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第28話 一番になりたい
親も兄も過ぎるほど優秀な家に生まれたラツィエルは、平凡な子供だった。
学園に入る前から家庭教師の元で勉学に励んでいたが、先に兄を見ていた教師からすればラツィエルは期待はずれだったのだろう。
優秀な学者だった家庭教師はあからさまに「こんなものか」とがっかりして見せた。回答して見せてはため息を吐かれ、必死に予習復習しても相手の予想を上回ることはできない。
家族は優しかったしラツィエルに優秀さを求めなかったものの、家庭教師の態度でラツィエルは自身が平凡であることを嫌というほど理解し、劣等感をチクチクと刺激され続けた。
自分のことをどう報告していたのかはわからない。しかし彼はラツィエルが学園に入るまで家庭教師を続け、ラツィエルも親に不満を告げることはなかった。
学園に入学して自分の成績が悪くないことを知っても、「だからどうした」とどこか達観する自分がいた。
自信のある立ち居振る舞いは、ラツィエルにとっての鎧だ。見た目に気を遣っていれば雰囲気で素敵だと注目されるし、家柄もあって憧れの目で見られる事実はラツィエルの劣等感を掬い上げてくれた。
それでも決して一番になれないのがラツィエルという男だったし、その事実を受け入れてもいた。決して卑屈に生きていたわけではない。もしそうだったならレーシュのことも毛嫌いしていたはずだ。
――彼はそこにいるだけで特別で、順番などつける方がおこがましいほど唯一の存在だったから。
レーシュのことは、学園で見かけたときから気になっていた。
なんたってあの美貌だ。ラツィエルのように隙なく身だしなみを整えて、流行を取り入れた格好で注目を集めるのとは違う。
レーシュは何もせずとも、そこにいるだけで人の目を引く。プラチナホワイトの髪は透けるほど細く美しく、繊細な顔立ちも相まって佇んでいるだけで宗教画のようだ。
見かけるとその他大勢の生徒と同じようにレーシュに見惚れた。制服の着こなしが少しダサくともだらしなくとも、彼という人間に制服なんて無粋なものを着せる方が悪いとさえ思った。
中性的な見た目のせいか、レーシュは男に好意を寄せられる。女性は自分よりも美しい人の隣に立ちたくないのだろう。
ラツィエルも女性が好きだったはずなのに、気づけばレーシュに淡い恋心のような憧れを抱いていた。きっと学校中の男子生徒……否、教師も含めた全員の心を奪っていたはずだ。
彼が教師に襲われかけているのを助けてから、ラツィエルはレーシュに話しかける権利を得た。
何度も話しているうちに、彼がラツィエルと真逆の性格をしていることを知った。かなり粗野で大雑把な性格だったけれど、それさえも自分しか知らない一面だと思うと甘い優越感に変わる。
清々しいくらいに自分の見え方など気にしていないところが、一緒にいて心地がいい。ラツィエルのことも個として見てくれたし、誰かと比較なんてしようとすら思っていなかったのだろう。
そんなレーシュと結婚したいと考えたのは自然な流れだった。お互いにとってメリットも大きいだろうと踏み、若さゆえの勢いで結婚しないかと提案した。
断られても「冗談だ」と言い返せるくらいの軽さだったのは、恋愛経験がなかったゆえの臆病さが出た結果だ。
レーシュが頷いてくれた夜は家でひとり喝采を上げた。使用人には煩いと怒られたけど、父親に頼んで大急ぎで王都の屋敷を準備してもらった。
レーシュは完全に愛のない契約だと思っていたようだが、神殿で血の契約を結んだとき、ラツィエルは「誰にも取られることがない」と深く安堵したものだ。
思い出すのもつらい大失敗の初夜を経て、体の関係を結ぶきっかけさえ失ってしまったのは馬鹿としか言いようがない。
なんとなく、それほど苦も無く抱けるだろうと安直に考えていたのだ。お互いに知識のないまま挑み、そして痛がらせて心が折れた。
その後勉強に勉強を重ねたが、成果を披露する機会は十年も訪れなかった。
愛というには浅く、伴侶に恋心と家族の情を抱きながら長い期間過ごした。
二人で出かけられることを、ラツィエルがダアトに「浮かれすぎ」と馬鹿にされるほど喜んでいたなんてレーシュは知りもしないだろう。レーシュの髪に毎日触れ、着るものを選ぶことがラツィエルの得た伴侶の特権だった。
騎士団に入団してからも、群を抜いて優秀にはなれない。どこに行ってもそこそこで、近衛になれたのは家柄のおかげだ。
とはいえ、白い騎士服でレーシュと同じ場所へ出仕するのはラツィエルの誇りでもあった。
レーシュは意外にも仕事好きで優秀で、すぐに出世し宰相である父の下で真面目に働いていた。
レーシュの優秀さはラツィエルをみじめにしない。それは毎朝だらしないレーシュを見て、ラツィエルが整えてあげている習慣があるからかもしれなかった。
もちろん、既婚者となってもレーシュに寄ってくる有象無象を影で追い払うのもラツィエルの仕事だ。
職場が同じでレーシュが社交界に出たがらない性格だったおかげで、それほど大変だと感じていない。むしろ夫としての優越感も味方して、ラツィエルは嬉々として男どもを蹴散らしている。
でも近頃、大人の色気みたいなものをレーシュが纏いはじめたことに誰もが気づいている。ラツィエルも歳上の妻の魅力に時折くらくらしているほどなのだから。
そしてそのせいで、レーシュの周りはにわかに騒がしくなっていた。
麻薬の件で合同調査を始めて以降かもしれない。酔っ払ったレーシュに煽られてキスしたり、媚薬に侵されたレーシュと……
ラツィエルはそれがレーシュの色気に惑わされたせいだと思っている。
どうしたんだ、三十歳になると人はみんな急激に色気が出てくるものなのか。そんなわけあるか。
とにかく、そんな状態になっても自覚が甘いレーシュを守るべきは、伴侶であるラツィエルなのだ。
ずっと一番になれず諦めていたラツィエルは今、本気でレーシュにとっての一番になりたいと強く願っている。
(頼むから無事でいてくれ……っ)
レーシュに一番早い馬に乗って行かれたのは正直痛手だった。それでも、あまりスピードを出したがらない馬と共にラツィエルが王都に辿り着いたのは、レーシュが到着してから僅か後のことだった。
雨の勢いが強い。周囲の音をかき消してしまうような雨音に、ラツィエルは舌打ちした。出発したのが数時間差なら途中レーシュに追いつけるかと踏んでいたのに、結局途中で捕まえることができなかった。
レーシュも休みなく移動したらしいと分かって、その必死さに胸が痛くなる。
(どうして一人で頑張ろうとするんだ。俺を頼ってくれよ……!)
