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第10話 色々な愛の形
「はぁ? 旦那さんが優しすぎるって……おれは、いったい何を聞かせられてるわけ?」
あれから二日休んで――もう一日休めというラツィエルと押し問答の末――レーシュは職場に復帰した。
睡眠不足と栄養不足もあったのだろうが、ラツィエルがレーシュの心を軽くしてくれたことがきっかけで元気になったような気もする。ちょっと最近様子のおかしい旦那様の功績だ。
「いや、どう考えてもおかしいんだよ。僕に優しくしたって意味なくない?」
「伴侶を愛してるから以外に理由って必要? おれにはレーシュの思考回路がわかんねー……」
いや、愛してるという前提がそもそも間違ってるんだってば。と、心のなかでミンテに反論してレーシュはコーヒーカップを傾けた。
職場復帰してすぐの休息日だ。レーシュはミンテを誘って、王都で近ごろ流行っているコーヒーハウスにやってきている。
コーヒーハウスといっても貴族向けの高級店から庶民向けの店まであり、ランクは中間くらいの店にした。テラス席がメインで雑多な印象がありつつも、提供しているコーヒーの種類が多いのだ。
コーヒーが好きなラツィエルに影響されてレーシュもたまには飲んでみるかと思ったのだけれど、結局ミルクと砂糖がたっぷりでクリームまで乗ったスペシャルドリンクを頼んでしまった。
美味しいけど、「それはコーヒーじゃない」とかラツィエルに思いっきり否定されそうだな……とレーシュはしかめっ面を想像しながら、唇の上についたクリームをぺろりと舐める。
髪はラツィエルにきっちりと結ってもらい帽子を被り、服も地味な色合いのものを選んでもらった、というか勝手に選ばれてしまった。
伊達眼鏡越しに馬車通りを眺めると、久しぶりにすっきり晴れているからか人通りはとても多い。「それで!」と話しかけられて、レーシュは視線をミンテに戻した。短いミントグリーンの髪が風にふわふわと揺れている。
「ハニエル様、元気だって? 旦那さんから詳しく聞いてるんでしょ」
「ああ、うん。明日にも復帰されるらしい」
「よかったぁ……! レーシュまで倒れちゃうし、やっぱり監督する人がいないとね」
その節はご迷惑を、とレーシュは頭を下げる。一つに結ったプラチナホワイトの髪がさらりと肩から落ち、目撃した隣テーブルの男性がコーヒーを服にこぼして「わちゃ!」と声を上げた。
先日会ったときもハニエルは元気そうに見えたし、医官からの快癒宣言があるまでは妻がハニエルをベッドから出さなかったという。なんだか自分とラツィエルの攻防のようだ。
「でもミンテがみんなのこと引っ張ってくれたじゃない。次期宰相になっちゃうかもね?」
「いやおれ平民だよ? 義理とはいえ息子のレーシュが適任でしょ」
「平民とか関係なくハニエル様は指名しそうだけどね。僕はもう離縁するつもりだしさぁ……」
「っはぁあ!?!?」
うっかり口を滑らせたレーシュの発言に、ミンテはチョコレート色の目を驚愕に見開いた。そこで「はた」と、レーシュも気づく。レーシュとラツィエルが普通の夫婦だと思っている人にできる説明を用意していなかったのだ。
眉根を寄せ、ふむ……と思案するレーシュを見てどう思ったのか、ミンテはぐっと身を乗り出してきた。
「なにかあったの? ……冷めちゃったとか?」
「いや、そういうわけじゃ……。ただ、なんだろう。ずっと僕に縛りつけておくのも悪いなって思って」
心配そうに眉を下げ相談に乗る姿勢のミンテだったが、レーシュの言葉を聞くうち呆れ顔になっていき、鋭く突っ込みが返ってくる。
「いやいやいや、聞いてる感じ絶対悪くないでしょ喜んでるでしょ」
「そんなことない!」
「ええー、なんでそこだけ断言できるの……? ていうかさ、別れたらどうなるかわかってんの? レーシュ、普通の生活できなくなると思うけど」
普通の生活ができなくなる? レーシュは意味がわからず首を傾げる。間抜けにもきょとんとしている顔を見て、ミンテは大きなため息を吐いた。
「結婚生活が平和で忘れてるのかもしれないけど、独り身になったらレーシュと結婚したい男女がわんさか寄ってくるってこと。もしかしたら男だけかもしんないけどさ」
「ないない、それはない。だってもう僕、三十歳だよ? おじさんじゃん」
「…………」
残念な子を見る目で歳下のミンテに見つめられて、レーシュはいたたまれず目を逸らす。なんだよ、悪いのはこっちなの?
