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第31話 パン屋通りの端
夜の街は今日も街灯に明るく照らされ、人々で賑わっていた。ラツィエルがどんな心境でいようとも、レーシュがどんな状況にあろうとも、ここには夜を楽しむ人たちの日常がある。
ラツィエルは道中何事もなくパン屋通りの端へと辿り着いた。馬は少し離れたところに待たせている。
例の焼き菓子店は、以前見たときと同様に真っ暗で閉まっていた。
(建物の構造的に、二階部分も店主が借用しているか、所有しているかもしれないな……)
一階部分は店舗だろう。店を観察し、外から二階へ上がる階段がないか探してみると容易に見つかった。
(中も確認したいな。……行くか)
最悪バレても酔っ払ったふりで対処しよう。そうすぐに判断してラツィエルは建物の陰に体を滑り込ませた。
中には一人分の幅しかない狭い階段があり、上がった先左側にも扉が見える。ここへ来てようやく、ラツィエルは焼き菓子の甘い匂いと上階にある人の気配を感じた。
今日食べた焼き菓子と同じ匂いがしている……気がする。人の気配は二、三人だろうか? 声の響きが低いため男性のようだ。
ただの住人ならいい。麻薬や、レーシュに関係していないことが確認できればいい。
そう願いながら、ラツィエルは音を立てずに階段を上る。しかしあと一歩で上り切るところで、下の入口から声が聞こえた。
「おい! 侵入者だ!」
「……っ」
大声で叫ばれ、室内の者にも聞こえただろう。すぐ見つかってしまったのは運が悪かったが、やはりここは良からぬことを企んでいる人たちの根城に違いない。
ここに味方はいない。下へ降りて行って逃げるのが定石だが、ラツィエルは室内を確認せずにはいられなかった。
相手が行動を起こす前にと上階の扉を押し開け、中にいた男たちと相対した。後ろ手に錠を下ろす。
さっと室内を見渡すも、立っている三人以外に人はいない。しかし作業台の上には葉巻が何本も転がっており、箱詰め作業の途中のようだった。国内産の葉巻がこんなところで箱詰めされているはずがない。
(……当たりだ)
相手はみなナイフを持っていたが、マッチョというほどでもない体格だ。人相に見覚えがあるので、以前レーシュがスリに遭ったとき、囲んできた男たちかもしれない。
下から男たちがやってくる前に片付けないといけないが、相手は三人だ。ラツィエルは隠した短剣に意識を向けながらも気弱そうに眉を下げ、両手を上げて見せた。
「ははっ、悪い。酔っぱらって家と間違えただけなんだ」
「おいおい、ほんとかよ? それだけお綺麗な顔ってことはお貴族様だろ? とりあえず、ありったけの金を出せ。額によっては命だけは助けてやるかもな」
「ひぃ……」
怯えて後ずさったふりをして、財布を探すような仕草で一人の男を引き寄せる。完全に油断した顔が間近に迫った瞬間、後ろの二人から見えない位置で膝を相手の股間に蹴り入れた。
「へぐっ……」
「えっ、ど、どうしたんですか!?」
ラツィエルは驚いた声を出した。
股間を押さえて倒れる相手の体を支えるようにして、腹に拳をめり込ませる。男が「こいつ……」と言おうとした声は言葉にならなかった。
状況を理解できていない二人は唖然としていたが、一人は様子を窺いに近づいてくる。
「おいっ、抵抗するなら殺すぞ!」
「ひいい! するわけないじゃないですか!」
かなり疑いの目で見てきているが、まだ相手には侮りがあった。ナイフを持って振り上げた腕に怯えるふりをして足払いをかけバランスを崩させる。
手首に手刀を入れればナイフが落ち、それでも転ばずに反撃しようとしてきた男の頬を自分の短剣の柄で強かに殴りつけた。
男が倒れる瞬間、ドン! と外から扉をこじ開けようとする激しい音が聞こえる。一瞬気を取られたラツィエルは、もう一人の男がナイフを両手で持ち突進してきていることに気づくのが遅れた。
「死ね!」
「死ぬかよ!」
さっと身を躱し、ナイフを持って相対する。互いに向かって足を踏み出したのは同時だったが、厳しい訓練を耐え抜いた騎士の剣に勝てる者はそういない。
直後、男はカランとナイフを取り落とし、血をだらだらと流しながら倒れている。
(あと何人だ……)
ラツィエルは自身の二の腕に止血の布を巻く。休む暇もなく、壊されて開いた扉から男たちがなだれ込んできた。
「はぁ……」
最後の一人を倒すと、口から大きなため息がこぼれ落ちた。訓練など受けていない破落戸だったからよかったものの、室内で同時に何人も相手をするのはさすがに骨が折れた。
