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第34話 俺の妻によくも触れてくれたな?

「うっ……ん……!」  悩ましい声を上げて、レーシュはこめかみを伝う汗を手の甲で拭った。 「は、っ……あ……もうちょっと……!」  全力でベッドを引っ張り、押し、扉と壁にぴたりと沿わせてしまう。ようやくひと仕事を終えたレーシュは、ベッドの上にぐったりと横になった。  自分の腕力の無さが情けない。いやベッドが重すぎるんだ。  そんな文句を垂れながら、レーシュは真っ白な天井を見つめた。 (これで誰も入って来られない……けど、なんの解決にもなってないよね……)  とにかくゲモリーを拒否したい一心で思いついたのが、ベッドを動かすことだ。足枷でベッドから離れられないならベッドごと動けばいいのだと思いついて実行に移してみたけれど、想像以上の重労働だった。  ようやく手の届いた扉には、なんと鍵がかかっていなかった。が、ベッド付きのレーシュが出られるはずもなく。  扉の向こう側は薄暗い廊下で、他にもいくつかの部屋と奥の方に上へと続く階段が見えた。窓もなく地下室みたいな雰囲気だ。  あの葉巻に似た匂いがする。麻薬に関する作業など、後ろ暗いことはここでやっているに違いない。  とにかく逃げられないことを改めて理解したレーシュは、手前に開くタイプの扉だったからベッドで押さえてしまえば籠城できるのでは? と考えて実行に移した。 (こんなの、ゲモリーを怒らせるだけだってわかってるけど……あいつに触られるくらいなら飲まず食わずで衰弱するまで抵抗してやる……!)  怖くて怖くて、自分を励ましていないとどうにかなりそうだ。レーシュは両腕で自分を抱きしめて、震えを落ち着かせようとする。  運良く、ゲモリーがやる気をなくしてくれないか。セーデル侯爵がゲモリーを止めてくれないか。  あれこれとマシな想像もしてみたけれど、レーシュの願いは及ばず――扉のノブがカチャ、と動いた。 (来た……!) 「なんだ? 動かないな。レーシュ! どうなってるんだ!」  扉はほんの僅かしか開かない。声は届くが顔も見えず、レーシュは少しだけほっとした。  ゲモリーには正直に気持ちを伝える。無理なものは無理。 「僕はあなたに抱かれるなんて無理なんです。諦めて下さい」 「はぁぁ? お前に拒否権があると思ってるのか! ここを開けろ!」 「……わっ!?」  ドンッ! と激昂したゲモリーは扉に体当たりをしてきた。ベッドがずれ、空いた隙間から手が入ってくる。  ヒッと息を呑み、扉から最大限離れていたレーシュは慌てて駆け寄ってベッドを全力で扉の方へ押した。 「ぎゃあっ!!」 「諦めてください!」  扉に手を挟まれたゲモリーの悲鳴に、さすがのレーシュも「痛そうだな……」と思ったが容赦しない。ベッドの重量を差し引けば、力の差は圧倒的なのだ。  したがって安心できたのは一瞬だった。重いベッドがあるからこそもっと余裕で対抗できると思っていたレーシュは、だんだんと向こうから扉をこじ開けてくるゲモリーの力に恐怖を覚えた。  全力で押しているのに、少しずつ押されてしまう。そのうちゲモリーの腕が動くようになり、ベッドが障害物になっていることに気づいたようだ。  ベッドを向こう側から押され、扉が徐々に開いていく。顔を真っ赤にしたゲモリーの頭が見えたとき、その執念深い目にレーシュはおぞましさを感じた。  どうしてそこまでしてレーシュを手籠めにしたいと思うのだろう。金はあるのだから、娼館へ行けばよりどりみどりだろうに。  王宮で誘いを断ったから? それにしても趣味が悪すぎる。  どうやら自分が好かれやすい見目らしいのは理解しているが、身だしなみを気にしない三十路男で、相手を喜ばせる言葉なんかも口にできない。  十年結婚していても夫に甘えっぱなしで、ただ手を焼かせている厄介者がレーシュという人間だ。  にもかかわらず、レーシュの外側を見ただけで執着を持ったゲモリーが今にも部屋に入ってこようとしている。反抗するために必死にベッドを押し、熱い汗と冷や汗が同時に背中を伝っていく。  しかしゲモリーが両腕を使いだし、単純な押し合いになるとあっという間に状況は逆転した。扉は人ひとりが十分に通れるだけ開いてしまい、レーシュが強く押されて尻もちをついたとき――ゲモリーが部屋の中に入ってきた。 「やっと……やっとだ……! レーシュ、よくもやってくれたな? 私は抵抗されるほど燃えるタチなんだよ。今、最高潮に興奮している!」 「やっ、嫌だ……!」  ベッドから離れられないレーシュは逃げることもままならず、ベッドの上に無理やり引き上げられる。  覆いかぶさられるとゲモリーのかいた汗の臭いがツンと鼻につき、彼の着ているガウンの隙間から興奮した陰茎が覗いていることにも気づいてしまった。 