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第23話 犯人の策略
ある休息日、シェキナが紅茶を淹れながら尋ねてきた。
基本私室ではほとんど使用人の世話にならないレーシュも、家にいる日はあれこれと世話を焼いてもらっている。シェキナが担当になってから、話し相手にもなってくれるので意外に楽しい。
「奥様、ここ最近お痩せになりましたよね? 食事は摂られているようですが、体調が優れないですか?」
「そう? 元気なつもりだけど……暑くなってきたからかなぁ。雨も続いてるし」
本当に不調はないのだが、最近疲れているかもしれない。というのも、レーシュとラツィエルが離縁するかもという噂が広がったせいで、交際や求婚の申し出が後を断たないのだ。
いまや噂がひとり歩きし、もう離縁したと思っている人までいる。屋敷の使用人には言えないなか、レーシュは本気でこの噂に振り回されていた。
朝、馬車を降りてから宰相補佐室へ向かうまでの道のりで何度男性に告白されたことか。一度断ってもしつこく口説いてくる人もいて辟易している。
知り合いが見かけて助けてくれることもあるけど、知人自体少ないし、ラツィエルはしばらく不在だし。
さいわい仕事中はほとんど宰相補佐室を出ない上、出る用事があるときは誰かが付き添ってくれる。王宮は政治、経済、社会、文化の中心地であるため、そこで働く文官や騎士の他に多くの貴族たちも出入りする。
彼らがどこから情報を得ているのかはわからないが、仕事中同僚たちに付き添ってもらっていても強引に話しかけてくることが多々あった。
一度なんて侯爵家の嫡男に捕まって、一緒にいたミンテが助けようとしてくれたけど平民だからと逆に叱責されてしまった。
機転を利かせたミンテが逃げたと見せかけてハニエルを連れてきてくれたので難を逃れたが、数分の間でも二人きりになったのは怖かった。身分を笠に着て命令してくる高位貴族ほど厄介なものはない。
いざとなったら殴ってでも逃げる心づもりではあるけれど、腕力には自信がないし。ハニエルに言えば助けてくれるとわかっていたものの、この国の宰相であり義理の父に迷惑を掛けてしまったことも、申し訳なくて胃が痛んだ。
そして仕事が終わって神殿へと向かうときは一人にならざるを得ない。レーシュが神殿に通っていることは誰にも言っていないからだ。
毎日通っているから一度でも見つかると厄介だ。したがって見つからないように細心の注意を払って移動するのだが、これが結構精神的に疲れる。
人影を見つけるだけでビクビクとし、神殿の階段を下りる段階になってやっと気が抜ける。
不思議と、生命の樹がある空間内では他の人の存在感が希薄になる。みんな祈ることに熱心になるため、自分の子以外、他のことは気にならないようだ。
そして胎樹のもとで祈りを捧げてから家に帰ると、ドッと重い疲労感があるのだ。それが朝からの心労によるものなのか、祈りによる理由もあるのかはわからない。
神官に訊いてみればいいのだが、二人で祈れと言われているのに守っていない後ろめたさがある。
初日以来向こうからのコンタクトはなく、レーシュもあの空間へ行くと夢中で祈って帰ってきてしまうので尋ねることすら忘れてしまうのだった。
(まぁきっと、心労がたたってるんだろうな……)
告白や求婚に当たり障りなくお断りするのも疲れるし、変な人に捕まらないかびくびくするのも疲れる。学生の頃よりは年を取って肝も据わっているはずだったが、大人になってからのほうが厄介な相手が多いかもしれない。
学生時代の経験のおかげで、とにかく知らない男性と二人きりにならないようにだけは気をつけている。ここ数日は、人目のある廊下で呼び止められるとこっそり安心するくらいだ。
そろそろ「離縁はしないって噂が広がってもいい頃だよね」と同僚たちとも話しているので、あと少しの辛抱のはずだ。ラツィエルが帰ってくるまでには落ち着いてもらいたい。
好きでもないのにこれまで何度も助けてもらってきたからこそ、これ以上迷惑はかけたくなかった。
(なによりこれ以上……嫌われたくない)
子供のことも伝えないといけないし、離縁することになっても親子は良好な関係を築いてほしい。
「お寂しいんじゃないですか? ラツィエル様、早く帰ってくるといいですね」
「……そうだね」
気分が鬱屈として、ずっと湿った空気が身体に纏わりついているようだった。季節の変わり目で雨の多い時期だ。空気は蒸し暑く、朝に晴れたと思っても昼には重そうな雲が空を覆っている。
◇
