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番外編 お祈りデート
二人の卵が無事だったとわかった翌々日、レーシュは久しぶりに外出した。
夏を迎えた王都の空気はカラッとしていて、日差しが強い。屋敷でゴロゴロしているあいだにいつの間にか季節が一歩進んだようで、肌に慣れない感覚がする。
「んん〜っ、外の空気が気持ちいい……っ!」
「……早く馬車に乗ってくれ。御者が迷惑そうにしてる」
「ええ、せっかく太陽を堪能してるのに」
空を見上げ思わず喉の奥から漏れた感嘆の呻き声に、ラツィエルはむぎゅ、と眉根を寄せた。いったい何が気に障ったのか、急かすように背中を押されて馬車のステップに足を掛ける。
御者? 確かにちょっと顔が赤く見えるけど……待ちくたびれたのかな。
「いたた……」
「落ちるなよ」
馬車に乗り込もうとすると、体がギシギシ痛む。口煩く注意しつつも、しっかりとレーシュの腰をラツィエルが支えてくれている。
あの事件の怪我は手の火傷以外すっかり治っているから、原因はそれじゃない。レーシュは恨めしげな目で真正面に腰掛けた旦那様を見た。
「本当は昨日祈りに行くつもりだったのに……」
レーシュは二日前、ラツィエルと想いが通じ合った。その勢いで性行為に及んだのだけれど、ことのほか盛り上がってしまってへとへとになり、昨日は全身筋肉痛で動けなかったのだ。
今日も本当なら、ずっとベッドで過ごしていたいほどまだ怠い。けれど我が子の成長を祈りに行くためなら、多少の痛みも我慢してみせるくらいの気概はある。
「おいおい、俺だけのせいじゃないだろ? 煽ったお前にも責任はある」
文句をラツィエルにぶつけてもどこ吹く風。むしろずっと機嫌が良さそうなのが気に障るというか……いや、なんとも恥ずかしい気持ちになるのだ。
「だからってあそこまで激しっ……ん゙んっ」
「…………」
この人は十年もレーシュのことを想い続けて、やっと実ったのが嬉しくてたまらないらしい。レーシュもそこまで思い至ってしまうと心の柔らかいところがむず痒くなり、逆につっけんどんな態度を取ってしまう。
言い返してきたラツィエルに「あそこまで激しいとは思わなかった」と言いかけて、記憶に新しい行為のあらゆる場面が脳裏に浮かび上がってしまった。なんなら最中は自分も「もっと」とか、言っていたかもしれない。
言葉に詰まると、ラツィエルも若干顔を赤らめる。馬車の中はなんとも言えない空気になってしまったが、二人の会話なんて知る由もなくゴットフリート家の馬車はガラガラと動き出した。
出仕するときのルートとは違い、馬車は王宮の南の方へ回って門を抜けていく。先に降りたラツィエルが当然の顔をしてレーシュが降りるのを手伝ってくれた。
森のようになっている神殿の周辺は木陰で涼しい。知らぬ間にかいていた首筋の汗がすうっと乾いていく。
レーシュはラツィエルと並んで歩き、また手を借りて生命の樹までの階段を下りた。
なんだか、とっても久しぶりな気がする。……実際には最後に来てから起きた出来事が濃厚すぎるだけなのだが。
懐かしささえ感じる神秘的な空間に足を踏み入れた瞬間――こみ上げてくるものがあって、レーシュは居ても立っても居られなくなってしまった。
「っあ、おい!」
驚く声を背中で受け止めながらも、樹の裏側へと走って向かう。はぁはぁ、大した距離でもないのに息を切らしながら足を止めた先で、レーシュは自分たちの卵を見つめた。
「あった……。大きくなってる……!」
「だから言ったろ?」
造作なくついてきていたラツィエルが得意げに返してくる。小さな卵は確かに大きくなっていて、薄っすらと透ける殻の向こうには生命の影が見える気さえした。
喉の奥がぎゅうと痛くなり、レーシュはその場で膝をつく。
「っおい、泣いてるのか?」
「泣いてないっ」
目が潤んでしまったのを誤魔化すように閉じて、レーシュは祈りを捧げた。今日も整えてもらった頭にポンと優しく手が置かれ、すぐに隣でラツィエルも祈り出すのを感じた。
帰りの馬車も静かだったが、レーシュの心は満ち足りていた。ラツィエルから話を聞いて信じていなかったわけじゃないけれど、実際に卵を見たときには深い安堵を感じたのだ。
「ねえ、僕が職場に復帰したら……帰りも一緒に祈っていく?」
「っ、ああ。時間を合わせられる日なら……」
「ていうかラツィエルっていつも何時まで仕事してるの?」
一緒に祈った方がいいみたいだしと思いつきレーシュが提案すると、ラツィエルは一瞬言葉を詰まらせた。
そういえばいつも朝しか会っていなかったと気づいて質問すれば、翡翠の目を丸くする。レーシュはその驚きように小さく首を傾げた。
(……あ。ラツィエルに仕事のこと質問するの、初めてかも……?)
なんというか、この十年レーシュはラツィエルのことにほとんど興味を傾けていなかったのだ。
良くも悪くもいて当たり前。いつも何時に帰ってきているのか、夜の時間はなにをして過ごしているのか、ちっとも知ろうとしなかった。
「警護が交代制だから、日による」
「えっ、いつも朝一緒に出てたじゃん」
「早く行けば訓練もできるからな。たまには寝なくても平気だ」
「…………」
つまり、朝方まで仕事をしていた日もあったということだ。帰って寝ていたいはずなのに、いつも変わらずレーシュと朝食をとってレーシュの身だしなみを整えて、一緒に出仕していた。
ラツィエルがそこまでする理由は……自分しか考えられない。
(えええ? もしかして僕、とんでもなく愛されてない……??)
ぎゅっと素手で心臓を掴まれたような気がした。なんとも健気な旦那様。
胸の中が熱いもので満たされて、レーシュは突然馬車の中で立ち上がった。
「どうした? 危ないだろ」
当然揺れるし、天井の高さも低いから前かがみになる。心配そうに両手を伸ばしてきたラツィエルの胸の中に飛び込んで、レーシュは勢いのままむにっと唇をくっつけた。
「ラツィ、好き」
「……っ!!」
思いのまま行動すると、ラツィエルの体温がぐっと上がった。顔を離して見てみると首まで真っ赤になっている。
突拍子もない行動すぎただろうか? でも口づけなんてもう何回もしたし……
レーシュは面白がってもう一度ちゅ、と音を立てて口づける。ラツィエルは照れつつも衝撃を受け止め切れていないのかカチコチに固まったままだ。
「あははっ」
ラツィエルのこんな顔、結婚してからこの方見たことがなかった。なんとも間抜けで、愛おしい。
屋敷に到着して、ラツィエルが使用人に赤面した顔を心配されているのを横目に見ながら、レーシュはずっと笑っていた。
こんなに笑ったのもいつぶりだろうか。自分を出迎えてくれたシェキナが頬を桃色に染めて、「花開いたように笑うって、こういうことを言うんですねぇ」としみじみ言っている。
これからは夜の時間も旦那様と過ごしてみるのも楽しいかもしれないな。確か晩酌をしているとダアトが以前言っていたし、ラツィエルと一緒なら少しくらいお酒を飲んだって許されるだろう。
子が誕生するまでに二人の時間を積み上げて、ラツィエルのことをよく知っておくのも大事なことだ。レーシュは真面目に考えながら、明るい日差しの下上機嫌にラツィエルの背中を追いかけた。
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