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第30話 レーシュも分かっている
ハニエルが手紙を開封し、みんなにも聞こえるよう読み上げてくれた。差出人は、やはりレーシュを攫った犯人だ。
レーシュの身柄は犯人の元にあり、解放してほしくば麻薬調査から手を引くよう要求している。二日後の深夜に指定した場所へハニエルが一人で来れば、レーシュはその翌朝に王都のどこかで解放されるらしい。
断ってもいいが、断るとレーシュを輪姦してから殺す。ハニエルが一人で来なかった場合も同じ。
ラツィエルはそれを聞いた瞬間「ふざけるな!」と叫んでしまったが、ハニエルのひと睨みで口を噤んだ。
「ここにいない犯人に煽られて、冷静さを失ったら相手の思う壺だよ」
「…………」
「でも、ハニエル様が行くだけで麻薬調査から手を引くって保証になるかしら? 書面でも交わすとか?」
「わからないの? ……口封じをするつもりなんだよ。ハニエル様を」
「そうだろうねぇ」
「「っそんな……!」」
ビナーの疑問にミンテが答え、ハニエルが同意する。ビナーとテットが悲鳴のような声を上げ、ラツィエルも声こそ出さなかったが背筋を冷たいものが駆け下りた。
レーシュのために行ってくれと言えばハニエルが殺され、危ないから行くな、あるいは自分もついていくと言えばレーシュが殺されてしまう。
そもそもレーシュが本当にそこにいて約束通り解放してもらえるのか、今はまだ無事なのかも怪しいところだ。八方塞がりの状況に頭が痛くなる。
(本当に最低のやつらだな……!)
「私は行くつもりだよ。交渉は得意なんだ」
「ハニエル様、駄目に決まってるじゃないですか! もちろんどちらも死なせられません。手紙になにか犯人の手がかりはないですか?」
行くと言うとは思っていたが、ハニエルが交渉する余地を与えられるとは思えない。ミンテが即座に否定し、ハニエルから手紙を受け取る。そのとき封筒の中からもう一枚の紙がふわりと落ちてきた。
『私は無事です。お父様が、助けてくれることを信じています。怖くてなみだがとまりません。 レーシュ』
「ご丁寧に、レーシュからの手紙が入ってたのか。確かにレーシュの字だけど……」
「レーシュらしくない文面だな」
「犯人に言われたとおり書いただけなんじゃないの?」
レーシュが交換条件をどこまで知らされているのかは分からないが、ハニエルに甘えるような言葉や怖いとか泣くとか、レーシュがあえて書くとは思えない。
わざわざ涙で滲みを作る丁寧さだ。本当に泣きながら書いたのなら可哀想だが、うまく想像できない。
ラツィエルはレーシュの状況を想像しながら手紙を凝視した。怖いのは間違いないだろう。しかしハニエルが読むとわかっていて、この殊勝な内容を自分で考えて書いたのか?
逆さまからじっとレーシュの字を見つめていると、どうしても違和感を覚える部分に気づく。
「なんか変じゃないか? この手紙……子供みたいな綴りとか、この滲みの位置が……狙ったように見える」
「あ! ラツィエルさんそれだよ! 滲んでる部分だけ読めば……『お父様 く る な』……」
「……レーシュも分かっているんだね。気丈な子だ」
ミンテが即座に理解し、滲みのある部分だけを読んでくれる。レーシュが本当に言いたかったことを知ってしまうと、ぐっと喉の奥が痛くなった。
ハニエルはレーシュの頭を撫でるみたいに手紙を指先で撫で、ミンテがずびと鼻を啜る。ラツィエルは体が震えるのを止められなかった。
何か、何かできることはないのだろうか。
時刻はもう夕方に近く、指定された時間まであと二日と少しだ。犯人の足掛かりを掴むには短いし、捕まっているレーシュのことを考えると長い。
ラツィエルはもう一度屋敷に帰るよう勧められ、今度こそ帰ることにした。明日の朝また来ると言ったが、夜の間に自分でもできることを探すつもりだ。疲労感はあるが、寝られるはずがない。
みんなに背を向けて扉の方へ向かってから、ラツィエルはひとつ思いついて振り向いた。
「なあ、レーシュの手紙……俺が持って帰ってもいいか?」
