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第32話 助けるのは夫である俺の役目

 二時間ほど眠り、日も昇らぬうちから起き出したラツィエルは一人静かに身だしなみを整えた。上腕部の傷は熱を持っていたが、包帯できつく縛っておく。ダアトが帰ってきたらひどく怒られそうだ。  水を貰いに厨房へ行くと、仕込みをしていた料理長は目を丸くしていた。すぐに出かけると伝えたものの、「これだけは」と懇願されてパンとスープを出される。  湯気を立てる透きとおった色のオニオンスープを見ると、かつて二日酔いでよれよれになっていたレーシュの顔を思い出す。  青い顔をしていても、美神が愁いを帯びた表情をしているようにしか見えなかった。それをボサボサの髪が台無しにしているのだけれど、それがラツィエルの愛してやまないレーシュなのだ。  必ずや、今日のうちに助け出したい。レーシュのいるべき場所はこの家で、ラツィエルの隣であって欲しい。  腹の中が温まると、全身に沸き立つような力が漲ってくるのを感じた。  凡人で、凡才の自分にだってできることはある。己の力を過信せず、周囲と上手くやれるのがラツィエルの長所だ。  父親や仲間たちの助けを借りれば、レーシュの救出と犯人の捕縛は決して不可能なことではない。  ラツィエルは料理長に礼を言って屋敷を出る。  ――今日、帰ってくるときはレーシュと一緒だ。  騎士団の訓練場で体を動かし、それでも早すぎる時間に宰相執務室へ向かうと、うず高く積まれた書類に埋もれるようにしてハニエルが座っていた。 「父上、もしかして帰っていなかったのですか」 「やはりセーデル侯爵家に違いない。見て、この報告書は一見しておかしくないように見えるけど、こっちの数字とは僅かに合わないんだ。疑ってみると同じようなものがたくさん見つかった」  ハニエルの見せた資料を見てもラツィエルにはよくわからなかったが、父親がレーシュのために一晩中考えてくれていたことはわかる。また、セーデル侯爵の妹はイェツラー人と駆け落ちしたという噂もあったそうだ。  ラツィエルも昨晩の発見をハニエルに伝えた。 「……ですから、俺もその侯爵家が怪しいと考えています。――父上、俺はレーシュの居場所がわかっているならもう一日も待てない。今日動けるよう取り計らってくれませんか」 「ラツィエル。レーシュが屋敷外にいるとは考えないのかい? まあ、それを確かめるためにもあの男を捕まえないとね。レーシュは私にとっても可愛い息子なんだ。早速作戦を立てよう」  ラツィエルを見上げてくる深緑の目には闘志が宿っていた。二人で額を突き合わせて話していると、ミンテがやってくる。  昨晩ラツィエルが押しかけてしまったからだろうか、まだ早朝といえる時間にもかかわらず来てくれたことが有難い。彼は「夜のうちにセーデル侯爵家を見てきた」と告げた。 「は……あれからか!?」 「はい。とにかくどんな屋敷なのか見ておきたくて、馬を出してもらいました」  なんて危ないことを。まあジュノンがいたのなら、大丈夫か……  ミンテはセーデル侯爵邸を見たことがなかったため、外周をぐるっと見てきたらしい。ラツィエルがハニエルと作った手書きの見取り図に詳細な情報を追加していく。 「ジュノンさんは?」 「人の出入りの感じを見たくて、まだ屋敷のそばで見張っています。始業時間にはやってくるはず」 「……感謝する」  こそこそとミンテに話しかけると、まだジュノンはあちらにいるようだ。あの人なら上手くやってくれるとは思いつつ、危ない橋を渡らせて申し訳ない。  ただ、頼まずともみんな積極的に協力してくれることは非常に心強かった。ラツィエルはレーシュが想像以上に職場で愛されていると実感する。見た目とは関係なく、真面目に共に働いてきたからこその結果だろう。  その後やってきたジュノン曰く、使用人の出入りする通用口は屋敷の裏側にあるという。この辺りはどこの屋敷も一緒だ。しかし早朝その通用口から、やけにガタイのいい男が一人で荷物も持たずに出てきたという。  雇われている護衛だろうと思いつつジュノンはあとをつけた。すると男は第二郭を抜け、街中のある場所へとたどり着く。そこは……『マッチョおじさんの焼き菓子店』だ。  ラツィエルが夜警を呼んだあとだったため、その周辺には警吏がたむろしていた。男はそれを見て方向を変え、どこかへ走り去ったという。  もう周囲は明るかったし、ジュノンは尾行がばれると思い追わなかった。ただ、セーデル侯爵と焼き菓子店の店主らしき男の繋がりが見えただけでも十分な成果だ。  またハニエルの情報網のおかげで、今夜、セーデル侯爵が公爵家の夜会に参加するという情報を得られた。  侯爵が不在にしている間に屋敷を押さえ、レーシュを救出する。公爵の立ち位置がわからないため、侯爵は夜会から帰ってきたところを拘束するという手筈になった。  現状としては侯爵を拘束するには証拠不十分だ。屋敷を捜索し、攫われたレーシュや麻薬密売の証拠を見つけなければ逆に訴えられてしまう可能性が高い。  屋敷を捜索するにもでっち上げた令状を発行してもらう。特に責任者のハニエルにとって、綱渡りの作戦だった。 