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第25話 俺がついてるから

 到着したのは夕方で、レーシュが部屋で休んでいるとすぐに日は沈む。雨の多い季節だがここ数日は運良く晴れていて、窓の外では夕焼けがのどかな景色を茜色に染めていた。  十五の年で学園に入るまでは毎日見ていた景色が、不意にとても懐かしくなる。なぜか胸が切なくなり、ラツィエルに会いたくてたまらなくなった。  ここもレーシュの家ではあるけれど、今はラツィエルのそばが自分の帰る場所になっていることを実感してしまう。  焦りで気づかなかったが、最低限の休息だけを挟みつつやってくる間に疲労は溜まっていたようだ。いつの間にかうつらうつらしていたレーシュは、晩餐に呼ばれてぼうっとしながら食堂へ向かった。  母と兄、兄の子どもたちが三人席についていて、ようやくレーシュも甥姪たちと挨拶を交わす。一番下はぐずってタヴと部屋で食事らしい。  年に一度か二度しか会わないから、子どもたちの成長には毎回目を見張る。長男なんてもうレーシュの身長を追い越しかけていて、「久しぶりだね」と笑いかけると俯いて黙ってしまった。思春期ってやつか。 「さぁさぁ、お話はあとにしよう。料理が冷めてしまうからね」  父親の顔をしたミッシュに追い立てられてレーシュも席につくと、みんなが両手を組んで目を閉じる。なんてことない食前の祈りの風景だが、レーシュはラツィエルがいないと省略しがちなので少し久しぶりだった。 「父よ、あなたのいつくしみに感謝して、食事をいただきます――」  子どものころは早く食事にありつきたくて、自分だけ早口で祈っていたな~なんてしょうもないことを思い出していたとき、レーシュは突然大事なことを思い出した。 「あ!!」  ここ数日の急展開で、すっかり忘れていた。忘れちゃ駄目なのに、忘れていた。 (僕……胎樹に、行ってない! ていうか行けないとこまで来ちゃったよ馬鹿!!)  突然大声を出したレーシュに驚いてみんなが注目していたが、それどころじゃない。「行儀が悪いよ」とミッシュに注意されながらも、レーシュは壁際に立っていたダアトを連れて食堂の外に出た。 「どうしようダアト! 胎樹って毎日祈りに行かなきゃなんだよね!? もう……だめ……?」 「落ち着いてください奥様」  ダアトを廊下の壁に押しつけるように縋り付いていたことに気づくも、頭の中はパニックでそれどころじゃない。子どもにもしものことがあったらどうしよう……!  宥めてくるダアトはハンズアップで降参の姿勢を見せながら、ううん、と考えて唸った。 「私も詳しくありませんが、十年ほど前に樹子をもうけた従兄の夫婦は確か……二人とも食中毒で数日行かなかったこともあったような」 「ほんと!?」 「私が診ましたからね。ええ、二人とも動けない状態でしたから」 「よかった……」  レーシュは安堵に力が抜けてようやくダアトを解放した。  そういえば、可能な限り毎日と最初に言われていたんだった。自分が毎日行くようにしていたから、すっかり忘れて焦って馬鹿みたいだ。 (自覚が足りないな……親失格だ)  しゃがみ込んでレーシュが落ち込んでいたとき、窓の外から馬のいななきが聞こえた。厩舎の方向じゃない。  食堂内にいたら気づかなかっただろうが、静かな廊下にいたレーシュとダアトは目を見合わせる。 「嘘……。もうっ!?」 「数日後という話では?」 「確証はないよ! 僕が逃げたの、バレたのかも」  騎士団がレーシュとミッシュを捕まえに来てしまったのだろうか。罪人のように引き立てられてしまうのだろうか。怖い。どうしよう……! 「奥様! 見てください!」  ひと足先に窓のある方へ走っていったダアトは、興奮してレーシュを呼び寄せる。足が竦んでいたレーシュも、喜色を浮かべるダアトに疑問を持って近づいた。  窓の外はすっかり夜の帳が下りている。しかし門に据えられた篝火が、たった一人の訪問者を明るく照らしていた。ひときわ輝くアンティークゴールドを。 「ら……ラツィエル!?」  向こうから見えないと思うのに、目が合った気がした。レーシュは玄関に向かって走る。  よかった。嬉しい。ラツィエルが、来てくれた……! 「ラツィエル……!」  いろんな思いが溢れて、まだ喧嘩のような状態だったこともすっかり忘れて、レーシュはラツィエルに飛びつくように抱きついた。  難なく抱き留めてくれた体は頼もしく、汗と埃の匂いがした。急いで来てくれたことがありありとわかる。 「レーシュ、話は聞いた。……大丈夫だ。俺がついてるから」  ラツィエルは昨日の晩王都へ帰りつき、父親であるハニエルからレーシュの現状と捜査の進捗を聞いたようだ。その足でレーシュの元へ向かってくれたため、こんなにも早く到着したという。  長期の遠征から休息もなくやってきてくれたことが、申し訳ないけれど嬉しい。ラツィエルのこういうところが信頼に値すると、レーシュは改めて思った。 「明後日にも騎士団が訪れることになっていますが、ミッシュ様が王都へ向かう必要はありません。