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番外編 収穫祭

 事件、療養、復帰……バタバタと過ごしているうちに季節がひとつ通りすぎ、実りの季節になった。  |生命の樹《セフィ・ロット》はいつ見ても青々としているが、あれを一般の樹木と比較するのも間違っているのだろう。  色を変えない代わりに葉は生まれて散って、また生まれ……行くたびに表情を変えている。自分たちの卵もそうだ。毎日見ていると違いがわからないのに、ふとした瞬間「……あれ、前より大きくなったよね?」「俺もそう思ってた」と気づく。  そういった小さな共有体験は、自分たちがれっきとした夫婦であることをレーシュに強く実感させた。 「いらっしゃい、二人とも! 待ってたわ」  収穫祭の休日、今年もレーシュはラツィエルと一緒にゴットフリート家の王都邸を訪れた。  屋敷の中に足を踏み入れた瞬間、焼いた小麦のかぐわしい香りがする。晩餐に向けてパンを焼いているところなのだろう。 「いい匂いがしますね」 「レーシュ、あなた毎年同じことを言ってるわよ? 食事まではもう少し時間があるから、ゆっくり過ごしてね」  エバがくすくす笑ってレーシュたちを家族の広間へと促す。そこにはハニエルと、領地からやって来た長男のザキフェル、その妻のツァイがいた。  義兄たちに会うのは一年ぶりだ。二人はすぐに立ち上がってラツィエルはザキフェルと、レーシュはツァイと抱擁した。 「レーシュ、聞いたわ。いろいろ大変だったのよね? でも……おめでとう!」 「義姉さん、ありがとう」  ツァイはレーシュの一歳上で、いつもほんわかとした空気を纏っている。レーシュでも気づけば心を許してなんでも話してしまうような存在だ。  ハニエルに似て優秀で、若くして領地を任されているザキフェルもこの妻に日々癒されているのだろう。  レーシュはツァイと抱擁しあったとき、小さな違和感を覚えた。前より少しふっくらとしたかもしれない……というよりも。 「なんか……匂いが変わった? あ、香水つけてないのかな」  ツァイは丸い目をもっと丸くして、「レーシュの鼻は誤魔化せないのね」と言った。ツァイはザキフェルに目配せをして、ザキフェルが咳ばらいをする。レーシュは「女性に体臭の話をするなんんてデリカシーがない!」と怒られるかと思った。 「私たちだけ秘密にしておくのはフェアじゃないからね……我が家にも、天使がやってきたようだ」 「本当か!? 兄貴、義姉さん、おめでとう」  ラツィエルが驚いた声を上げて、もう一度兄にがっしりと抱擁した。  ツァイはいつも優しい花の香りの香水をつけていたが、つわりでそれが駄目になってしまったらしい。  出産は冬の終わりごろの予定だという。レーシュたちの樹子が生まれる予定日よりも少し早そうだ。  嬉しい報告にレーシュも胸が温かくなった。今の自分は子ができる感動を知っているし、レーシュたちと違ってずっと欲しいと願っていた彼らの喜びはひとしおだろう。  収穫祭の食卓には鹿肉のローストや山羊肉のパイがメインで並び、秋の根菜やきのこを使ったスープ、その他料理人が趣向を凝らした料理が所狭しと並んでいた。パンは、ゴットフリート家の広大な領地で生産されている小麦の初穂で作られている。  レーシュはラツィエルと並んで座り、「あれ取って」と頼んだり「これ切ったら食べるか?」と尋ねられたりしながら食事を楽しんだ。  普段は向かい合わせに座って食事をすることが多いが、隣に座ると会話するために自然と距離が近くなる。  その様子をハニエルもエバもにこにこと見つめている。しかしザキフェルとツァイは違った。  二人とも目をきょろきょろとさせてレーシュたちを往復し、食事の手が止まっていた。ツァイに至っては口をぽかんと開けて手で押さえている。 「ラツィエル……お前たち、何があったんだ?」 「色々と」  ザキフェルが問うと、レーシュの口元についたソースをナプキンで拭いていたラツィエルが簡潔に答える。 「色々あったのは聞いているんだが……なんというか、私が思っていた内容と違うのかもしれない」 「……そうかもな」 「まぁ、いい。仲が良いのは素晴らしいことだからな」  ラツィエルは深く語ろうとせず、ザキフェルも追及はやめたようだった。レーシュは二人を見て小さく首を傾げる。  