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第20話 神は気まぐれ

 レーシュはシェキナにこっそりと馬車を用意してもらった。もちろん屋敷の者には出かけることがわかるだろうけど、ラツィエルには内緒にしてもらう。  想いが通じ合ったわけでもないのに神殿の胎樹に祈りに行くなんて、知られるのは結構恥ずかしい。レーシュは子が欲しいと強く願っているというより、胎樹の仕組み自体に興味があるので。  ……という誰へ向けた言い訳なのか分からない言い訳をぶつぶつと呟く。  優しいラツィエルは否定こそしないだろうが、もし報告するとしても子が実っていたときでいいだろう。  そしてその可能性は限りなくゼロに近い。レーシュは適齢期を過ぎてしまっている上、普通は何度も愛の行為を繰り返し、何度も祈りに行って実る奇跡なのだ。  シェキナは樹子を得られた先輩なので、馬車にも同乗してくれている。ただ、やはり詳しいことは話せないらしかった。 「行けばわかります。結婚と同じで、管理人である神官も血の契約を結んでいるんですよ」 「へぇ、そうなんだ。楽しみだな」 「奥様、よかったですね。子供ができるまで、もちろんできてからも私、経験者としてしっかりサポートさせていただきます!」 「あ、ありがと……」 (気まずい。生命の樹や神子の池を見るのが一番楽しみだなんて、シェキナには言えないなー……)  ポセイーナを祀る神殿は、屋敷から見て王宮の反対側にある。王宮の敷地内だが、南の門から入ってすぐのところにあるため、レーシュたちが普段目にすることはない。  また神殿内でも生命の樹は奥まった場所にあり、入り口も用途によって分かれている。婚姻などの儀礼で神殿を訪れても、そちら側から入ったことはなかった。  付き添いであっても当人以外入ってはいけないと教えられ、シェキナとは入り口で別れる。彼女は正面の礼拝堂で祈りを捧げてから、馬車で待っているという。  好奇の視線を避けるためか正面を除いた神殿周囲には多くの木が植えられており、レーシュは一人で木陰をこそこそと進んだ。  いよいよだ。心臓が高鳴っている。  生命の樹と小さく書かれた案内表示に従って進むと、地下へと下りる階段があった。  地下だって? 予想外なことに小さく眉を上げながらも足を進めれば、下りた先は意外なほど明るく、そしてとても広い空間だった。 「わ……すごい……!」  大人が十人ほどでやっと抱えられそうな太い幹が中心に見え、幹に対して高さこそ低めだが枝葉は四方八方に広く伸びている。大きな葉が繁り、青々とした緑が目に優しい。  これが生命の樹、通称胎樹と呼ばれるものだろう。  いったいどうやって光を取り入れているのか、天井からは優しい光が差し込み木漏れ日の遊ぶ緑陰をつくっていた。樹の根本には浅く広い池が広がっていて、鏡のように頭上の樹を映し出している。  この神子の池のおかげで、いっそう樹が大きく神秘的なものに見えた。  さやさやと風が流れている。レーシュが耳を澄ますと、静かだと思った空間が実は音に満ちていることに気づく。  見上げて目を凝らすと天井のあちこちに金色の鈴が垂らされて、風によって揺れチリチリン、と絶えず涼やかな音を奏でていた。  レーシュの感嘆の声も、見渡せば幾人か祈りを捧げている人たちの気配も、鈴の音によってかき消されておよそ人の世界とは思えない雰囲気を醸し出している。  低い場所にあるため手を伸ばせば届きそうな枝葉や池の水、樹に生っている白く半透明な卵もここに来るまでは「触ってみたりできるかな」と単純な好奇心で考えていた。  しかしとてもじゃないがそんなことはしようとも思わない。神聖さに圧倒されて、レーシュはただ呆然と眼の前の光景を見つめるばかりだ。 「…………」  レーシュは唐突に祈りたい、と感じた。この世界の神に感謝し、生命の神秘に感謝したい。  それほど信心深いといえないレーシュは上の礼拝堂でも真剣に祈ったことなどなかった。にもかかわらず、引き寄せられるようにレーシュは正面から見た樹の裏側へと向かう。  あそこへ行かなければならない。