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第29話 覚悟しておきなさい

 王宮へ入ると、まだ誰もが勤務中だからか人は多かった。ラツィエルはかなり強引に休暇を取ったため、同僚に会わないよう歩くルートを選んで足早に宰相執務室へ向かう。  しかし宰相の椅子には誰も座っておらず、焦りが大きくなった。多忙な父は、ここに座っていることの方が珍しいとレーシュも言っていたか。 「くそっ、どこにいるんだ……!」  今この瞬間にも、レーシュに何をされているかわからない。ラツィエルは最悪の想像をしそうになって、とにかく行動せねばと補佐達のいる事務室の扉を開けた。 「ラツィエル! どうしてここにいるんだい!?」 「父上……! レーシュが、何者かに攫われました」 「なんだって!?」  そこにはレーシュを除いた補佐たちと、宰相のハニエルがいた。簡素な机の上には大量の書類が重ねられており、未だ密売人に関する調査が続けられているらしい。  機密事項が多いため、報告はこちらで行っているようだ。  だが今はそれどころじゃない。ラツィエルはレーシュが領地から単身王都へ戻り、神殿近くで攫われたと思われることをかいつまんで説明した。 「手掛かりは全くないのか?」 「複数人……多分四、五人の足跡はあった。一つはレーシュだとすれば、それだけの人数に攫われたんだろう。あとは、馬で南の門から出て行ったことくらいしか……門番の衛兵にも聞いたが、複数人の出入りは何度かあって、レーシュらしき人は見ていないそうだ」 「順当に考えれば、荷物かなにかで隠されて運び出された可能性が高いね。目的は、レーシュ? それとも……?」  ハニエルに尋ねられて分かっていることを答えると、ミンテが推測を口にする。  確かに目的さえわかれば対処のしようがある。が、ラツィエルは焦りと混乱でまともに考えられそうになかったためここへ来たのだ。  自分が父とは違って天才的な頭脳を持っていないことはラツィエル自身よく知っていた。 「離縁の噂で騒がしかったから、レーシュに恋焦がれた男が勢い余って攫ったんじゃないのぉ? ただでさえ超絶美人なんだもの」 「レーシュも突発的に行動していたんだろう? それを予測して捕まえるって、恋というよりもっと重い執着心だと思うんだが……」  ビナーとテットがレーシュに懸想した男の可能性について話す。これまで何度もレーシュに近づいてくる男を蹴散らしてきたから、ラツィエルもその可能性を考えなかったわけじゃない。  とはいえ複数人の、おそらく本人ではなく手下を使った計画的な犯行に至るなんてやりすぎだ。  というか、離縁の噂って……? そういえば遠征前、レーシュが公開告白されている場面に遭遇したが、それだけじゃなかったのだろうか。  ラツィエルが数週間前の出来事を思い出そうとしていると、ミンテがまた口を開く。 「待って。その線も否定しきれないけど、そもそもレーシュの家には麻薬密輸の嫌疑がかかっていた。それ自体が犯人の策略に違いないし、僕たちが疑いをほとんど晴らしてしまったけど、犯人はやっぱりレーシュに罪を負わせたいんじゃ……?」 「私も、レーシュだけが目的だとは思わないな。その場合、レーシュの無事や安全を交換条件とする身代金や何かしらの要求が届くだろう。宰相である私か、夫であるラツィエル、お前に」 「……!」  ハニエルが頷いて、確信を得ているかのようにラツィエルを見て告げる。一連の事態が偶然とは思えず、繋がっていると考えるのも言われてみれば当然だった。  麻薬の卸し先を摘発されてもトカゲの尻尾を切るのみで今も巧妙に逃げ隠れている貴族なら、レーシュひとり攫うくらいお手の物だろう。  ハニエルの家族のうち、一番攫いやすいのがレーシュだったに違いない。この国で絶大な権限を持つ宰相に交換条件を提示する最高のカードを、彼らは手に入れたことになる。 「命は取られないだろうが……覚悟しておきなさい」 「……父上……!」  ラツィエルだけでなく、そこにいる全員が息を呑む。  ハニエルの言いたいことは嫌というほどわかっていた。