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第19話 祈りに行きましょう

 ピチチチチ……といつもとは違った朝鳥の声が聞こえてきて、レーシュは重い瞼を上げた。パチッと目覚めようにも、瞼が腫れぼったくて半分ほどしか目が開かない。 「ん゙、ケホッ……?」 「奥様、お目覚めになられましたか?」 「うん……」  喉に違和感があって小さく咳払いをすると、全身に筋肉痛のような痛みがある。女性の声で尋ねられ返事をすれば、天蓋の向こうから侍女のシェキナが顔を見せた。  レーシュの姿を認めてポッと頬を赤らめている。亜麻色の髪をした少女と見紛う顔立ちの彼女は、レーシュやラツィエルよりも若いが既に子持ちの母である。確か、女性と結婚しているので安心して雇ったのだったか。 「こちらにお水がありますので。お注ぎしますか?」 「うん……」 「すぐにダアトさんを呼んでまいりますね」 「うん……」  同じ答えだけを繰り返しているレーシュの頭はぼうっとしていた。シェキナが出ていってから部屋を見渡すと、ここがラツィエルの寝室であることはわかる。ラツィエルは、なんでいないんだ?  疑問に思いつつ、喉の乾きを感じたため筋肉痛に配慮してサイドテーブルの方まで体を動かそうとしたレーシュは、ズキン! と腰に強い痛みを感じてシーツの上にくずおれた。 (腰、いった……! ていうか、股の間になんか挟まってる!?)  あらぬところにとんでもない違和感がある。そこでようやく、レーシュは昨晩のことを思い出した。調査、事件、そして――自分の醜態を。 「あああああっ」 「奥様! どうされました!?」  小さくない叫び声を上げると、さらに喉が痛む。家令が医療鞄を持って走ってくるも、シーツに埋めた顔をしばらく上げることができなかった。  レーシュは全身を蝕む痛みと違和感が、昨晩ラツィエルと性行為をしたゆえの結果だと理解してしまったのだ。 (あれは治療だってわかってるけど、いったい、身悶える以外に……どうすればいいの!?) 「ラツィエル様は既にお出かけになられました。奥様には『休め』と」 「そんな、勝手な……」  今動けるかというと、無理なのだが。  昨日のこともあるし、ラツィエルはレーシュの分も報告してくれるだろう。証拠は掴めた。あとは関わっている貴族を見つけだすだけだ。  やってしまったな、と反省の気持ちでいっぱいだ。今思えば、どうしてあの場面で出されたものを飲んでしまったのだろう。  飲むふりでよかったのにまんまと媚薬入りの酒を飲み、レーシュは男たちに襲われそうになった。サロンで働いていた人もみんな、とっくに悪に染まっていたのだ。  あの目。周囲に異変が起きても気にせず手を出そうとしてきた男たちの目には、理性がなかった。  それも麻薬の効果なのだろう。もしかすると、彼らは昨日のことを覚えていないかもしれない。なんだかそれは、とても虚しいことのような気がした。  はぁと深くため息を吐き、レーシュは前髪をかき上げた。美しい白の軌跡を残しながらプラチナブロンドがさらさらと流れ、朝の日差しに輝く。白皙の肌に目元が紅いのも、見る人には目に毒といえた。  家令のダアトは「うわ」と小さく零し、脈を測ろうとレーシュへ伸ばしていた手を一旦引いてしまう。 「ん、? どうしたの」 「色気が……だだ漏れです。あ、いや。本当に気をつけてくださいね。昨日は本当に肝が冷えました。使用人一同、奥様のことを心配しております」 「ああ、ごめんね。ラツィエルにも迷惑かけちゃったな」 「いえ、旦那様は元気いっぱいで……」 「そうなの? ほとんど寝てないんじゃないかと思うけど」  昨晩、いや今朝方まで続いた治療行為に、レーシュは何度か意識を飛ばした。疲れ切って、色々とぐちゃぐちゃのまま、素っ裸で寝てしまったと思うのだけれど。  ベッドは皺もなくさらりと綺麗だし、寝巻きはきっちりと着ていて髪も艶やかにまとまっている。髪と服はたぶん、ラツィエルがやってくれたのだろう。  ダアトが「ラツィエル様なら、あと三日は寝なくても元気かと」と真面目な顔で答えるものだから、レーシュはふふっと笑ってしまった。そのせいで、腹筋まで筋肉痛になっていることに気づいたのは悲しかった。  その後簡単に診察してもらい、残っているのは体の怠さくらいのものであったが、念の為ちゃんとした医者にも来てもらう予定だと伝えられる。  加齢のものではない、生まれつきダークグレーの髪をきっちりと七三分けにしているダアトを、レーシュは信頼して頷いた。  実は王宮の医官のもとで修業をしたこともあるダアトは、町医者よりもよっぽど知識豊富だ。しかしラツィエルが自分の屋敷を持つのが想定よりも早かったため、彼は慌てて戻って来る羽目になったらしい。  父の背中を見て、幼い頃からラツィエルに仕えたいと自ら願い様々な勉学に従事していたものの、こと医療に関しては経験が足りないと言って決して自分の能力を過信しない。