――それから懇々 と理由を説明されて、「すみませんでした」とミンテに向かって謝るまで、レーシュはコーヒーハウスの椅子に尻を貼り付ける羽目になったのだった。
その夜レーシュはひとり自室で湯浴みをしながら、ミンテとの会話を思い出していた。「人の魅力に、年齢なんて関係ある?」と彼は訊いた。そう言われると、レーシュも首を左右に振ることしかできない。
別にみんながみんな、子が欲しくて結婚するのではない。好きになった人と一緒になりたいだけの人もいるし、逆に好きじゃなくても魅力的な人をそばに置いておきたいだけの人もいる。
切なげに話すミンテを見て、ようやくレーシュは、学生時代に妻子のいる教師から抱かせてほしいと迫られたことを思い出す。ラツィエルと出会うきっかけになった事件だ。
レーシュは興味がなくて聞き逃していたが、ミンテ曰く愛人を囲う貴族の噂は王宮でも絶えず囁かれているという。知らなかっただけで、世の中にはそんな輩が多くいるらしい。
彼らの矛先がレーシュにも向かう可能性があると言われて、ちょっと鳥肌が立った。あんな経験、もう二度としたくない。
ミンテは「ここだけの話だけど」と前置きして、レーシュにあることを教えてくれた。
驚いたことに、ミンテは王都で働く第二騎士団の男性とお付き合いしているというのだ。しかも年齢はレーシュよりも上で、ミンテと十歳ほど離れているらしい。
彼は貴族の生まれだが結婚しておらず、今後も結婚するつもりはない。嫡子ではないため比較的自由にさせてもらっているようだが、貴族のしがらみに平民のミンテを巻き込まないようにするため、こっそりとお付き合いを続けているという。
「おれ達は結婚しないし子供もいらない。それでもおれは、彼と添い遂げようと思ってる」
恋人について話すミンテの声は深い愛情に満ちて、焦げ茶色の瞳には強い意志が宿っていた。かつて見たことのない同僚の表情を、レーシュはとびきりかっこよくて美しいと思った。
こんな人もいるんだから、あり得ないって頭から否定しないように。――と、ミンテは冗談っぽく笑っていたけれど。
レーシュは湿気のこもったバスルームで「はあ」と悩ましいため息をこぼし、深く反省した。同時に天井から冷たい水滴がピチョンと顔に落ちてきて「うっ」と顔を歪める。
自分のことしか考えていないのはレーシュの悪い癖だ。この前だってラツィエルに怒られたばかりだし。
ミンテは大切な秘密を打ち明けてくれた。それは同僚としてというより、友人としてレーシュを信頼してくれているからだろう。
世の中には色々な人がいて、色々な愛の形があるということを、もっときちんと理解しなければならない。
両親と長兄を説得し使用人だった男性と結婚した二番目の兄のように、愛する人と結婚できるだけで奇跡のような幸運なのだ。
レーシュの親はのんびりした下級貴族だからよかったけれど、ミンテのお相手はそうじゃないに違いない。
そもそも貴族で離縁する例なんて、よっぽどの理由がない限り存在しない。レーシュはあまり気にしていなかったけれど、簡単に人前で言わない方がいいことのような気がした。
別れるとしても、そっと。ラツィエルに変な噂が立ったら可哀想だ。
もうちょっとラツィエルの考えや気持ちについても、レーシュは考えてみないといけない。どうして最近様子がおかしいのか? とか……
離縁しようと提案した手前、簡単に撤回するのも違う気がする。ラツィエルは他の人と結婚するなんて望んでいないと言うけれど、レーシュと形だけの関係のまま適齢期を逃していいのだろうか?
レーシュが普通の生活を送れなくなるとミンテが脅してきたことだけは、大げさだと思うのだけど。
学生の頃みたいな感じになる可能性があると思われているらしいが、そこまでにはならないと思う。やっぱり年齢も年齢だし、ラツィエル曰く“クソダサい”自分なので。
(今日は髪くらい、ちゃんと乾かすか)
ラツィエルの部屋で目覚めた朝は、ラツィエルがじっと見つめる目の前ですごく久しぶりに使用人に髪を拭いてもらった。
タオルで髪を挟んでぽんぽん、ポンポン、気が遠くなるような丁寧さだったが、「こんな感じで乾かすのだったか……」と思い出せたのでいい経験だったと思う。
ザパ! と湯船から立ち上がる。バスローブを身につけて浴室を出たレーシュは、ふかふかのタオルを手に決意に満ちた目を鏡に映していた。
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