屋敷と神殿で一瞬迷ったものの、ラツィエルはまっすぐに神殿へと向かうことにした。生命の樹 のところには行ったことがなく未知の場所だったが、子供のことを考えたレーシュが向かったとすればそこに違いない。
礼拝堂の入口へは向かわずに反対側へ回ると、小さな案内表示がある。地下へと下りる階段があったのは意外だった。
階段を下って辿り着いた部屋は驚くほど広く明るく、そして神聖な空気に満たされた空間だった。胎樹は横に大きく、生き生きと茂っている。チリンチリン、と鈴の音が絶えず鳴り響き、遠くに聞こえる雨音と重なって神秘的な空間を彩っている。
この空気感はおよそ人がどうこうできるものではない。神の力が及ぶ場所だと、はっきり感じた。
濡れた上着は脱いで来たが、革靴はひどく濡れている。このまま下りてこの場所を汚していいものかと、ラツィエルは逡巡した。石造りの階段を振り向けば、自分のつけた足跡がはっきりと見える。
そこであることに気づき、ハッと息を呑んだ。濡れた足跡の近くに、乾き切っていない別の足跡が残っている。
「これ、もしかして……」
ラツィエルの足跡よりも小さく、同じくらいびしょ濡れで来た人がいるとわかり、それがレーシュの足跡だとラツィエルは直感した。ここへ来たときと出て行ったときの、往復した足跡がある。
もうここにはいないということだ。
それならとラツィエルが急いで外へ向かおうとしたとき、背中をトンと誰かに叩かれた。
「誰だ!? ……っと、神官様」
白い服を着た神官が静かに佇んでいた。一見穏やかな表情に見えて、目は何かを訴えている。
喋れないのか彼は脇に抱えていた本から辞書のようなページを開き、ラツィエルに文字を指し示す。指先の文字を目で追うと、「急いで」と書かれていた。
「急いでって……どういうことでしょうか?」
ラツィエルが尋ねても、彼は口を開かない。しかし階段の上を指さしたのを見て、ラツィエルはレーシュを追いかけろと言っているのだと察した。
感謝を伝え、階段を駆け上る。神殿の外に出て周囲を見渡しても、誰もいない。雨音が煩く、誰かの気配さえも感じられなかった。
いったいここからどこへ向かったのか。屋敷なのか? ラツィエルは思わずその名を呼んだ。
「レーシュ……!」
「ヒヒンッ」
「っ! ゼファー!」
ラツィエルの声に反応したのは馬のいななきだった。大きな木の下で雨宿りをしていたらしく、ラツィエルの方へ歩み寄ってくる。
レーシュが乗って行った馬、ゼファーの姿が見えた瞬間(よかった……!)と、深い安堵が胸の内に広がった。だがレーシュの姿を探すも、人の姿は見えない。
ゼファーの背には簡単な荷が括り付けられていたが、その持ち主はいない。安堵は雨に掻き消されるように流れて行った。
「なぁ、レーシュはどこへ行ったんだ?」
「ブルルッ」
答えてくれるはずもない。しかしゼファーが少し離れた場所へ歩いていくのを追いかけると、ぬかるんだ地面にいくつもの足跡が混じり合っている場所を発見した。
(まさか、誰かに襲われた? 攫われたのか? 一体誰に?)
レーシュの美貌に惑い突発的な行動に出る男は何度も見てきたが、ここには少なくとも四人は集まってきたような形跡がある。おそらく計画的な犯行だ。
今にも消えそうな足跡を辿ってみたが、草むらと泥になった土ですぐにわからなくなってしまった。方向的に、南の門から出ていったと考えていいだろう。
手当たり次第探そうかと考えたが、相手が組織的に動いていればラツィエル一人など簡単に躱されてしまうに違いない。
ラツィエルは険しい表情で、外に向かおうとしていた足を王宮の方へ向けた。
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