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第27話 不吉な予感 Side.Ratziel
疲れ切っていたからか、伴侶の実家だというのにぐっすりと眠ってしまった。目覚めるとレーシュはベッドの中におらず、シーツに体温さえ残っていなかった。
調査のために騎士団が到着するのは明日の予定のため、今日だけはゆっくりできそうだ。ラツィエルは久しぶりに晴れやかな気分で体を起こした。
近衛の任務で王都を離れる前にレーシュと些細な言い合いをしてしまったが、昨日の再会では感激して抱きついてきてくれた。よっぽど不安だったのだろう。
ここのところ絶えず周囲で事件が起き、巻き込まれているからこそ頼ってくれているんだろうけど……
一進一退を繰り返しつつ、最近少しだけ心を寄せてもらえている気がする。
レーシュと結婚して十年間比較的平和だったのが嘘みたいだ。変化は怖いが、一度伴侶に触れその反応を知ってしまえば元に戻ろうなんて思えない。ちゃんとした夫婦になりたいと、願ってしまう。
一日くらい二人でのんびり過ごせば、もっと親しくなれないだろうか? 自分がいればレーシュが心配することはないと伝えて……などとラツィエルは呑気に考えつつ寝室を出る。
レーシュは気にしないだろうが、伴侶の家族の前だ。いつも以上にきっちりと身だしなみを整えていると、ダアトが部屋に顔を出した。ラツィエルの顔を見て驚き、瞠目した。
「ラツィエル様、いらっしゃったんですね。てっきり……」
「どうしたんだ?」
「あなたの馬が見当たらないと馬丁から報告が……ですが、何かの間違いでしょう」
遠くで雷鳴が聞こえた。朝方から降り始めた雨は降りやむ気配がない。……不吉な予感がする。
「っレーシュは見たか!?」
「いえ、まだ眠っているだろうとご家族が仰せでしたが」
ラツィエルはダアトを押しのけ、走って食堂へと向かう。そこでミッシュやゲブラーにも尋ねたが、やはり昨日の話し合いのあとからレーシュを見たという人はいなかった。
レーシュがラツィエルの馬に乗って行った? どこへ?
ここと王都以外でレーシュに縁のある場所も思いつかない。そもそも、どうして急にいなくなった?
行動の理由がわからず動くに動けないでいると、昨晩は見かけなかったミッシュの妻タヴが「あっ」小さく声を上げた。すかさず隣に座っていたミッシュが尋ねる。
「どうしたんだい?」
「朝方ね、変な時間に起きちゃったんだけど、そこの廊下でレーシュと会って話したの。でも、そのときは普通に見えたわよ……?」
「そこで、どんな話を?」
二人は仲がいいし、タヴが唆したとは思えない。しかし、話の内容にレーシュを動かすきっかけがあったと考えたのだ。
即座にラツィエルが尋ねるとミッシュに睨まれたが、彼女は人差し指を頬にあてて首を傾げた。
「ええっと……レーシュとあなたがラブラブね、って話をしたのよ。照れてて可愛かったわ」
「……そうですか」
レーシュの白い肌は皮膚が薄く、赤らむとすぐわかる。照れていたなら見たかったなと思いつつ、タヴの憶測も入っているだろうからあまり真に受けないようにして続きを待つ。
「それで、子供の話をしたの。できたら教えてねって……無神経だったかしら? 知りたそうだったから、樹子のことで私が知ってる内容を少しだけ話したわ」
「あ。……すみません、続けてください」
突然ダアトが背後で声を上げた。振り向くと、間違いだったというように手を振る。……怪しいな。
タヴは話すうちに会話の内容まで思い出したようで、仔細を語ってくれた。本当に数分間の立ち話だったらしく、レーシュが屋敷を出ていく理由になるとは思えなかった。だが。
「……ダアト、来てくれ」
ラツィエルが踵を返すと、ダアトは強く頷いてついてくる。その顔には「話すべきことがある」と書いてあるように見えた。
レーシュの私室に戻ると、ラツィエルは無駄を一切省いて命令した。
「話せ」
「奥様は胎樹を見に行ったのだと思われます。ここへ来る道中で……聞いたのです。子供ができたと、」
「は……なんだって!?」
全く想像もしていなかった答えに、大きな声を上げてしまった。義姉から子供の話を聞いて、やっぱ領地経営を手伝うべきかレーシュが悩んでしまったのかと予想していたのだ。
なのに……胎樹? 子供? 誰と誰の?
