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第15話 別れるのは、寂しいかも
作戦会議のあと、帰りに雨が降っていたのでラツィエルも馬車に乗って帰ることになった。最近は初夏ともいえる気候で雨も少なくなってきていたから、正直油断していた。レーシュは心の中で悲鳴を上げる。
(昨日の今日で、同じ馬車に乗るなんて……!)
また同じことが起きたらどうしよう。いや起きるはずがないんだけど! と頭の中の声が煩い。お先にどうぞ、とジェスチャーで示されてステップに足を掛けるも、レーシュの体は謎の緊張に包まれていた。
今朝はまだ大丈夫だったのに。でも馬車の中という密室に二人でしばらく揺られると考えただけで、どうしても思い出してしまう。
「……あっ!」
馬車に乗り込もうとしたとき、小さなステップから足を踏み外してしまった。悶々と考え事をしていたせいだ。
前のめりに倒れ馬車の床に顔をぶつけそうになる寸前、腹にラツィエルの腕が回る。
「おい! まさかまだ酔ってないよな? 大丈夫か」
「あ、え、ご、ごめん……ぼーっとしてた」
ぐっと引かれて驚いたが、ラツィエルがレーシュの体を咄嗟に支えてくれたおかげでどこも傷にはならなさそうだった。
「昨日からおかしくないか……?」
そろそろと慎重に足を踏みしめると、腹から腕が離れていく。そのタイミングでラツィエルが昨日のことを思い出したような発言をするから、レーシュの頬はカッと熱くなった。
もう一度ステップを上ろうとすると支えるように手を差し出してくれたけれど、一瞬触れた手のひらの熱い感覚に驚く。レーシュは無意識にパシッと手を払いのけてしまった。
「あっ、ごめん」
「…………」
慌ててステップを上り座席に座ったが、後からさっと乗り込んできたラツィエルの表情は眉間に薄く皺が寄っている。まるで不貞腐れているようだ。
(まさか、手を払い除けただけで怒ってる? うーん。でも、僕も同じことをされたら悲しいかもな……ラツィエルが支えてくれて当然だと思ってるからなおさら)
とはいえ、もう謝ったのだしこれ以上どうすれば機嫌をとれるのかわからない。とりあえず思いついた会話を試みる。
「ねぇラツィエル。離縁ってさぁ、どんな手続きがあるの?」
訊いた直後、ラツィエルの眉根がさらに寄っていってしまった。どうやら話題選びに失敗したらしい。
でも一度聞いておきたかったことなのだ。レーシュが答えを促すように見つめていると、ラツィエルは視線を斜め下に逸らしてから答えてくれる。
「まずは書類だな。ゴットフリート家の系譜からお前を抜いたり、国の管理局に提出している結婚宣誓書の返却依頼を出したり、書類関係は多い。あとは……神殿で血の契約を破棄するんだ」
「血の契約……」
ラツィエルの伏せた金色の睫毛を見ながら、レーシュは結婚するときに神殿で行った儀式のことを思い出していた。
この世界に魔法は存在しないが、神の定めた『血の契約』が存在する。胎樹にも、ふもとにある神子の池 にも神の力が宿っており、同性婚の際は水盆に溜めた池の水に婚姻する二人の血を一滴落とすのだ。
その時の水は瓶に入れて渡されたため、ラツィエルが保管しているはずだった。神力の宿った水は夫婦の性行為の際に使用し、その後胎樹に祈ることで子供のできる条件が整う。
初夜のときにも使ったはずだった。最後までできなかったけれど。
「あのときの神子水 を神殿に返して、廃棄してもらう必要がある。例が少ないからあくまでも噂だが、そのときに特別な寄進が必要らしい」
「特別な寄進?」
「金だ。まあ簡単には離縁させないってことだな。誓いを破ることは女神に背くと考えられているのかもしれない」
「はー……そうなのか」
いざ説明されると、なんとも言えない靄 のようなものが胸の底に沈殿した。書類上でも契約上でも、ラツィエルと関係が絶たれてしまうのは寂しい。
そう感じたことが我ながら意外で、レーシュはぱちくりと目を丸くした。
「この事件の調査が終わったら、神殿に行こうと思ってるよ。それがお前の望みだろ?」
「待って」
「え?」
ラツィエルに急かすような会話の流れになってしまったことに気づき、レーシュは慌てて止めた。
決意されたら駄目だ。その前に、この話題にした理由を告げなくてはならない。
「なんか大変そうだし、急がなくていいよ。ていうか、ちょっと考えさせて」
「俺はいいけど。そもそも言い出したのはレーシュじゃないか」
「寂しいかも」
「……え?」
「ラツィエルと別れるのは、寂しいかもって、思った。今」
本当は、迷っていた。
別れようと考えた理由がラツィエルによってほぼ潰されてしまったし、本人が望んでいないのなら今すぐに別れる理由はない。そう思う反面、やっぱりラツィエルの将来のことが気掛かりだ。
酒の勢いか気の迷いか、昨日はなぜか口づけなんて交わしてしまったけれど、自分たちは夫婦の営みや愛を交わしていないのだ。