「ひっ……」  仰向けになったレーシュの腰にゲモリーが乗っている。片手で両腕を拘束され、近づいてきた顔がレーシュの首筋をべろりと舐めた。 「ああ、君からは花の香りがする……お姫様の蜜だ……美味しい、美味しいぞ!」 「ひぅっ」  舌の感触が気持ち悪すぎて脚をばたばた動かすも、ガシャガシャと足枷が音を立てるだけ。  震えを抑えるためにレーシュがぎゅっと目を閉じて動きを止めると、天井から騒がしい物音が聞こえてくる。誰かが走り回っているのだろうか。  そんな現実逃避も、ゲモリーが手でレーシュの透けるガウンを開き素肌を撫でてきたことで終わった。その手つきの気色悪さに虫唾が走る。  ゲモリーはレーシュの胸元を撫で、探り当てた胸の尖りをきつく摘まんでくる。 「なんだ、ははっ! 乳首が立ってるじゃないか。気持ちいいんだろう?」 「いっ……、痛い……!」  レーシュを嬲るゲモリーは楽しそうに嗤っている。身を捩っても拘束から抜けられず、腹にはゲモリーの興奮を擦りつけられていた。  嫌だ、嫌だ、嫌だ!  恋心を自覚する前からラツィエル以外の手は無理だった。学園に入ってから、無遠慮な男はいつもいた。結婚してからはそれも落ち着いたけれど、ここ最近は何度も危うい目に遭ってきた。  そんなとき、必ずラツィエルが助けてくれたのだ。可愛くない性格の妻なのに、いつもラツィエルはレーシュのことを守ってくれる。  でも今度こそ、駄目なのだろうか? せっかくできた卵も消えてしまって、ちゃんと子供を守れないレーシュなんて神様も見放してしまっただろうか? 「そんなに震えて、よっぽど好いんだね。早く挿れてあげよう、私のもので善がり狂うといい」  ゲモリーの手がレーシュの下腹部へと移動していく。ああ、もう終わりだ……  絶望に染まりかけた心は、あり得ないと思っていても僅かな希望に縋ろうとする。レーシュはもはや反射的に夫の名前を呼んだ。 「……けて……、助けて! ラツィエルッ!!」 「ここか!? ……っレーシュ!!!」  ――聞こえるはずのない声が聞こえた。扉が開き、密室なのに一陣の風が吹く。  覆いかぶさっていたゲモリーが目の前から消え、室内の様子が見えてくる。レーシュが顔を起こすと、ラツィエルが部屋の中に立っていた。 (ああ、ラツィエルだ……!)  床に這いつくばるゲモリーはラツィエルから逃げようとする。だがドスッという音が聞こえた次の瞬間、ゲモリーの体が飛んだ。どうやら蹴り飛ばされたらしい。  剣を抜いたラツィエルがゲモリーの首に刃を当てた。室内の光を反射して、白刃がきらりと煌めく。 「俺の妻によくも触れてくれたな?」 「お前は……伯爵家の小僧か! ふん、私は侯爵家の嫡男だぞ! 無礼だ、剣を下げろ! ……いいいい痛い痛い痛い!!」 「犯罪の証拠はここにたくさんある。セーデル侯爵家は国家反逆罪で終わりだ」 「ひいい゙い゙、死ぬっ、痛い! 足をどけろぉぉ!」  ラツィエルに急所を踏まれているようで、ゲモリーは息も絶え絶えに叫んでいる。ようやく上半身を起こしたレーシュが放心状態でぼうっとその様子を見ていると、コーマが部屋に入ってきた。 「レーシュさんっ、よかった……! って、そそそその格好は……!?」 「コーマ、こいつを連れていけ」  コーマが顔を真っ赤にして見てくる。そこでようやくレーシュもほぼ裸であることを思い出し、シーツで体を覆った。嫌なものを見せてしまったな。 「レーシュ……大丈夫か?」  コーマとゲモリーを追い出すと、ラツィエルが近づいてきて上着を脱いで着せかけてくれた。ライラックの香りに包まれ、ようやく安堵が胸の中に広がっていく。  なんて頼りになる人なんだろう。きっと探してくれていると信じていたけれど、間に合うのは無理だと思っていた。  心配そうに見つめてくるラツィエルに胸がいっぱいになり、レーシュは思いっきり抱きついた。 「ラツィエル……っ」 「怖かったよな、遅くなってごめん……。なあ、未遂だよな?」  逞しい体が受け止めてくれて、レーシュはうんうん頷く。あと一歩でも遅かったらゲモリーに犯されていただろう。その後助かったとしても、レーシュの心は再起不能になっていたに違いない。  優しく背中を撫でてくれるラツィエルの手が温かい。とにかく離れがたくて再会を堪能していると、レーシュの鼻腔にこの場にそぐわない臭いが届いた。 「なんか……焦げ臭くない?」 「なんだと!?」  扉の向こうに目をやると、階段の先に赤い光が見えた。まさかと思うも、目を凝らせばそれが揺らめく炎であることを理解する。 「火事……? ラツィエル、あの先ってどうなってるの!?」 「あいつのクローゼットだ! まずいな、すぐに逃げよう」

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