激しく狼狽え、考えがまとまらない。
神子水 と香油を混ぜたものを使ったことすら、そうした方が負担が少ないと聞いてやってみただけだった。本当に子供ができるだなんて思っていない。
「私へもまだ話すつもりはなかったようで、口を滑らせてしまったご様子でした。ラツィエル様にも話すとは、おっしゃっていたのですが……。タヴ様の話を聞いて、心配になったのでしょう」
「ま、待ってくれ。子供って、そんな簡単にできないよな? 胎樹だと特に」
「そう聞きますが、結局神の御業なのです。あの一回で、できたようですよ」
「一回とか言うな!」
どうして教えてくれなかったんだ? レーシュはあれから一人で祈りに行ってたってことか?
ラツィエルは媚薬に侵されたレーシュを治療と称して抱いたあとのことを思い返す。
レーシュに煽られリミッターが外れ、好き放題抱いてしまった。我に返ってからは嬉しくて恥ずかしくて情けなく、しばらく合わせる顔がなかった。
それからわざわざレーシュが部屋まで会いにきてくれて……あのとき話そうとしてたのか?
だって、抱かれたのが嫌だったと言われたショックで、ラツィエルも突き放すようなことを言ってしまった。もしかすると、あれは違った意味だったのだろうか。
それ以来また悪い空気になってしまい、その後話したことといえば、……ほとんど会話できてないな。
王宮でレーシュが求愛されていることに気づいて助けに入ったときも、なぜか不機嫌そうで軽い口論になってしまった。
レーシュが仕事のあとに毎日誰かと会っているらしいと使用人から報告を受けて、ラツィエルもまさかとは思いつつ浮気を疑っていたからだった。しかも、ラツィエルもあのとき「娼館に通う浮気男」とレーシュに言われて驚いていたのだ。
思い当たる節はある。
レーシュを抱いたあとに一度だけ街へ香油を買いに行ったのだが、調査のときに話した娼館の女から声をかけられた。女性だから丁寧に応対して、ついでと思って香油の種類について尋ねたのだ。
もしかしたらそれを、誰かが見ていたのかもしれない。
レーシュが誰かと会っているようだという報告も、王宮裏の神殿に通っていたために帰りが遅くなったと考えれば、使用人が勘違いしただけなのだろう。
あのときちゃんと話し合えば解けたはずの誤解は、仕事前で時間がなかったことに加えてラツィエルの遠征でそのままになってしまった。
長い期間レーシュはラツィエルに話したくても話せず、一人で思い悩んでいるうち事件に巻き込まれ、子供のことが心配で王都へ戻ってしまったのか。
自分がレーシュにとって頼れる存在だと思っていたラツィエルは、己の不甲斐なさに愕然とした。
「レーシュは……この雨の中、一人で?」
「私も独身ですから想像ですが、自分の命よりも大切なのが、子というものでは?」
「…………」
もちろん理解できるが、正直、まだラツィエルにはわからない。子供ができたと聞いても実感が伴ってこないし、レーシュが子供のために衝動的な行動を取ったことについても、にわかに信じがたかった。
繊細な見た目に反して粗雑で、他人の目や意見を歯牙にもかけないレーシュ。ラツィエルは彼のことを誰よりも知っているつもりで、実は全く理解できていなかったことに気づく。
(結局俺は、レーシュを形式的に手に入れて満足してただけなのか……)
憧れから生まれた恋心は、最近になってようやく愛という形に成長した。けれども近づくほどに反発が生まれるし、相手の気持ちもわからず勘違いして、恋愛経験の少なさを今さら実感するばかりだ。
レーシュがラツィエルを頼らなかったことについても、当然の結果といえよう。
もっとも、レーシュが供もつけずに騎馬で王都へ向かうこと自体危ない。それに疑いが晴れかかっているとはいえ、逃げたと思われかねない行動は控えるべきだ。
親としての自覚よりも先に、レーシュには自分が美しすぎて目立つということを自覚してほしい。
レーシュがいなくなった今、ラツィエルがここにいる意味もない。王都へ戻って、レーシュとちゃんと話し合おう。
ダアトには馬車で戻ってくるよう指示して、ラツィエルは単身アルデンヌ男爵家を出発した。
纏わりつくほど重い湿気の海を切り裂くようなスピードで、ラツィエルは街道を駆け抜ける。
レーシュを堂々と守ることができるのは、伴侶である自分だけだと、信じて。
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