しかし気づけば、レーシュは自分の気持ちを口走っている。口に出すと、より感情に輪郭が生まれた。
別れたら寂しいのは、今一緒にいるのが楽しい、と思っているからだ。十年も一緒に暮らしてきて、レーシュはラツィエルのことを何も知らなかった。
ただ最近は、少しずつ。白かった蕾が花開くにつれて色づいていくように、ラツィエルの色が見えてきたと感じる。
信頼には値するけど口煩い神経質な男、という印象が、今や頼もしくて、レーシュにとびきり優しい男に変わっていた。
さすがにそこまで説明する気はなく、以降は二人して黙ってしまった。
石畳の上を進み小さく揺れる馬車の中は薄暗い。顔色まではわからなくとも、ラツィエルの眉間から皺が消えたことだけはレーシュにもわかった。
◇
二度目の調査はまた変装が必要となる。貴族しか行かないサロンなので、レーシュとテットのペアが変装して内部に潜入し、ミンテたちが総合指揮、ビナーのペアは出入り口を念のため見張ることになった。
テットのバディ、ダイアンも第一の近衛騎士だ。彼もわりかし綺麗な顔立ちをしている貴族で、一見して騎士とはわからないと判断された。ラツィエルは言わずもがな。
まだ極秘段階のため、騎士や警吏から応援を呼ぶこともできない。決定的な証拠を得ることが目的の潜入であるものの、騒ぎを起こしたり危険に晒されることはしないようハニエルにも注意された。
今回は前回のような気楽な調査にはならない。レーシュも気を引き締めて、前よりは使い心地や香りが格段に良くなった染め粉を頭にぶっかけたのだが……
「ラツィエル! これ、女物じゃない……?」
「ああ、そうだな。ちょっと厚着してもらう」
「え、え、どういうこと!?」
目の前には、女物のドレスが用意されている。胸元こそ生地が厚くなっていて喉元まで覆うデザインだが、先日見た娼婦が着ていたような退廃的でエロティックな雰囲気のドレスだ。
袖は長いもののスリットが入っていて肘から下は見えてしまう。外套 は用意されているけど、これで男の骨格を誤魔化せるのだろうか?
たっぷりとひだの入ったドレスをぴらと持ち上げて困惑していると、ラツィエルに背中を押されてしまう。
「サロンには高級娼婦を連れて行く人もいるらしい。お前ならそっちの方が目立たないと思って、今日はそれしか用意してないんだ。時間がないからさっさと着替えてこい」
「ええ……これにぃ? 似合わないってば……」
「似合うさ。俺が見立てたんだから」
どうかしてる、と不平不満を漏らしながら別室へと押し込められて着替える。
ウエストを締めるコルサージュもあるため侍女が手伝ってくれたけど、絹のドレスを身に着けると違和感しかなかった。寝間着じゃないのに足元がすうすうするし。
生地は高級そうで、でも貴族女性が身に着けるようなドレスとはやはり雰囲気が違う。生地の光沢感とか、男にしては細い腕が見えなさそうで見えるところとか。
ラツィエルなりのこだわりがあるんだろうが、他の選択肢はなかったのかと激しく問いたい。お似合いです、なんて侍女に言われつつ膨れっ面で元の部屋に戻った。
「ねぇ、ラツィエル。やっぱやめない? これ」
「はいはい。遅かっ、た、な……」
ラツィエルの言葉はレーシュの姿を目にしたところで途切れた。ぽかんと呆けて、翠の目を丸くしている。
レーシュは「絶句するほどひどいのか」と地味にショックを受けた。反動でむかついてきて、スタスタと目の前まで歩く。
つんと顎を上げてラツィエルの顔を間近から見上げた。視線の先の顔は、目尻が赤らんでいる。……あれ?
「おい、用意した本人のくせに文句言ったら許さないからな」
「あ、ああ……」
「脱げというなら脱ぐけど」
「ぬ……っ!? いや、そのままでいいから! ――そこに座ってくれ。仕上げをする」
示されたのは、いつも朝の身支度をしてくれる椅子だ。ドレスのせいでいつもより淑やかにちょんと腰掛けると、ラツィエルは最後の仕上げとしてレーシュの唇と目尻に色を加えた。器用な男だな。
まっすぐだった髪はわざわざ癖をつけられたのでゆるくウェーブし、纏めず背中に下ろしている。鏡に映るのは普段とは全く違ったレーシュの姿だった。
染め粉で亜麻色になった髪と、上品な青灰色 のドレス。
薄目で見れば、女に見えないこともない……かも。
対してラツィエルも、前回とは少し異なる装いだった。彼も髪を濃い茶色に染め、黒を基調とした衣装だ。普段着よりはやはり派手で、カフスボタンに宝石を使ったり、金を持っていそうな新興貴族の匂いがプンプンする。
二人とも普段とは似ても似つかない姿だ。もっとも、今日は眼鏡もつけないから互いの瞳の色がよく見えた。
鏡越しに目が合って、緊張した面持ちで頷き合う。
「よし、行こう」
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