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第33話 囚われのお姫様 Side.Rehsh
レーシュが目を覚ますと、窓のない狭い部屋にいた。体はベッドに寝かされていて、足を動かすと足首に何か嵌められているのがわかった。
(足枷……? ああ、そうか。僕は攫われて……どこだ、ここは)
体を起こすと、ひどく重怠い。殴られた腹や頬が痛かった。
レーシュは一人らしく、動こうが誰かがやってくる気配もないことに少しだけ安堵する。まずは落ち着いて状況を確認したい。
サイドテーブルには水差しが置かれていて、とりあえず水を飲む。どれだけ気を失っていたんだろう、ひどく喉が渇いていた。
「あの男たちは破落戸っぽかったけど、ここは貴族の屋敷っぽいなあ。隠し部屋とか?」
パニックに陥ってもよさそうな状況なのに、なんだか一周回って冷静だった。ここのところずっと落ち着くことがなかったからかもしれない。
一体誰が、なんの目的でレーシュを攫ったのか。自分がここ最近置かれていた状況を鑑みると麻薬関連とも考えられる。なにせ自分の兄に嫌疑が掛かっていたのだ。
(でも警吏や騎士ではなかったし……ってそれならあんな強引に攫ったりしないよな。犯人側か?)
まさかレーシュが犯人に仕立て上げられたりするのだろうか。レーシュが表に出られなければ、証言さえできない。そのうち殺されて……
想像で寒気がして、両腕で自分を抱きしめた。
これは最悪の想定だ。現時点で殺されていないだけマシだろう。すぐに殺すつもりがないなら、誰かが助けに来てくれる可能性が浮上する。
レーシュが攫われたことに、誰か気づいているだろうか? 焦って誰にも何も言わずに生家を出てきてしまったのだ。神殿でも神官以外に会っていないし、神官はおそらく外の出来事に関与しない。
(ラツィエル……)
心の中で置いてきてしまった夫の名前を呼ぶ。レーシュにとって誰よりも頼りになる人を、信じるしかない。
きっとレーシュがいないことに気づいて王都へ戻ってきてくれるだろう。屋敷にもいなければ、探してくれるはずだ。
(なんにも手掛かりがないんだけど……ハニエル様がなんとかしてくれるといいな)
誰も見ていないところで、手際よく攫われてしまった。証拠なんて残していないに違いない。
最善の想定は、犯人が捕まってレーシュも見つかることだ。しかしそれまでに何日かかるのか、はたまた何週間かかるのかはわからない。決して楽観していい状況とは思えなかった。
(このまま放置されたとしても餓死。丁重に扱われるはずもないし、拷問とか、また殴られたりしたら……いやだ……怖い!)
殴られたときの記憶が瞼の裏で再生され、ゾッと全身に鳥肌が立つ。初めて他人から受けた暴力は、レーシュの心を容易く怯えさせた。
死ぬのも嫌だけど、暴力を受けるのも死ぬほど嫌だ。
「よし、自力で逃げよう」
レーシュは自分を奮い立たせるため、あえて声に出した。
窓のない部屋、チェーンのついた足枷。それを見ただけでレーシュは逃げられないと思い込んでしまったが、敵もこの状況に油断しているかもしれない。
もっとも……
「これ、逃げられないんじゃ……?」
たった三十分程度でレーシュは諦めかけていた。やれることはやったと思う。
まず、ただ一つの出入り口である扉へ向かったのだが、足枷が邪魔をしてベッドからたいして離れられない。足枷の鍵が運よく落ちていないかな、と探してみたけれど見当たらず。
重いベッドを持ち上げ、ベッドの脚に足枷や鎖の部分を挟んで壊そうとしてみたものの、結果はお察しだ。
今度はベッドの上に乗って天井の通気口へと飛び上がってみたりしたが、全然届かない。というか通気口も小さくてとてもじゃないけど人が通れそうな感じではない。
もうそれだけで疲労感がすごく、レーシュはベッドに横たわった。長い髪が首に貼りついて鬱陶しい。革紐で一つにまとめていたはずだが、目覚めたときにはなかった。
服もびしょ濡れだった外套や靴が脱がされ、快適ではあるが心許ない。
はあ、とため息を吐いていたときだった。突然カチリと音が聞こえてきてレーシュは飛び上がる。密室だった部屋の扉が開いた。
「お待たせしたかな? お姫様」
「あ、あなたは……セーデル卿!」
「ゲモリー様と呼んでくれていいんだよ? レーシュは私のものになるのだから」
部屋に入ってきたのは、セーデル侯爵の嫡男ゲモリーだった。