そんなところが信頼に値するのだと、ラツィエルがかつて話していたのをレーシュは思い出していた。  レーシュはほとんど家のことに携わっていないし、これまではあまりダアトとの接点もなかった。恥ずかしさはあるがこの前熱を出したときも然り、家で適切な治療を受けられるのは幸運なことだ。  実は学生の頃、学園に常駐していた医者がレーシュに熱を上げて構いすぎるため避けていた経験があったので余計にそう感じるのである。 「ありがとう。これからもよろしくな、ダアト」 「わっ……あ……! 十年お仕えしてきて今日が最良の日ですありがとう神様ポセイーナ様」 「え?」 「おっと、取り乱して失礼いたしました。シェキナを待機させますので、御用はなんなりとお申し付けくださいませ」  レーシュより四つほど年上だけど、思っていたより面白い人なのかもしれない。ダアトと入れ替わりでシェキナが顔を出したのを機に、レーシュは食事にすることにした。二日酔いっぽい感じは多少あるが、食べた方が元気になれそうだ。  ◇  レーシュが休暇を取って三日が経った。  実際どんな薬が使われたのかわからなかったこともあり、念のため長めに休むようハニエルからの指示があったのだ。しかし医者に診てもらったときも健康体だとお墨付きをもらい、毎日滋養に良さそうな食事を出され、もう元気いっぱいだ。  ラツィエルには全く会っていなかった。事態が大きく動いたため正式に第一から駆り出され、忙しく働いているらしい。  近衛なのに、と思うが王太子殿下の目となり手足となって正確に報告することを求められているのだと、以前聞いたことがある。  もともと朝の食堂でしか会わないほど二人の生活は綺麗に分かれている。  ラツィエルのベッドで目覚めた日、夜にはレーシュが自分の部屋に戻ると主張したため、ラツィエルが帰宅したときにはもう彼の部屋にいなかったのだ。  一応見舞いに部屋まで来てくれたらしいのだが、疲れの取れていなかったレーシュは早めに就寝していた。寝顔というつまらない、見ても全く意味のなさそうなものをしばらく見ていったという。  朝寝坊をしたので翌日の朝食にも間に合わず、夜こそラツィエルと話をしようと思っていた。しかしラツィエルの帰宅が遅くなったのでレーシュは待っているうちに眠ってしまった。  翌朝はちゃんと起きたのにラツィエルが早出をしたらしく、レーシュが起きたときには既にいなかった。 「お礼くらい言いたいのに、騎士団はラツィエルを働かせすぎじゃない?」 「ええと……旦那様は気恥ずかしいんじゃありませんか?」  むすっとしたレーシュの言葉に答えたのは、あれからレーシュについてくれているシェキナだ。  普段あまり使用人とも会話しなかったレーシュだが、療養中あれこれと気を遣って世話をしてくれた彼女には珍しく甘えることができた。年下だけど、世話焼きだった姉に似た雰囲気を持っているからかもしれない。  それを見ていたダアトが使用人の配置換えを行い、シェキナをレーシュ付きの侍女にしてくれたのだ。 「そりゃあ僕だって恥ずかしいよ! ていうか、僕のほうが恥ずかしいでしょ。でもさぁ、なかったことにするにはあまりにも……」 「ついに! お二人の初夜でしたもんね」 「そ、そういう言い方しないで。それは結果論だから!」  全く、遠慮のない侍女である。そういった方面で弄られたことのないレーシュは羞恥で顔が熱くなった。  確かに初夜といえば初夜なのかもしれない。けれど望んでやろうとしたことではなく、いや、結果的にレーシュが望んだとも言えるが……とにかく、不可抗力でああなってしまったのだ。  慌てる主人を「ふふ」と笑って姉のような表情で見ていたシェキナは、ふと、何かを思い出した顔で目を瞬かせた。 「そういえば、胎樹のところへ行かなくていいんですか?」 「ん……? なんだって?」 「生命の樹(セフィ・ロット)ですよ! 祈りに行きましょう!」 「……あ」  レーシュは葡萄色の目を丸くして、ぱたぱたと長い睫毛を上下させた。思いもよらぬ提案に、一瞬思考が止まってしまった。  そういえば、条件は揃っているのか?  同性夫婦の閨といえば神子水(アクア・ポセ)と香油を混ぜた“夫婦の香油(アモル・バーム)”だ。真剣に聞いていなかったが、結婚のときに神殿関係者から説明があったはずだ。神子水と香油、二つを混ぜるとバーム状になり長期保管できるという。  ラツィエルは夫婦の香油を使った……?  もしそうなら、あとは生命の樹に祈ることで完全な条件が整う。可能性は低くとも、子ができるかもしれない。  そのことに気づいたとき、胸の中がくすぐったいような、そわそわと落ち着かない心地になった。期待に疼く胸を片手で押さえる。  レーシュはあの夜、ラツィエルへの気持ちに気づいた。もし、子供ができる可能性があるのなら……  行ってみる価値があるのでは?

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