「どうせ違ったら明日殺されに行かなきゃならないんだ。それと比べたらなんだってできるよ」 「はっきり言わないでください……」  屋敷に向かうのはかつて一緒に調査に取り組んでいた四人と、コーマも加わった。彼は若いが、第二では将来有望な騎士と称されているらしい。  レーシュに嫌疑がかかった際、真っ先に伝えに来てくれたことから信用できるとジュノンが推薦したのだ。雇われている護衛の人数がわからないため、正直こちら側の人数は多いに越したことはない。 「ぼくは、レーシュさんを命がけで救いに行きます!」 「おい、レーシュを助けるのは夫である俺の役目だ」 「「…………」」  セーデル侯爵家の王都邸はゴットフリート家の屋敷とそう大きさは変わらないものの、外観から権威を見せつけるような派手な装飾である。その裏手で、通用口の門は存在しないかのような質素さだった。  侯爵を乗せた絢爛な馬車が出ていくのを確認してから辛抱強く待っていると、裏から使用人が出てきた。泊まり込みではなく通いの使用人だろう。  若い女だったが拘束させてもらい、戸締りの問題を解決してラツィエルたちは屋敷内へと侵入する。 (夜会なら三時間から朝方までは帰ってこない。それだけの時間があれば余裕だろうな)  公爵家主催であれば、早々に退席することは失礼に当たる。時間的余裕は十分にあると判断し、丁寧に屋敷内の制圧を進めていく。  使用人の数は多く一部抵抗もあったが、騎士にかかれば赤子の手をひねるようなものだ。騒ぎになる前に制圧することができた。  しかし懸念していた護衛の姿は見当たらない。そもそも大公爵などを除き、普通の貴族の屋敷であれば護衛はいないものである。せいぜい見栄のため門前に警備兵を立てるくらいか。  とはいえ後ろ暗いところのある貴族なら雇っているだろうとラツィエルたちは予想していた。ここにレーシュがいるのなら、必ず……  一階は二名の騎士に任せ、ジュノンとコーマを連れて主寝室があると思われる屋敷の上階へ進んでいく。階段を上った先で右側の部屋をジュノンに任せ、左へはコーマと共に向かう。  そのときだった。 『――ゃ……っ!』  小さな、本当にかすかな悲鳴がラツィエルの耳に届いた……気がした。 「今の、聞こえたか?」 「え? 使用人の声じゃなくてですか?」  コーマには聞こえなかったという。ラツィエルは焦燥に駆られて急ぎ各部屋を確認していく。だが騒ぎに気づかず仕事をしていた使用人以外、そこには誰もいなかった。  レーシュはいない。護衛の姿もない。密輸の証拠になりそうなものも見当たらない……  侯爵の執務室は見つけたがあとから調べることにして、別れた地点に戻りジュノンと合流した。先にラツィエルが報告する。 「侯爵の部屋と夫人の部屋を確認しましたが、無人でした。二人揃って夜会へ出かけているのでしょう」 「ん……? こっちにも侯爵の部屋があったよ。雰囲気からして男の部屋だと思ったんだけど……」  ジュノンの言葉に、違和感を覚えた。使われている形跡のある、三つの私室。侯爵と夫人以外に、もう一人この家にいる……? 「確かセーデル侯爵には一人息子がいましたよね」 「ああ。でも嫡男は別邸に住んでいるという話じゃなかったか?」 「あ! ぼく、その人が以前王宮内でレーシュさんに迫っているのを見かけたことが……」  ラツィエルが問うと、ジュノンが頷いて同意する。嫡男はこの屋敷にいない前提で話を進めていたはずだ。  しかしコーマの言葉を聞いて目を剥く。もし嫡男がレーシュに目をつけていて、もし嫡男がこの家に滞在しているのなら…… (レーシュの身が危ない!)  ラツィエルはこれまで以上に焦りを感じているが、時間をかけて全ての部屋を確認したはずだった。  隠し部屋があると考えた方が自然だけれど、とにかく部屋の数が多い。使用人たちはみな口を噤んでいて、尋ねても答えようとしない。 「もうやるしかないな。若い侍従に痛い目に遭ってもらうか……指の一本や二本切り落とせば、すぐに口を割るだろう」  ラツィエルはわざと苛立ちを露わにした。剣をカチャカチャと言わせながら低い声で話す。  近くで拘束されていた若い男が「ひっ」と息を呑んだのが聞こえ、敢えて近づいて行って彼に視線を合わせる。 「……なぁ?」 「ゲモリー様の部屋です!」 「あんたっ、主人を裏切るの!?」  どさくさの演技が功を奏した。隣で縛られている侍女が声を上げたが、ラツィエルは即座に踵を返す。さっき見た部屋が嫡男のゲモリーの部屋であると、直感が告げている。  コーマと部屋に入り壁に取り付けられた全ての扉を開けてみるも、すぐにはわからなかった。 「…………」  息をひそめる。どんな小さな物音も聞き逃さないように目を閉じると、クローゼットの方からカタと小さな物音が聞こえたような気がした。  ラツィエルは足音を立てずに歩いていく。広いクローゼットには洋服がひしめき、壁がどこかもわからない有り様だった。しかし若さを感じる持ち物から侯爵ではなくゲモリーの部屋であると確信できた。  服を掻き分けて、部屋の突き当り。勘に従って探せば、壁と同色に塗られた……隠し扉があった。

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