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9-俺なんかいなくても

片桐遊菓の撮影が終わって、一時間もするとスタッフは解散となった。 俺は佐倉につきっきりで片付けをしていたけれど、いざ車に乗り込む時「じゃあ今日はこれで」とあっさり帰された。これから家に戻って、東京駅近くのホテルに向かうのだろう。 今夜は片桐遊菓と一緒に酒を飲むのだ。大人のデートだ。 羨ましいやら、除け者にされた疎外感やらが悶々と頭を巡ったものの、俺は黙って見送るしか無かった。 わかっていた。俺みたいな下っ端の下っ端が誘われるわけも、立ち入ることが許されるわけもないことに。 それなのに、なぜこんなにモヤモヤするんだろう。 しばらくスタジオの前で立ち尽くしていると、ちょうど会社に戻ろうとする桔梗さんに話しかけられた。 そして、俺は今、桔梗さんと飲んでいる。 「っつうかどう考えてもおかしいでしょ!労働基準法違反だって!俺、もう二十連勤だぜ!?」 ドンッと重いジョッキを机に叩きつける俺は、今思うと駄目な感じに酔っ払っていた。この桔梗さんという男が、人に気持ちよく話させて酒を勧めるのが上手いからだ。 騒がしい居酒屋で、今にも桔梗さんは笑い転げそうになっている。 「あーっはっはっは!なんなの、イツキくん超面白い」 小林くんからイツキくんに呼び名が変わって、俺は一瞬で桔梗さんと打ち解けてしまった。新橋にある居酒屋は桔梗さんの行きつけのようだった。 おごるから飲みに行こうと誘われて、とんでもない高級店やハイセンスな店に連れて行かれるのかと身構えていたから、こういう大衆的で騒がしい店だったことにホッとしていた。 俺もサラリーマンだからね、と桔梗さんは笑って煙草に火をつける。 「あー……笑った笑った。まさか二人の間にそんな金の関係があったとはね」 「金の関係ってなんかちょっとイヤなんでやめてください」 「ふふ。創介が気に入るのもわかるよ。本当に突き抜けたアホなんだね」 「ストレートすぎません?」 「良い意味だよ」 良い意味でアホとは、どういうことだ。 言い返そうとしたタイミングで、店員から日本酒が運ばれてきた。猪口が二つ。頼んだ覚えの無いそれに俺は驚く。 「え?日本酒?」 「それ、俺のおすすめ。飲みなよ」 「や、でも、俺日本酒は……」 佐倉と出会ったあの夜。俺はゼミの先輩たちからとどめに日本酒をちゃんぽんされたせいで悪酔いしたのだった。それからちょっとしたトラウマのようになっていて、飲むのに躊躇する。 「苦手?ちょっとだけなら大丈夫だよ。本当に飲みやすいから、ほら、ね」 「はあ……」 二人分の猪口に丁寧に注がれたそれを、俺は断りきれずに口に含んだ。瞑っていた目を薄く開く。抜けるような後味の良さと、フルーティな味わいに驚いた。 桔梗さんを見ると、満足そうに笑っている。 「俺もこの店で日本酒覚えたんだ。懐かしいな」 「……桔梗さんは、いつから佐倉…さん、と知り合いなんですか?」 「大学で知り合ったから……もう6、7年になるかな。同級生だったんだ」 佐倉と桔梗さんは同年代ということだ。俺はたこわさびを咀嚼しながら「へえ」だとか「はあ」だとかいう返事を繰り返していた。 「その頃からあいつは尊敬する写真家に師事してて、まあ、あの通り偏屈だから大学でも浮いてたよ。俺はたまたま学生向けのコンペでタッグ組むことになったんだ。最初はどうなることかと思ったけど……創介の撮る写真に惚れちゃったんだ」 素直にそう告げる桔梗さんは、どことなく子どものように無邪気な目をしていた。 学生向けのコンペというのは俺のいる学部でもよく回ってくる話だ。裏の目的は見込みある学生の青田買いだったりするわけだけれど、企業が学生に課題をあたえて、ポスターやCM動画を競わせる。 「なんとかして創介の脳みそにあるイメージを活かせるような企画を作ろうって躍起になったよ。何度も喧嘩したし、それこそ殴り合ったりもしたけど、後にも先にもあんなに成長できたのはその時だけだったな」 「殴っ……!?」 どちらかと言うと表情と言葉で威圧するタイプの佐倉が、殴っているところは想像できなかった。 桔梗さんは今はもう良い思い出だとでも言いたげにひらひらと手を振る。 「それで、あの、結果は……?」 「うん?最優秀賞」 何気なく言ってのける桔梗さん。 天才はなるべくして天才なのだ。あの佐倉を扱うなんて、桔梗さんの持つブレーンも相当だったのではないかと俺は邪推する。