聞き取りと王都へ出荷する物の調査はここで行われることになったようです」  先ほどの三名にラツィエルとダアトを加えて、再び慌ただしくミッシュの執務室へ来ていた。レーシュが王都を出てたった一日半の間に捜査の進展があったのは、ハニエルたちが精力的に働いてくれたおかげだろう。  密売人がアルデンヌ男爵を名乗る人から麻薬を受け取っていたことは確かなのだという。しかし外見の特徴を聞いてみると口髭を生やした筋骨たくましい男だったと言われ、ミッシュに会ったことのあるハニエルが全否定した。ひ弱というほどでもないが、その特徴は全くミッシュと一致しない。  つまり、密売人がデタラメな証言をしているという認識で固まったそうだ。  念のための調査は行われるようだが、ミッシュへの嫌疑はほとんど晴れていると言っていい。そもそも男爵家は王宮に出入りするような身分でもないからミッシュはほとんど王都へやってこないし、輸入品の販路も持っていない。  捜査はまた数歩戻ることになるが、密売人の身の回りの調査を改めて行うことになった。現在レーシュも拘束目的で追われていることはなく、一度証言に協力してほしいだけとのことだ。 「それはよかった……! レーシュの周囲には優秀な人ばかりなんだね。ラツィエル君も、ありがとう」 「いえ、レーシュの人望ですよ。俺は、肝心な時に王都を離れていたので……」 「仕事だろ? いい旦那さんだなぁ。お前たちが仲良くやってるようで、安心したよ」  言外に「契約結婚だと言ってたけどなぁ」とでも言いたげなミッシュからの視線を感じつつ、レーシュはとりあえず曖昧に笑っておいた。ダアトまでもが視界の端で大きく頷いている。  何はともあれひとまずいい所へ落ち着いたらしい。  ラツィエルが疲れているだろうからとそれ以上の会話はやめにして、レーシュはラツィエルと二人で食事をとってから自室に下がった。  レーシュの目の前には今、湯上がりでなんとも目に毒な旦那様が所在なさげに立っている。 「当たり前のようにここへ案内されたんだが……悪い。客室を貸してもらうよう伝えてくる」 「いいって。ここで別々に寝たりしたら、また兄様に疑われちゃうし」  他の貴族の屋敷のことは知らないが、この家では夫婦が同じ寝室を使うのは当たり前のことだ。使用人がラツィエルをレーシュの寝室に案内したのも、なんら不思議ではない。  今から別の部屋で寝るなんて伝えたら、明日にもミッシュに伝わって「仲が悪いならレーシュは家に帰ってこい」と言い出されかねない。  またお見合い相手を用意するなんて言われたら最悪だと思い、レーシュはラツィエルを引き留めた。  レーシュがベッドの片方に寄り空いた方の枕を整えると、ラツィエルは意外そうに翠の目を瞬く。 「……嫌なんじゃないのか?」 「え、なんで? 疲れてるんでしょ。ベッドも広いから大丈夫だって」  そう言ってさらに変な顔をされてから、レーシュも気づいた。喧嘩というか、いろいろとレーシュがやらかして怒られて、ラツィエルの浮気に怒って、それ以来の再会だった。 「――あ。……ごめん、ラツィエルが嫌だよな。僕は隣の部屋のソファで寝るから、ラツィエルはベッド使って?」 「は? 俺は嫌じゃない!」 「え……そうなの?」 「…………」  変な空気になってしまった。なんだか顔が熱いし、ラツィエルも心なしか頬が赤らんでいる。 「じゃ、じゃあ……どぞ」  入りやすいようにベッドの掛け布をめくってやると、ラツィエルはぎこちない動きでシーツの間に体を滑り込ませた。  パジャマ代わりのシャツの胸元から逞しい体が垣間見えて、つい目を逸らしてしまう。会話するのも妙に恥ずかしく、レーシュは早々にランプを消し寝ることにする。  真っ暗になってレーシュも枕に頭を乗せると、ラツィエルの声がした。 「レーシュ、お前が無事でよかった。……おやすみ」 「…………お、おやすみ……」  なんと返そうか数秒考えてしまった。レーシュが当たり障りのない就寝の挨拶を返したときにはもう、隣から規則的な寝息が聞こえてきている。 (よっぽど疲れてたんだろうな……二日間寝てないんだもん)  暗闇に慣れてきた目でラツィエルの横顔を見つめると、僅かに口が開いていてなんともあどけない。かわいいな、なんて初めてラツィエルに対して感じた。  体を寄せると、いつものライラックの香りは弱い。今は自分と同じ香りを纏っていて、それでもラツィエルの優しい香りになっている。  夜目の効く猫のようにジーーっと見つめていると、視線が煩かったのか「ん……」とラツィエルが身じろいだ。  レーシュも仰向けになる。思ったよりも近づいてしまい肩が触れるか触れないかの距離になっているが、寝相で言い訳できるだろう。 (明日、子供のこともラツィエルに話そう。王都に戻ったら、二人で祈りに行こう)  簡単に触れられる距離にいるからか、なんだか心も近づいた気がする。  心地よい眠気が忍び寄ってくるのを感じ、レーシュは目を閉じた。

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