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第24話 妻とはいえ男

 いつもは帰宅時間に近くなると屋敷から馬車が迎えにくるのだが、まだ昼だ。したがってレーシュは、コーマの好意に甘えて馬に相乗りさせてもらうことにした。 「し、しっかり掴まってくださいね、レーシュさん!」 「はい」 「あ、ぼく今日死ぬかも……」 「え、今死なれると困るんだけど」 「今じゃなかったらいいんですか! 容赦ないっスね……」  スピードを出すと言うのでコーマの背中から腹に手を回すと、びくと体が強張った。不調なら別の人に送ってもらおうかと思ったが、一応大丈夫らしい。  一刻をも争うのでそれ以降はコーマが独り言をぶつぶつ喋っていても黙っていた。  こうして他人と密着することは滅多にないから、ラツィエルとは違うことがよくわかる。体の厚みや温度、香りもまるきり異なる。  抱きつくならラツィエルが一番いいなと考えて、初めてそんな思考に至ったことに我ながら驚いた。 (他人に触れたいなんて……初めて思ったな)  屋敷へ帰りついてレーシュが「今すぐ生家へ帰る」と言い放つと、使用人たちは騒然とした。 「どうか旦那様を見捨てないでください!」 「せめてラツィエル様に会ってお話ししてからになさいませんか!?」 「違う、違う」  なんでレーシュが見捨てる前提なんだ。かといって詳しい事情を話すわけにもいかず、苦し紛れに兄が倒れたということにさせてもらう。  馬車でも急げば二日の道のりだ。馬車と御者だけ用意してもらえばいいと伝えたものの、ダアトがついてくることになった。  固辞する時間ももったいなく、小一時間後には準備を済ませたダアトを連れてレーシュは出発したのだった。 「奥様、私はラツィエル様と奥様のために生きているといっても過言ではありません。秘密は死んでも守ります。だから真実を仰ってくださいませんか? 近頃とみにお疲れのご様子だったのも、何かあったからでしょう」 「ああ……ダアトには説明しておかないとな。今やっかいな事件に巻き込まれていて、僕は国に追われる立場にある。実家にも騎士団が向かうから、その前に家族へ説明に行きたいんだ。……悪いね、迷惑をかけて」  ダアトは「ええっ」と驚いていたが、レーシュが話せるところだけかいつまんで説明すると真剣な表情で頷いた。 「ラツィエル様、こんなときに不在なんてタイミングが悪いですね。でもハニエル様が味方なら大丈夫でしょう。私も微力ながらお手伝いさせていただきます」 「ありがとう、ダアト」  冗談めかしてラツィエルへの文句をこぼしたダアトだったが、ラツィエルがいてくれれば頼もしいと信じていることが窺えた。  レーシュだってそう思っている。今そばにいてくれたら、それだけで心強いのに。  しかしながら、自分も妻とはいえ男だ。守ってもらうことに甘んじてはいられない。  レーシュや兄の嫌疑を晴らさなければ、ゴットフリート家にも迷惑がかかってしまう。それだけはなんとしても避けたかった。 「生家へ向かわれる理由はわかりましたが……奥様がお疲れだったのはそれ以前からですよね?」  今日起きたばかりの問題だけに囚われず、ダアトは医療者の目線で見てくる。レーシュは観念して近ごろの噂についても説明した。  もともとレーシュは「離縁しよう」と自宅で提案していたのでダアトも驚きはしなかったが、無数の男たちに言い寄られていることについては眉根を寄せて憤慨させてしまった。 「ラツィエル様はいったい何をしているんです!」 「ほら、仕事だから……」 「仕事と奥様、どちらが大切なんですか!」 「ええ、それは仕事でしょ……」 「はぁっ? 奥様に決まっているでしょう!」  レーシュは家令となんの言い合いをしているんだろうか。  つい砕けた口調になってしまったとダアトは謝ってきたが、レーシュはどうしても自分が大切にされる価値のある人間だとは思えなかった。思わず大きなため息が口をついて出る。 「はぁ……ラツィエルに迷惑ばかりかけて、僕はもう嫌われてるに決まってる」 「そんなわけないじゃないですか。先日喧嘩されていたのは存じておりますが、早く仲直りしてくださいね」 「そうだよなあ、子供ができたことも伝えないとだし……」 「えっっ」 「あ」  ずっと一人で思い悩んでいたことを、つい口走ってしまう。小さな呟きだったが、狭い馬車の中ではきっちりと聞き取られていた。  ぱああっとダアトの表情が明るくなっていくのを見ると、レーシュの頬はじわじわと熱くなる。子のことを人に伝えて、しかも喜んでもらえることが、こんなにも嬉しく恥ずかしいことだったとは。 「朗報じゃないですか! あの一回で!?」 「一回とか言うな! 待って、ラツィエルにはまだ言わないでよ!?」  初夜の一件を使用人みんなに知られているなんて、仕方ないけれど羞恥でしかない。  レーシュが子どものことは自分で伝えるからと必死で口止めすると、「黙ってられないんで早く伝えてください!」とにこにこ顔で言われた。この家令、結構いい性格をしている。  