はそれほど多くなかった。  一番乗りで宰相補佐室に入り、さっそく仕事を開始する。隣国との取引内容には不審な点がいくつか見つかり、調べれば調べるほど謎に包まれる状況に陥っていた。  一見おかしくないのに、よく見ると変な数字や流れがある。けれどそれ以上の情報はなかなか出てこず、気になる点の羅列だけがどんどんと増えていた。  なにせ極秘調査なので、人員が明らかに足りない。いつまでにという明確な期限はなく、上司不在で指示や確認をしてくれる人もいないおかげで、常にプレッシャーだけがのしかかっている。  無理はしてほしくないけど、せめてビナーが戻ってこれば……と考えていたとき、ミンテが出仕してきた。 「あれ、早いじゃん……って、なにその髪! レーシュどうした!?」 「ん?」  珍しくミンテが叫ぶ勢いで驚いたから、レーシュは首を傾げた。大きな声は重い頭に響くからちょっとやめてほしい。直後にテットも現れ、「パーマ失敗したの!?」と叫ぶ。  両手で耳を押さえようとしたレーシュは自分の髪に触れてようやく理由に気づき、「ああ」と頷いた。 「昨日乾かさずに寝ちゃって」 「それだけでここまで別人になる!? もったいないなんてもんじゃないな」 「鳥の巣みたいになってるよ。今からでも直してきたら?」  髪の毛が爆発しているからって、だからなんだというのだろうか。誰にも迷惑をかけていないし、自分は気にしないのに。  二人ともラツィエルと同じことを言うのかと、レーシュは余裕のない気持ちのまま苛々した。 「僕は気にしないからっ。ほら、仕事しないの?」  二人を無視して仕事を再開すると、しぶしぶといった様子で二人とも座席につく。レーシュの苛立ちに気づいているのか、室内の空気はピリついている。はぁ、と聞こえた大きなため息は、自分のものか誰かのものかもわからない。  髪のことはレーシュだって今朝、ひとりでなんとかしようとチャレンジしてみたのだ。しかしどうやっても櫛が入らず、無理に引っ張ると髪が抜けて泣きそうなほど痛かった。  こんな厄介な髪がツルツルさらさらしっとりとまとまるなんて、ラツィエルはいつもどんな魔法を使っているのか。わからず屋のくせに、手先だけは器用なんだから解せない。  ◇  そんな風にして数日が過ぎていた。  ラツィエルとは喧嘩してから一度も顔を合わせていない。避けているなんて子供みたいだと思われそうで癪だが、単に口論する気力もなかったのでまぁいいかと投げやりになったままだ。  ビナーも戻ってきてなんとかひと通りの一次調査が終わり、テットはまとめた資料を持って国王陛下へ報告に行った。  残った三人は久しぶりにほっとひと息吐くことができている。 「レーシュ、今日はもう帰って休んだら? 全然ご飯も食べてないでしょ」 「んー……」 「私が休んでたせいで負担かけちゃったわね。ぜひとも休んで、その髪もどうにかしてきてちょうだい!」  レーシュはデスクに突っ伏して目を閉じている。最近は疲れて眠いのに、激務に頭が興奮しているのかなかなか寝つけない。動けないことはないけれど、あちこちに不調が出てだるかった。  確かに、休めるなら帰ってしまおうか。考えるべきことは他にもあったはずだし…… 「レーシュ! ハニエル様に報告してきていいってさ!」  珍しく息を切らしたテットが、宰相補佐室の扉を開けながら声を上げた。国王陛下への報告から戻ってきた彼は顔を綻ばせ、「ハニエル様の調子は良くなってきているらしい」と話す。  直接宰相へ報告して、指示を仰いでくるようにとのことだった。  あれ以来様子が分からずみんな気をもんでいたので、これは朗報だ。ハニエルの屋敷へ行くなら、家族であるレーシュが適任だろうとテットは言う。 「あ、でも体調は大丈夫?」 「うん、大丈夫」  ハニエルが倒れたのを見てから、レーシュはずっと心配だった。もしこのまま会えなくなってしまったら、という悪い想像ばかりが膨らみ、心労も重なっている。  これは部下としての、あるいは義理の息子としての甘えなのかもしれないが、ハニエルの元気そうな様子を見ればレーシュも元気になれるような気がした。  慌ててみんなで資料をもう一部書き写し、レーシュは王宮を出た。可能なら日没までに戻ってくるつもりだ。  ハニエルからの指示があればみんなに伝えなければいけないし、滞っていた他の業務もある。やっぱり自分だけが早退するのは気が引ける、と思ってしまうほどにはレーシュも仕事人間だった。  