自分でもどうしてそうしたいと思ったのか、わからない。これが最後の手紙になるかもしれないなんて不吉なことは考えていないが、今のレーシュを感じられるものを欲しかったのかもしれない。
ラツィエルは渡された手紙を大事に胸元へ仕舞った。
屋敷に帰りつくと、使用人たちが驚いた顔をして出迎える。
「ラツィエル様!? 奥様のご生家にいるのではなかったのですか?」
そういえば遠征から帰ってきたのは三日前の晩だった。その間に二日かかるはずのレーシュの生家を往復しているのだから、我ながらなかなかの強行軍だ。
しかし当然それくらいで動けなくなるような鍛え方はしていない。近衛騎士の中には体力を使う仕事はほぼないからと訓練で手を抜いている奴がいるものの、ラツィエルはそこに含まれていなかった。
「色々あってな。すぐに湯浴みしたい。準備してくれ」
「奥様に追い返されたんじゃないですよね……?」
「ははっ。違うよ」
準備に走っていった者以外は心配そうに見てくるから笑ってしまう。張りつめていた気持ちが少しだけ緩み、やっと冷静に物事を考えられそうな気がした。
身を清め、清潔な服に着替えるとラツィエルはこっそりとレーシュの部屋に向かった。堂々と向かっても問題ないはずだけれど、使用人に見つかると「いないのに夜這いした」なんて面白がられるに決まっている。
明日戻ってくるはずのダアトは別だが、レーシュが攫われてしまったことは使用人に伝えるつもりもなかった。
使用人によって綺麗に整えられている部屋に、手掛かりがあるとは思えない。ラツィエルはただレーシュの存在を少しでも感じたいだけなのだ。
扉を開けると、部屋からは仄かにフリージアの香りがする。彼をイメージしてラツィエルが見繕った香油や石鹸を、レーシュが十年間使い続けているからだ。
(レーシュは匂いに敏感だからな……いい香りで、かつ強すぎない香りのものを探すのは大変だった)
思い返せば髪の染め粉が臭いとか、街の焼き菓子店から変な匂いがするとか、ラツィエルの気づかないところまでよく指摘していた。
レーシュは今、どんな環境に置かれているだろう? 少しでも快適な場所だといいが……望みは薄い。
ラツィエルはふと、手に持っていたレーシュの手紙の匂いを嗅いでみた。少しでもレーシュの居場所の匂いが分かるのではないかと思ったのだ。
「ん……?」
ほんの僅かに甘い香りがする。レーシュの纏う花の香りではなく、菓子みたいな甘さの。
「――まさか!」
その瞬間、王宮でミンテにもらった焼き菓子の匂いと頭の中で繋がった。焼き菓子といえば、すぐに思い浮かぶのは王都の街中にある『マッチョおじさんの焼き菓子店』だ。
マッチョというのは筋肉隆々の俗語で、騎士の中でも親しい間柄で誉め言葉に使うことがある。
そこまで考えて……ラツィエルは直感した。
(密売人が証言した相手の特徴も、似たような感じじゃなかったか……!?)
密売人は相手が貴族だと思わされていたようだが、相手が貴族らしい服を着ているだけで、平民なら簡単に惑わされるだろう。貴族と密売人の間にはさらに仲介者がいて、それが焼き菓子店の店主だったのかもしれない。
貴族も買いに訪れる焼き菓子店なら貴族と繋がりがあってもおかしくないし、あの場所なら密売人に麻薬を売り渡すのも容易だろう。
確信はない。もう一度手紙に鼻を近づけてみても、知った匂いがすると信じたいだけのような気がしてくる。
あの場所にレーシュがいるとも思えない。とはいえ僅かでも関係している可能性があるのならば、確認しに行ってみるだけの価値はあるはずだ。
ラツィエルはもう一度着替え、念のため短剣を身に着けた。またこそこそと家を出て、ラツィエルが連れ帰った二頭の世話をしてくれていた馬丁にだけ声をかける。
別の馬を借りようかと思っていたものの、なぜかゼファーが他の馬を押し退けてラツィエルについてこようとした。
「ゼファー、お前……走れるのか?」
フンッと鼻息で返事をされ、彼を連れて行くことにした。全速力で駆ける予定もないし、レーシュを探したい気持ちは一緒かもしれないと珍しく感傷的になったからだ。
馬丁に心配そうな表情で見送られながら、ラツィエルはゼファーに跨った。
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