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第14話 全部覚えている
翌朝レーシュは酷い二日酔いに悩まされたが、幸いにして記憶は手放していなかった。
おかげで自分がたった一杯のエールで酔いどれになったことや、馬鹿みたいにラツィエルに絡んだこと、なぜか自分からキスを仕掛けて濃厚な口づけを返されたこと……までもをしっかりと覚えている。
最悪だ。恥ずかしくてラツィエルに顔向けできない。とはいえ朝食をすっぽかすわけにもいかず、レーシュは粛々と食堂へ向かった。
「顔色が悪いな。二日酔いか?」
「う、うん。昨日は、迷惑かけてごめん……」
「このオニオンスープ、二日酔いにも効くらしいから飲め。別に怒ってないから……しばらく酒は飲むなよ。しっかり覚えてんのか?」
「えーっと……すごく断片的に……」
レーシュは嘘をついた。だってあんなことをしたのに、ラツィエルは平然とした顔をしているから。なかったことにしたいのだろうか? まあそうだよな。
昼間組も既に調査を終えているので、今日はミンテと報告書を作ってから次の作戦会議だ。いよいよ、例のサロンに乗り込むことになるはず。
だからラツィエルと気まずくなっている暇なんてない。レーシュも謝ったし、怒ってないと言われたのだから良しとしよう。
「今日は清々しいくらいに広がってるな」
「う。染め粉だけは落としたくて、それだけで力尽きた……」
「あー。あれは俺も匂いが気に食わなかった。急遽用意させたからな……」
完璧にとは言えないものの、最近は寝る前にちょっとだけ自分で髪を乾かすようになったので、髪の状態も以前よりマシだったのだけれど。
次のためにもっと高級なものを用意させておくか、とぶつぶつ思案しながら髪を梳るラツィエルの前で、レーシュは頬に熱が上ってくるのを両手で隠していた。
レーシュほど匂いに敏感ではないラツィエルが敢えて気に食わなかったと言う理由。それは昨晩、いつもより急接近してばかりだったからだ。
レーシュはラツィエルの爽やかなライラックの香りや珍しく漂う酒の香りを感じていたが、彼は染め粉の匂いを気にしていたに違いない。特に、馬車での濃厚なキスのあいだとか……
(う、わー! 思い出しちゃ駄目だ。唇を甘く噛まれた感覚とか、舌が口の中を暴いていく感覚とか……)
そのとき、髪を纏めようとしたラツィエルの指先がレーシュの耳の裏を掠めた。
「っひゃあ……!?」
「どうしたんだ? なにか驚かせたか?」
「い、いや、大丈夫……」
最近様子がおかしかったのはラツィエルなのに、今度は自分がおかしい。
いったいどうしてしまったんだろう。離縁しようと提案してから、この十年にはなかったイレギュラーな出来事ばかりが起きているから?
昨日レーシュが変なことをしてしまったせいでもう愛想を尽かされてしまったかと考えたが、相も変わらず髪に触れる手つきは優しい。
ラツィエルが髪を結ぶのに使っているリボンが翠色のベルベットであることに気づき、思わず「あ」と声を出してしまう。
「なんだ?」
「な、なんでもない……」
これまでだってラツィエルの瞳や髪の色をしたリボンの使用頻度は多かった気がする。にもかかわらず、今日レーシュはその事実にほっとしてしまった。少なくとも、嫌われていないことがわかるから。
出仕すると、ミンテは本に顔を突っ伏して眠っていた。珍しいこともあるものだ。
「おはよう。昨日の夜はそんなに疲れた?」
「……えっ!? そ、そんなわけないじゃん!」
「??」
なぜか顔を赤くして挙動不審になったミンテに、首を傾げる。こっちはこっちで大変だったけれど、ミンテの方も言えないような何かがあったのだろうか。
また妙なことを思い出しそうになって、レーシュは誤魔化すようにスリに遭ったことを事細かに話した。
「はぇー……さすが騎士様だね。ラツィエルさんは第一のなかでも有望だって、ジュノンさんが言ってたよ」
「へぇ、そうなんだ。気にしたこともなかった」
「いやそこは気にしてあげようよ……。てかあの辺も治安悪くなってきてるな。今回の事件に関係あるかもしれない」
ミンテがそう言うのならそうなのだろう。仕事が始まると、通常義務の合間に報告書を仕上げていく。
会話は全てラツィエルに任せてしまったが、当然レーシュも聞き漏らしはしないようにしていた。だから娼妓の女性との会話も、いま思い返すと大変な邪魔をしていたことに気づきレーシュは頭を抱えた。
(なんなの、僕……ひどすぎない!?)