王宮の周りで待機している馬車を捕まえ、ゴットフリート伯爵家の王都邸に向かう。  家族のつながりを大事にしているハニエルは、収穫祭など季節の折々に息子たちとその家族を呼んでくれる。だから王都邸は、レーシュにとっても馴染み深い場所だ。  先触れは出しておいたので、玄関先で使用人が出迎えてくれる。レーシュの姿を見てぴくりと一瞬彼の動きが止まったが、すぐに中へ案内してくれた。  一旦応接間に案内されて少し待っていると、また使用人が呼びにきて主寝室へと案内される。レーシュならとそこまで許してくれるのだろうが、プライベートな空間へ足を踏み入れるのはさすがに緊張した。 「レーシュ、よく来たね~」 「ハニエル様……! お加減はいかがですか」 「もう万全なんだよぉ。寝過ぎておかしくなりそうなのに、王宮の医官が外出を許してくれないんだ……」 「まだ休息が必要ということですよ。ゆっくり休んでください」  ハニエルはベッドで体を起こして座っている。顔色の良さそうな様子に、レーシュはようやく心の凝った部分がほどけていくのを感じた。  いつもの喋り方も安心する。ほっとして、つい目の奥が熱くなってしまった。なんだか感情の浮き沈みが激しい。  レーシュは誤魔化すようにガサゴソと鞄を漁り、自分の持ってきた書類を出した。ハニエルは早速書類に目を通し、レーシュも口頭で内容を補足する。  報告を終えると、ハニエルは早速ベッドの上にミニテーブルを設置させ手紙をしたため始めた。 「この短期間でよくここまで調べたねぇ。ふむ……今度は騎士団の協力が必要か」  独り言のように呟かれた言葉にレーシュたちも同意見だった。机上で調べられる内容には限界があり、直接出向いて話を聞きたくなることが多々あった。  輸入に携わる地方領主や麻薬を取り扱っている可能性のある王都内外の商店を調査するには、国の防衛の要である騎士たちの協力が必須だろう。 「――それで? レーシュはどうしたんだい?」 「え?」  一区切りついたのか、いつの間にか深緑の瞳がレーシュの顔をひたと見つめていた。  何に対しての「どうした」なのかわからず、ハニエルの前で馬鹿みたいにポカンとしてしまう。 「顔色が悪く見えるよ。まずは座りなさい。お茶にしよう」  そう言って、ハニエルが使用人に椅子を持ってくるよう指示したときだった。  バーン! と遠慮なく主寝室の扉を開け、ズカズカと入ってくる人がいる。 「おいレーシュ!!」 「っへ!?」  大声で名前を呼び肩で風を切って歩いてきたのは、王宮で仕事をしているはずのラツィエルだった。素っ頓狂な声を上げたレーシュの視界に、白い騎士服が眩しい光のように入り込んでくる。  両肩に大きな手が置かれ、簡単には外れない強さで掴まれる。そのまま体を屈めたラツィエルは、ジ……とレーシュの顔を覗き込んだ。 「無遠慮な息子だねぇ」 「……まじか。ここまでひどい顔は見たことがない」 「髪じゃなくて?」 「髪はいつものことだ」  ハニエルとラツィエルの会話である。ラツィエルの視線はレーシュに突き刺さっているのに、レーシュもどこか他人事のように会話を聞いていた。 「帰るぞ」 「はぁ、お父様を労ってくれないのかい」 「レーシュより元気そうなやつが何言ってる」  ラツィエルがレーシュの腰に手を添え、エスコートするみたいに部屋の外へと促す。相変わらず会話は父子間で行われていたが、続く言葉にレーシュはぎょっとした。 「ま、そうだね。レーシュ、手紙は王宮に届けさせておくから明日は休みなさい」 「足りねーだろ。二、三日休ませるからな」 「え……ハニエル様!? ――ちょっとラツィエル、引っ張らないでよ!」  騎士に抵抗する力なんて元々ない上、今のレーシュは思っているほど力が入らない。  ラツィエルに引っ張られてたたらを踏み、そのまま踏ん張れずに転びかけた。  ――その瞬間、ふわっと体が浮く。 「ぅわぁ!?」 「おやおや、お熱いねぇ」  重力を失った感覚に驚いて、ラツィエルの首にぎゅっと抱きついてしまった。ぴくりと束の間動きを止めたラツィエルは、その後何事もなかったかのように歩き出す。  レーシュは外に待機していた馬車に乗せられるまで、横抱きにして運ばれるという大変不名誉な経験をした。義理の母までもが見送りに来て手を振っていたことは、記憶から抹消させてもらえないだろうか。

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