今すぐ行って、祈らなければ。レーシュを待っている。 (待っているって……誰が?)  歩いているうちに疑問が湧いてきたけれど、レーシュはある一箇所で自然と足を止めた。健康的な緑が目に眩しいほどで、ここには誰かの卵も生っていない。  一番近くに寄れる岸辺で立ち止まり、くずおれるようにして膝をつく。レーシュは自然と目を閉じ、両手を組んで祈った。  視覚が閉じられると、神聖な空気と鈴の音に全身が包まれているのを感じる。空間と一体化しているような浮遊感。  心地よさに浸りながらひたすら祈り続けていると、ポンと優しく肩を叩かれた。  ふ、と目が覚めたように瞼を上げ振り向くと、白い服を着た神官がレーシュの背後に立っていた。胎樹の管理者だろう。  穏やかな表情の彼はレーシュに気づかせるように、手である方向を指し示す。  レーシュが祈っていたちょうど先。ひとつの枝の先に小さな小さな卵を見つけた瞬間、息を呑んで双眸を見開いた。 「あ……うそ……」  指の先ほどの大きさの卵を、よくすぐに見つけられたものだ。だがレーシュはあれが自分の子だと強く確信する。そう思わずにいられないほど惹かれ、疑おうとも思わなかった。  我知らず目には涙が浮かぶ。なんてことだろう。――神様が、レーシュの元へ子を授けてくださった。  ポセイーナ神は気まぐれなことで有名だ。ゆえに人々は奇跡を祈る。  熱心に祈っても駄目なことはあるし、逆に一度目で奇跡にまみえることもある。それは通常の子作りでも同じかもしれないが、やはりこの特殊な繁殖方法は確率が低いのだ。  だから、自分が幸運に恵まれるなんて思いもしなかった。  どうして? 僕なんかのところに。でも――ただただ感動して、嬉しい。  涙を流しながら言葉を発せられずにいると、神官は脇に抱えていた本を開き、ひとつのページをレーシュに見せてきた。そこには卵に向かって祈る二人の人物が描かれている。文字はない。  レーシュは首を傾げた。 「二人で祈れと……いうことでしょうか?」  神官は微笑んで、コクンと頷く。管理者としての仕事にも血の契約が結ばれているというから、喋れない制約があるのかもしれない。 「わかりました。毎日来たほうがいいですか?」  彼はまたコクンと頷く。本から辞書のようなページを開き、レーシュに文字を指し示す。そこには「可能な限り」と書かれていた。  絶対ではないが、可能な限り毎日来たほうがいいということだろう。  作法も何もわからなかったけど、神官が満足そうに見送ってくれたのでレーシュはその場を後にした。  部屋を出て階段に足をかけると、日差しの角度が変わっている。もしかして結構時間が経っているのだろうかと気づき、レーシュは急いで馬車の元まで戻った。 「奥様! いかがでしたか? すぐに戻られなかったので、ちょっと期待していたんです、が……あ……」  ぱっと明るい声でレーシュを迎えてくれたシェキナは、レーシュの表情を見てその顔を曇らせた。赤くなった目元に気づいたのだろう。祈っても駄目で、泣いていたと思われたらしい。  レーシュも目を伏せて、数秒で思考を巡らせた。こういう報告って、やっぱりラツィエルに一番に伝えるべきじゃない? 「その……」 「配慮が行き届かず申し訳ありません。私たちも子供を授かるまで、何度も諦めかけたんですよ。奥様も気落ちなさいませんように」 「あ、ありがとう」 「これから、旦那様にたくさん抱いてもらいましょう! 私、貴族専門の素敵な夜着のお店も知っているんです。お教えしますね!」  シェキナが変な方面に闘志を燃やしているが、一旦はレーシュも否定しないでおいた。  ラツィエルは媚薬に苦しむレーシュを助けようと抱いてくれただけで、今後の機会などないのだ。たった一度の幸運に恵まれて奇跡が起きたことが、いまだに信じられない。  だけど、今夜帰ってきたラツィエルに伝えて二人で祈りに行けば、きっと実感できるだろう。 (早く、会いたいな)  ラツィエルがどんな表情をするか、想像するだけでわくわくした。

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