昨晩のレーシュの心理は自分でも説明がつかない。これまで外に出ての仕事も、夜の街に出ることもなかったから必要以上にわくわくしていたのだ。
ナンパされてもラツィエルが守ってくれて、奥さんだと言われて。それがなぜだか嬉しくて楽しくなって、ラツィエルの意識が他の人へ向くのが許せなかった。
経験したことのない心の動きに、戸惑いを隠せない。実際レーシュは何度も頭を抱えてウンウン唸り、同僚たちに「どうしたの? 思い出せないことでもあった?」と心配される羽目になったのだった。
全部覚えているからこそ、こうして悩んでいるのである。
「見慣れない、羽振りのいい客か。イェツィラー人の可能性が高そうだね。こっちも似たような証言があったよ。ここ数ヶ月、宝飾店で小さくても価値の高い宝石をよく買っていく人がいるって」
「持ち運びには現金よりいいだろうな……通貨も違うんだったっけ?」
レーシュがミンテに問うと、彼は「違う」と答える。となれば、麻薬をこの国に持ち込んでどこぞの貴族か仲介者に売った隣国人の行動が見えてきた。
儲けた金で娼婦を買って遊び、持ち帰る分は宝石に代えて自国に戻ってから換金する。未だ想像でしかないが、犯人逮捕の足がかりになるならどんなことも見逃したくはない。
「目的は……金だったってことか?」
二人の会話を聞いていたテットが眉間に指の関節を当てながら口を挟む。「この国を陥れようとする策略だろう」と言ったハニエルの推測からずれていると思ったのだろう。
「アツィルト王国を陥れたい人物が、金が必要な人を使って行動を起こしているんじゃないかな。いざとなったとき、尻尾を切るために」
「ご明察。きっと大元はイェツィラーの国王か、それに近い王族だろう」
「ハニエル様!」
宰相補佐室に入ってきたハニエルは、四人を手招きした。いつの間にか、宰相室には集められた騎士たちもいる。
ハニエルは王宮内にいるかもしれない犯人関係者に悟られないようにするため、きっちりと日程は決めずにこうしてさり気なく仲間を集合させているようだ。
一気に集まることがないよう時間差にしているらしく、最後に宰相室へ入ってきたのはラツィエルだった。真っ先に目が合い、レーシュはなぜか視線を逸らしてしまう。今朝だって普通に話したのに。
扉に鍵をかけたことを確認してから、ハニエルは調査結果を補佐たちに報告させた。ときおり同行した騎士が気づいたことを述べ、八人分の目と耳があればここまで集まるのかと驚くほど詳細な調査になったことを実感する。
やはり変化があったのはここ数ヶ月。羽振りの良い客と、人気になった店や潰れた店。賭博をやっているサロンは数か所あるようなので、麻薬入りの葉巻が売買されているのはハニエルの教えてくれたサロンだけではないかもしれない、と結論づけた。
「葉巻を吸っている人は見かけた? 様子はどうだったかな」
「コーヒーハウスで、貴族の男性が嗜んでいるのを見かけたわ。おかしなところはなかったと思うのだけれど」
ハニエルの質問に、ビナーが宙を見つめて記憶を辿りながら話す。次にラツィエルが夜の様子を答えたが、レーシュは視線でそれを制して香りの記憶を報告した。
「夜はサロンに集まるのか、意外と見かけなかったな……レーシュ?」
「貴族しかいないような静かな酒場を通りかかったときに、葉巻独特の匂いがしました。暗くて中までは見えなかったですが……」
レーシュの言葉に、ハニエルは「レーシュは鼻がいいんだね」と驚きつつ褒めるように眉を上げた。どうやらその麻薬は独特の青臭さと甘い匂いを持つらしい。香りを言葉で表現されてもいまいちイメージできないのだが、頭の中でメモしておく。
「例の中毒になった貴族はメルカバ子爵家の次男だった。秘密裏に聴取したところ、そもそも自分が麻薬を吸ったという自覚がないようだ。サロンの中での記憶がかなり曖昧になっているらしい」
ハニエル曰く、麻薬に記憶障害を引き起こす作用があるのではないかということだった。もしそうなら、犯人にとっては都合が良いだろう。
「次はいよいよサロンの調査に進んでもらうが、内部の様子がほとんど掴めていないのが現状だ。くれぐれも慎重に、先走った行動はしないようにね」
みんながしっかり頷いたのを見遣って、ハニエルは目星をつけた貴族を伝えてくれた。やはり宰相ともなると独自の情報網で調査を進めているらしい。
「ちなみに、私が怪しいと考えているのはセーデル侯爵家とヴァリエ伯爵家だ」
「「セーデル侯爵家……!?」」
複数名の声が宰相室に響いた。
レーシュはショックでふらと一歩後ずさってしまい、ちょうど真後ろにいた騎士に肩を支えられる。肩に置かれた手に手を軽く重ね、振り返って「すみません」と小さく謝ると、壮年の騎士は照れくさそうに後ろ首をさすった。
アツィルト王国には現在、侯爵家が四つしかない。したがってそれぞれ重要な位置に領地を持ち、国の政務にも深く関わっている。
だからこそ、麻薬を蔓延させようとするほどの反意を持っている可能性があると知り、愕然としてしまう。もしセーデル侯爵本人が犯人として捕まったら、国の威信を揺るがすほどの大事件だ。
願わくば勘違いであってほしい。しかし隣国と手を組むくらいなのだから、操り糸を持っているのは並大抵の貴族ではなさそうなのも事実だった。
セーデル侯爵のことはほとんど知らないが、ヴァリエ伯爵はあまり評判が良くない。国への貢納金を何度も滞納して注意勧告を受けているため、こちらも怪しいと言えばかなり怪しい。
犯人に繋がる決定的な証拠をサロンで見つけるべく、レーシュたちはミンテを中心として新たな作戦会議を始めたのだった。
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