とはいえダアトのおかげで思い悩みすぎることもなく、レーシュは無事最短の時間でアルデンヌ男爵家の屋敷に辿り着いたのだった。 「レーシュ!? どうしたの連絡もなしに。家出!?」  立派な馬車が到着したことで驚いて出てきた母エルクリーナが、勢いのままレーシュを抱きしめる。柔らかな体、太陽のあたたかな香りに包まれるだけで、帰ってきたんだなと実感して目の奥が熱くなった。  ちなみに家出という誤解はすぐに否定しておく。うちの使用人と同じ反応なの、なんで? 「お母様に瓜二つですね……」と呟いていたダアトも改めて挨拶を交わしている。  確かに髪の色も含め、顔の造形はきょうだいのなかで一番似ていると言われる。自分の感覚ではわからないけれど。 「大事な用があって来たんだ。ミッシュ(にい)は?」 「ここだよ。すげない返事をくれて以来じゃないか、レーシュ?」 「兄様……ごめんって」  実りの季節の麦穂みたいに柔らかな色の髪の兄ミッシュが騒ぎを聞きつけて出てきてくれた。苦笑しながらもレーシュを抱きしめてくれる腕には愛がこもっている。  以前「帰ってきて領地経営を手伝ってほしい、見合いの相手も用意する」とミッシュから手紙が来てレーシュは大いに振り回されたのだが、ラツィエルの助言もあって「今は帰れない」と返信していた。  了承の返事と、家令をもう一人増やして領地の管理と屋敷の管理をする人員を分けるつもりだと書かれた手紙が返って来てホッとしていたのだ。大丈夫だと励ましてくれたラツィエルの言葉どおりだった。 「で? ついに旦那に見切りをつけて俺を助けに来てくれたのか」 「だから、違うって……」  ガクッと力が抜けてしまった。が、これから笑えない話をミッシュにしないといけない。レーシュは兄の耳元で至急話したいことがあると伝えた。  義姉はお腹に張りがあるとかで念のため休んでいるという。出産予定は二か月後らしいが、彼女にも心労を負わせてしまうと思うと申し訳なかった。 「そんなことが……レーシュも大変だったな。知らせに来てくれてありがとう」 「数日もしたら騎士団員がやってくると思う。宰相様が味方だしよっぽどのことはないと思うけど……僕も一緒に行くから、なんとかしばらく耐えてほしい」  執務室へ移動してミッシュと古株の執事と三人になってから事情を告げると、やはり難しい顔にさせてしまった。今向こうの状況がどうなっているのかはわからないが、王都に連れていかれることは避けられなさそうだ。  早くから男爵家の当主として家族を支えてくれているミッシュなら理解してくれる。たぶん、きっと……と希望的観測で信じていたけれど、彼は腕を組み重々しく首を振った。 「嫌だ。俺は行かない」 「え゙」 「タヴと、子どもたちと、一日たりとも離れたくな~~~っい!」 「ミッシュ兄ぃ……」  もしかしたら兄は昔と変わっていないかも、と嫌な予感がしていたのも事実だ。それが的中してしまった。  駄々っ子のようジタバタしだしたがもう四十歳にも近い兄を、レーシュは恨みのこもった目で睥睨する。  こっちが真剣に悩んで、みんなに背中を押してもらってやっとのことでここまで来たのに。今だってレーシュの味方はとっても心強い人たちだから大丈夫だと励ましの言葉までかけたのに!  この男は、義姉と結婚した頃からちっとも変わっていない。彼女がいなければ駄目だ、生きていけない! と平然とのたまうのがミッシュという男だった。 「俺の代わりにゲブラー爺を……」 「ミッシュ坊ちゃん、さすがにそれは無理がありますなぁ」  執事がしわがれた声で反論する。レーシュたちが生まれる前からこの家に仕えてくれているゲブラーは、頭こそはっきりしているものの本当にいいお年だ。  ひどい兄だ、とレーシュは呆れてゲブラーを庇う。 「ゲブラーを王都まで連行させたらコロッと死んじゃうよ!」 「レーシュ坊ちゃん、事実だとしても爺はショックですなぁ」  賢い兄も、どうしようもないことをわかっているはずだ。隣の領への視察でさえ妻と子どもを連れて行こうとするミッシュを、大事な時期に家族と引き離してしまうのは心苦しい。 「ごめん……」  この事態はレーシュのせいではないし、自分なりにできる限りのことをしているつもりだ。  しかし家族のつらそうな表情を見てしまうと、もっと何かできることはなかったのか、せめて自分にもっと力があれば……と不甲斐なく感じざるを得なかった。  項垂れるレーシュの肩に、温かい手が置かれる。 「謝ることはない。レーシュのおかげで心の準備ができたんだ。相手に隙を与えない証言をして、一秒でも早く帰れるようにしよう」  やっぱり兄は兄だった。レーシュが顔を上げると、優しい目が弟の成長を喜んでいるみたいに細められる。 「兄様……」 「こうはしていられない! 仕事は全部爺に任せて、今から愛するタヴと家族の時間を過ごしてくる!」  ゲブラーの「横暴ですなぁ」という言葉を聞き届けることなく、さっと身を翻してミッシュは執務室を出て行ってしまった。  ……やっぱり兄は兄だった。

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