ラツィエルと離縁するかもという噂が広がった際、王宮でレーシュに言い寄ってきた男のうちの一人だ。あのときは助けようとしてくれたミンテにも暴言を吐かれて、嫌な印象しか残っていなかった。
彼がここにいるということは、レーシュに対する私怨なのだろうか? でも、もしかしたら……
「あなたが麻薬の横流しを?」
「私は父のやっていることに関与していない。ただ、ちょっと協力してやったらこうしてご褒美を貰えた。ああ、レーシュ。君を好きにできるなんて夢みたいだ」
「ち、近寄らないでください!」
ハニエルの予想は当たっていた。やはりセーデル侯爵が黒幕だったのだ。
ゲモリーは恍惚とした表情を浮かべ、ベッドに近づいてくる。レーシュは震えあがった。身分や力づくでレーシュを我が物にしようとする男の表情は、これまでの人生で何度も見てきた。
彼から離れようとベッドの上を後ずさりするも、足枷がガシャン、と絶望の音を立てて阻む。
「大丈夫、私は上手いと評判なんだ。暴れるようなら薬を飲ませてあげようか」
「いやっ。やめて……!」
自らの服を緩め、ベッドに乗り上がってきた男の荒い息を感じる。思わず悲鳴を上げたときだった。
「ゲモリー、あと二日待てと言っただろう」
ゲモリーよりも低く落ち着いた第三者の声が、扉の方向から聞こえてくる。レーシュが自分の体を守るように膝を抱えたまま視線を動かすと、そこには王宮で見たことのある男性が立っていた。
「セーデル侯爵……あなたは……」
「君の身柄と引き換えにゴットフリート伯爵には麻薬調査から手を引くよう要求した。明後日の夜、伯爵が指定の場所に来なければ君の人生は終わりだ。もし来れば、伯爵の命と引き換えに君は助かる」
「そんな……!」
「君に決定権はない。ゲモリー、あと二日だ」
「チッ」
ようやく目的を理解したレーシュは、顔から血の気が引いていくのを感じていた。
ハニエルは国の政治の中心人物だ。あの人を死なせてはならない。だが……レーシュには分かってしまう。
(お父様は、僕を見捨てようとしない……)
レーシュは助かりたかった。けれどそれは、誰かの犠牲を前提としたものではない。
しかもゲモリーに再三言い含めている様子から、レーシュは助かるといってもゲモリーに手は出されるのだろう。全くもって、最悪の二択だ。
ゲモリーは侯爵の後をついて部屋を出ていき、侍女がひとり残された。レーシュは食事や風呂など最低限の世話を受けることができたものの、気分は鬱屈としていた。
(どうしよう。僕にできることは、なに……?)
レーシュはせめてもと侯爵の目をすり抜けられるような手紙を書かせてもらったが、ハニエルに「来るな」と伝えることくらいしかできなかった。
本当ならセーデル侯爵の名を伝えたかったけれど、長々と暗号文を書けば怪しまれる危険性が高い。
結局ろくに何もできないまま一日経ってしまった。あと一日で運命の日だ。
足枷を壊せないか一人のときに何度も試してみたせいで、足首に赤い擦り傷ができていた。あっちもこっちもズキズキと痛い。
レーシュは簡素な食事と湯浴み用の湯桶を与えられ、今が夕時であることを知る。
しかしそこで用意された着替えを見た瞬間、あと一日は安全でいられると考えていた自分は甘かったのだと気づく。
「こんな服……着られないよ!」
「ゲモリー様の命令です」
両手で広げると向こう側が透けて見えるような銀色のガウンだ。下着は別で、面積の小さなものだった。抱かれるためとしか思えない一式に、背筋がゾッと冷える。
侍女は必要最低限しか喋らず、レーシュの脱いだ服を持って部屋を出て行ってしまった。
ゲモリーはセーデル侯爵の指示を聞くつもりがないらしい。もしかすると、今晩は侯爵が夜会かなにかで不在なのかもしれない。どうしよう……
レーシュは全裸でいるわけにもいかず、仕方なく用意されたものを着た。
「うわぁ……三十のおっさんが着るものじゃない……」
レーシュの美的感覚もなかなかだが、これはひどい。ゲモリーはレーシュを抱く気でこれを用意したのだと思うと、気持ち悪くて肌が粟立った。
なによりラツィエル以外の人間に肌を許すなんて、本当に無理だ。でもレーシュが抵抗できる相手かというと、体格的にも状況的にも難しい。
レーシュは扉の方へ視線を向けた。あそこから、ゲモリーが現れたら。もう、諦めるしかないの……?
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