ラツィエルは中でも一番偉そうだった三人目の男の頬をぺちぺちと叩いて起こす。
「おい、起きろ」
「う、ぐ……痛ぇ、痛えなおい!」
もちろん死なないよう加減はしたが、脇腹から出血しているわりに元気そうだ。時間をかけたくないラツィエルは男の肩関節を外した。
途端に野太い叫び声が室内に響きわたる。
「ぐあああああ! なんだ! 目的はなんだよ!」
「お前たちに麻薬を渡している貴族は誰だ」
「は? それはアルデンヌ……あ゛ああああ! やめろ!」
「嘘を吐くともう片方も外すぞ? 俺はお前が死んだって構わないんだ」
ラツィエルが外した関節に体重をかけると、男の顔が真っ青になる。ここで麻薬入りの葉巻に関する作業をしているなら、必ずそれを指示した人がいるはずだ。
「待て、待て! ひぃぃっ、話すから! ……そもそも俺らは貴族なんかに会わない! 下の店をやってるルゴーンが色々仕事を持ってくるんだよ。でも俺はあいつが相手と話しているのを聞いたことがある。確か、えーっと……『侯爵様』とか言ってた」
「……どこの侯爵だ」
「知らねぇよ! そっちの方が詳しいんだろ!? なんか一瞬聞こえた気がするんだけどよ……セー……」
「っ! セーデル侯爵か」
「ああそうだ! 多分、そうに違いねぇ!」
男の記憶を完全に信じたわけではないが、元々ハニエルが怪しいと言っていた家のうち一つがセーデル侯爵家だった。ほぼ間違いないだろう。
確かセーデル侯爵家の王都邸は、ハニエルの住むゴットフリート伯爵邸からそう離れていなかったはずだ。
ラツィエルはすぐにでも向かいたかったが、向こうも十分警戒しているに違いない。
一人で向かってレーシュを安全に救い出せるかというと怪しく、大丈夫だと百%の確信が持てない限りは一人で行動すべきではないと自分を抑えた。ラツィエルが先走って行動することでレーシュに何かあったら、耐えられない。
かといって明日王宮でみんなと集まるまで何もしないでいられるかというと、そんな選択肢はなかった。ラツィエルはならず者だらけの二階から降り、夜警の警吏を呼びに行く。
ひと段落ついてからゼファーを迎えに行って跨ると、「ここで放置するな」と言わんばかりに鼻を鳴らされた。
「悪い悪い。もう少し付き合ってくれるか?」
そこから自分の屋敷には向かわず、以前ジュノンが住んでいると聞いたことのあった家に向かう。生家は遠くにあるという彼は、第二騎士団の宿舎ではなく小さな家を買って一人暮らしをしているらしい。
街から第二郭の門へと戻る途中にある住宅街に入り、ドアノックを鳴らす。まだ深夜には早く、起きてはいるだろう。
「ラツィエル……? どうしたんだ急に。っ怪我をしてるじゃないか!」
「遅くにすみませんジュノンさん。ひとつわかったことがあって、まず誰かと情報共有したくて……」
ジュノンは驚いていたがラツィエルの上腕の怪我に気づき、すぐに中へ通してくれた。
突然訪問して申し訳なかったけれど、屋敷に帰っても状況を話せる相手がいなかったためこうして来てしまったのだ。
「ラツィエルさん!? どうしたんですか!」
「ミンテ……?」
足を踏み入れた居間にはなぜか、寛いだ格好のミンテがいた。彼はジュノンと付き合っていると衝撃的な事実を明かしたが、そんなことはどうでもいいと言わんばかりにラツィエルに詰め寄ってくる。
「なにがあったんですか!」
「街に焼き菓子店があっただろう。店主が貴族から例の葉巻を受け取って、あそこの二階で出荷の準備をさせていたらしい。そこから密売人に流れて行ってたって訳だな」
「……! 一人で調べたんですか!?」
「ミンテ、落ち着いて。ラツィエルも座ってくれ、酒でいいか?」
ジュノンがさり気なくミンテの肩を引いて座らせる。
ラツィエルは喉の渇きを思い出し、出されたワインをごくごくと呷った。レーシュの手紙から怪しいと感じた焼き菓子店を見に行くことにした経緯を説明する。
「黒幕は多分、セーデル侯爵だ。明後日を待たずにレーシュを救出に行きたいが、とにかく落ち着かなくて……すみません。話だけしに来てしまいました」
「……気持ちはわかるよ。けど、帰って少しでも寝た方がいい。それにその腕も、屋敷に診てくれる人がいるって言ってたよな? ちゃんと治療してもらって、明日みんなで作戦を立ててレーシュさんを助けに行こう」
全くの正論に、頭を下げる。ラツィエルはそこから屋敷へと戻り、ダアトがいないことを思い出して自分で適当に手当てをした。
全身の疲労はピークに達していて、目を閉じると浅い眠りが波のようにラツィエルを攫った。
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