レーシュの容姿は、誰が見ても美しすぎるのだ。  命は無事だろう。交渉に入るまで大怪我もさせられることはないと思われる。  ただし捕まえた貴族が好色な男だったら……もしかしたら元々好色じゃなくても、レーシュの貞操が危ないことは考えなくてもわかる。  ラツィエルは奥歯を噛みしめ、震える両手をきつく握りしめた。そうでもしないと暴れまわって部屋のものを壊したり、容赦ない発言をした父親を殴ってしまいそうだったからだ。それほどの激情が身の内に渦巻いている。  レーシュが一人で王都に向かってしまったのは、ラツィエルに信用がないからだ。少し伴侶に近づくたび浮かれてばかりでレーシュの悩みに気づけなかった。  すぐ自分のことでいっぱいいっぱいになって、避けてしまったこともある。そんな甘さが今回の事態を招いてしまったといっても過言ではない。 「連絡はすぐ取れる状態にしておくから、一度家に帰りなさい。ひどい状態だよ」 「……はい」  濡れたマントは馬と共に置いてきたが、移動による疲労と汚れは見た目にも明らかだ。ラツィエルが事務室を出ると、ミンテが追いかけてきたので宰相室で立ち止まる。  ミンテはレーシュの相手をよくしてくれている。ラツィエルは彼を信用していた。 「ラツィエル様、あの……今回の件とは関係ないのですが。おれ、この前レーシュに余計なこと言ってしまって……。サロンでの事件のあと、高級娼館からあなたが出てくるのを見かけたんです。それで、レーシュが以前離縁するかもって言ってたこともあったからコーヒーハウスでその話をレーシュにしたら、『離縁する』って部分だけ誰かに聞かれていたのか一気に噂が広まって……申し訳ありません」 「ああ、そういうことか。ミンテのせいじゃないから、気にしないでくれ」  ……なるほど。例のコーマとかいう騎士がレーシュに告白したのも噂のせいに違いないし、ラツィエルが遠征でしばらく王都を離れている間多くの男たちからのアプローチがあったのだろう。  子供のことに加えて余計な心労を与えてしまっていたと知り、さらに落ち込む。果たして今から挽回できる余地はあるのか、とにかく必ずレーシュを自分が救い出さなければと思う。 「レーシュが見た目のわりにいつも隙ばかりなのって、ラツィエル様が陰ながら守っていつも甘やかしてくれているからですよね? レーシュは鈍感ですけど……ラツィエル様のことを信じて待っていると思います。離縁なんて、しないですよね?」  ミンテの言葉には、そうであってほしいと願うような響きがあった。ラツィエルたち夫婦の事情は知らないのだろうが、自分の想いを見透かされている心地になる。  ラツィエルはミンテの目を見て答えた。 「ああ。絶対にしない」 「よかった……。絶対、助けましょうね。あとこれ、ハニエル様がまた貰ってきたお菓子です。ろくに食べていないでしょう?」  レーシュに「別れるのは、寂しいかも」と言われた瞬間から、離縁なんて絶対にしてやるものかと思っているのだ。  そもそもラツィエルのためだとか意味の分からない理由で離縁しようと提案してきたレーシュだ。「俺のためなら死ぬまで一緒にいてくれ」と言ってやりたかった。  もしかしたらほんの少しだけ、レーシュの心もラツィエルの方を向いているのかもしれない。一連の件で嫌われてしまっていなければ……すべてが終わったあと、レーシュに気持ちを伝えたい。 (だから、どうか無事でいてくれ……!)  ミンテに手渡された包み紙から取り出した焼き菓子を口に入れながら部屋を出ようとすると、向こうから突然扉が開きぶつかりそうになった。瞬時に身を引く。  ラツィエルに気づかなかった文官は両腕いっぱいに手紙を抱えている。  外から届いた手紙を王宮内の各人に届ける役割なのだろう。彼は補佐官のミンテを見つけて話しかけた。 「宰相様はいらっしゃいますか? 差出人不明の手紙なのですが……念のためお届けしようかと」 「「いる!!」」  ラツィエルとミンテは同時に叫んだ。驚く文官から手紙をもぎ取り、事務室に逆戻りした。

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