元々ラツィエルはレーシュの身だしなみを整えることに労力を惜しまないし、今だって特別変わったことはしていない。レーシュとしては何に疑問を持たれたのか分からなかった。  食事を終えると、男たちはハニエルの書斎へ行ってしまった。政治や領地の話をするという名目らしいのだが、毎回帰るころにはみんなブランデーの匂いをぷんぷんさせているのだから可笑しい。  レーシュはエバとツァイと女性枠で応接室へ移り、ティータイムを楽しむことにした。ちょっとお腹が苦しくて、食べすぎたかもしれない。  しかし晩餐で食べきれなかった蜂蜜と木の実のタルトがカットされて運ばれてきたため、レーシュはとりあえず自分の手元に置いてもらった。見ていたらお腹が空く可能性もある。 「お義母様、レーシュはかなり丸くなりましたよね。もう見慣れたはずなのに、今日は美しさに後光が差して見えたもの!」 「そうなのよ! これ以上はないと思ってたのに、ますます綺麗になっちゃって」 「えっ、そんなに太りました?」  ツァイがお腹を撫でながらエバに話しかけ、レーシュはぎくっとした。実は最近自分でも太ったかも、と思っていたのだ。  朝だけでなく夜も時間が合えばラツィエルと食事をするようになったことで、ちゃんと食事をとる機会が増えた。  これまでは仕事で疲れると食事をないがしろにしがちだったため、確実に食事量は増えているだろう。心なしかトラウザーズもきつくなった。自分の見た目に興味はないものの、服を全部買い替える羽目になったら大変だ。  レーシュがタルトを少し遠ざけると、二人は「違うわよぉっ」と笑った。どうやら雰囲気が丸くなったのだと言いたいらしい。  それは近ごろ職場でも言われるけれど、目に見えないものだし自分ではわからない。  エバがハニエル情報で「美人ばかり侍らせている他国の王族が、レーシュをひと目見ただけでクラッと来ちゃったらしいのよ」と自慢げに話しているが、真偽は定かではない。  ツァイが手を叩いて「傾国ってこういうことね!」と喜んでいるのを横目で見ながら、レーシュはふぁと欠伸をかみころした。  こっそりとラツィエルのワインをひと口飲んだのが効いているかもしれない。眠くて頭がぼうっとする。  気づけばうたた寝していたようで、体にブランケットが掛けられていた。レーシュはラツィエルの慣れ親しんだ匂いを感じて「んん……」と呻く。  背中に腕を回されたから、ラツィエルの首に自分の腕を回すと、ふわっと抱き上げられた。  周囲で人の話し声が聞こえるが、眠気に溶けた思考の中では意味を持たずに流れていく。 「疲れてるのかしら、可愛い寝顔を堪能させてもらったわ」 「食事のとき、ラツィエルのワインを飲んでたわよ?」 「ああ、なるほど……」  ラツィエルが話すと、喉仏が小さく震える。彼の首元に顔をうずめ、レーシュは深く呼吸した。いつものライラックと、やっぱりブランデーが香る。  なんだかその匂いだけで酔った心地がして、レーシュは気分が高揚するのを感じた。今日はとても幸せな一日で、でも、近くにいたのにラツィエルとの触れ合いが物足りない。  ラツィエルの耳元に口を寄せ、レーシュは囁くように提案した。 「ラツィ、帰ったら、したい……」 「!!!」  カッと、レーシュを支える体が熱くなった気がした。 「なあに、レーシュはなんて?」 「い、いや……」  アンティークゴールドの髪に指を差し込み、唇を合わせようとしたがさっと引き離される。レーシュはラツィエルの胸元に顔を押しつけられて「む、ぅ」と唸りながら、ラツィエルが何事か言って歩き出すのを振動で感じた。 「っわ、……ぁ、んん……っ」  馬車に乗り込み扉が閉まった途端、レーシュは横抱きのまま呼吸を奪うようなキスをされた。舌で舌を愛撫され、震える腰を大きな手が撫でる。  長い口づけだった。鼻の奥にブランデーの芳醇な香りが抜け、さらにぼうっとしてしまう。  ラツィエルが顔を離すと、二人の唇を銀糸が繋いでいるのが月の光で見えた。馬車の揺れで途切れる。 「お酒くさいな……」 「レーシュ、いい加減こっそり飲もうとするなよ」  お互いに小さく文句を言い合って、また顔が近づく。  秋の夜は長い。二人の夜を、夜空に浮かぶ月だけが見ていた。

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