あと数日でラツィエルが帰ってくる、という日にその事件は起きた。
麻薬の件はあの日派手に摘発したものの、箝口令が敷かれたおかげで噂になることもなく、一部の選ばれた人たちによって調査が進められているらしい。
捜査の進展はしているが、大元の貴族は巧妙に証拠を隠しているようで未だ捕まっていない。
みんなでランチにしていると、知り合いの文官に聞いたんだけど、とビナーが噂話を口にする。
「証人になりそうだった人が相次いで殺されているらしいわ」
「えっ……それ、本当かい?」
テットが紅茶のカップを落としかけ、ソーサーに当たってカチャンッと音が鳴る。ビナー曰く、調査に当たっている騎士が証言を得て売人を捕まえに行くと、すでに死んでいたことが何度もあったという。
レーシュも得体の知れない恐怖で背中に冷たいものが走った。現在は傍観者になっている宰相補佐の面々だが、宰相肝入りの調査だったため他人事とは思えない。
人死にが出ているということは、犯人もなりふり構わなくなってきているということだ。
元々大ごとだと思っていたけれど、さらに大きな事件になってきているのを感じる。ハニエルが解決できない事件なんてないはず、と無理矢理自分を励ましていると、突然バーン! と部屋の扉が開けられた。
「レーシュさんっ、ぼくと一緒に逃げましょう!」
「……はぁ?」
そこにいたのはつい先日レーシュに告白してきた相手、コーマだった。走ってここまで来たのだろう、そばかすの散った頬を上気させている。
ビナーが「やだぁ、駆け落ち? 情熱的な子ね」と冗談を言っているが、レーシュはコーマの表情がやけに真剣なのが気になった。
次にやってきてその後ろから顔を出したのはジュノンだ。オールバックの髪が乱れて、やはり慌ててやって来たことが窺える。
ガタンッと音を立てて立ち上がったミンテが彼に「何かあったんですか!?」と質問すると、いつもは穏やかな印象のジュノンが早口で説明してくれた。
「例の件で、下町の密売人が捕まったんだ。奴は刑務官の拷問に耐えかねて、関係している貴族の名前をさっき口走った。それがアルデンヌ男爵だったんです」
「え……」
ポカンとしたのは四人共だ。
アルデンヌ男爵家はレーシュの生家であることを、みんな知っている。そして当主である兄が麻薬に関わるはずのないことを、レーシュ自身痛いほどわかっていた。
「何かの間違いだろう」
「そうなんですが、証言を無視するわけにもいきません。重要参考人として、ご実家に第二の騎士が派遣されます。それに先立って、レーシュさん。あなたも拘束し、話を伺うことになります」
テットが冷静に反論するも、伝えられるのは容赦のない決定事項だ。事が事だけにそうするしかないのだと、理解せざるを得ない。
とはいえレーシュは言葉も出てこなかった。大変なことに巻き込まれてしまったという恐怖と不安が目の前を覆いつくし、どうすればいいのか咄嗟に判断できない。
実家は、兄は、どうなるの?
「絶対犯人の策略じゃないか! 他人に罪をかぶせようとしてるだけだ。騎士団を信用してないわけじゃないけど、一枚岩とはいえないですよね? 事情も分かっていないレーシュのご家族が拘束されちゃったら、謂れのない罪を押し付けられる可能性もある。どうにかならないんですか!?」
「だから、ぼくと一緒に……」
「僕たちはあなたの味方です。レーシュさんは一足先に逃げて、ご当主にこのことを伝えてください」
ミンテが的確に犯人の目的を指摘してくれるが、焦った口調を聞いているだけでレーシュはパニックに陥りそうだった。コーマが口走ろうとした言葉を遮って、ジュノンは安心させるように頷く。
話を聞いて、二人は本当にレーシュのために走ってきてくれたらしい。心強くて、目の奥が熱くなった。
他のみんなも同意し、レーシュは休暇を取って今日から実家に帰っていたことにする。幸い今朝はほとんど人に会わず告白にも捕まらなかったので、口裏を合わせておけば誤魔化せるだろうということになった。
実家への騎士の派遣は即日ではないという。実際に派遣されてくるまでの間にレーシュが実家で説明をして対策を練る時間さえあれば、もし拘束されても最悪の事態は防げるはずだ。
みんなが時間を稼いでくれる。無実の罪に問われることがないよう、全力で動いてくれる。
肩を叩いて約束してくれた仲間に勇気を貰って、レーシュも決意した。犯人の思い通りになんて、絶対なってやらない。
「みんな……ありがとう! このお礼は必ず!」
「気を付けてね……!!」
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