そうでなければあのドライな佐倉が、好んで付き合うとも思えなかった。 良い企画屋と良い写真家の仕事を、少し見てみたかったとも思う。 「でも創介は、師匠にくっついてオランダに行っちゃったからさ。最初は数日の出張が、その内週間とか月ごとになっちゃって、大学三年の春に中退してったよ。それからはたまに日本に戻った時に飲んだり、仕事したり、って感じだな」 桔梗さんが、新しい煙草に火を点ける。 彼は佐倉と同じで喫煙者だけれど、佐倉ほどヘビースモーカーでは無い。佐倉はタール値10ミリのザ・ピースを好んで吸っていたが、桔梗さんは3ミリのウィンストン。ほんの少しだけバニラの匂いがする。 遠慮なく俺の前で吸う佐倉と違って「あ、ごめん。苦手だった?」と指に挟んだ煙草を避けようとする桔梗さんは優しいと思う。俺は首を振った。 「俺、佐倉……さん、のこと、何も知らないです」 「呼び捨てにすれば?いつもそう呼んでるんだろう」 言っちゃえ言っちゃえ、といたずらっぽく囃し立てる桔梗さん。 事情を知っているだけに俺は、味方が増えた気がして肩の荷が降りた気分だった。才人にも佐倉の話はしていなかった。誰にも言えなかったんだ。 「佐倉はやっぱり、すごい存在じゃないですか。普通は俺みたいな大学生なんて近づけないくらいの」 「そうだね。本人はあまり気にして無いだろうけど」 「なんで俺みたいなのを仕事場に置いてるのか、謎なんです。いくら借金があるとは言えどうせ傍で使うならもっと才能のあるやつか……」 そうだ。それこそ片桐遊菓みたいに可愛い女の方が良いに決まってる。佐倉のアシスタントなんて、無料でもやりたいやつが続出するだろう。 俺なんて別のところでひたすらバイトして少額でも返すか、ヤのつく職業の人たちに売り渡す方がよっぽど金になるはずだ。 佐倉の考えがわからない。わからないからこそ俺は自信を喪失して、存在意義を見失う。 「そっか。イツキくんは不安なんだ」 「不安?」 「創介に必要とされたくて」 桔梗さんの手が伸びる。否定する暇もなかった。 むに、と桔梗さんが俺の両頬を手で挟む。人差し指が目元へと滑った。 「ちょっ、あの……」 「イツキくん、ちゃんと寝てる?クマすごいよ」 「あ、昨日はちょっと……派遣の夜勤があって」 工事現場の誘導整理だった。家賃を稼ぐために、体力の続く限りは掛け持ちをするようにしている。 突拍子もない桔梗さんの行動に身動きを取れずにいると、桔梗さんが俺の目元を優しく撫でた。変な気分になる手つきで、ぶるり、と身震いする。 「ねえ、佐倉が男好きかどうかって話、あったよね。もしかして何かされたの?」 「……わ、忘れてください。俺、どうかしてたんで」 日中の話をぶり返されて、俺は焦る。まさかキスをされたなんて、佐倉の友人かつ同性である桔梗さんには言えなかった。 「あいつはずるいよね。圧倒的な立ち位置にいる。性格もそうだけど、佐倉創介が生み出す世界観に触れたらもう、あいつ以外は目に入らなくなるよ。ある意味で不幸だ」 桔梗さんがじっと俺の両目をみつめたまま、言う。穏やかな口元が弧を描く。 「だから俺も必死になった。天才の視界に留めてもらうために、どんな勉強もどんな仕事もやったよ。あいつに見合うクリエイティブディレクターになりたくて」 桔梗さんが思いついたように、あ、と言葉を漏らす。 「俺と創介はそういう関係じゃないから、誤解しないでね。写真家としてのあいつを崇拝してるだけだから」 「はあ」 「イツキくんは確かに天才じゃない。飛び抜けた技術を持ってるわけでもない」 正論だ。そういうのらりくらりとした道を選び取ったのも自分だ。でもなぜだか胸の奥が痛い。 「でも……創介が傍に置いているのは、それなりの理由があるんだよ。案外創介の方が、ポンコツのイツキくんに救われてたりしてね」 「あの、言ってる意味がよく……」 「まあ、飲もう。若人よ!」 ぱっと桔梗さんの手が離れたかと思えば、空になった猪口に酒をつがれた。 佐倉の話はそれきりだった。俺はぼんやりとする頭で桔梗さんの言葉の意味を考える。考えたって考えたって、俺の足りない脳みそは何の答えも生み出さなかった。 ―― それから一時間ほど経って、お開きになった。 俺よりもずっと酒を飲んでいたはずの桔梗さんは顔色すら変えず、爽やかな笑顔のままだった。明日は朝6時からCM撮影のロケに出るというから、驚かされる。大切な時間を俺なんかに使わせたことが、なんだか申し訳なくなった。 「俺はここから歩いて帰るけど、イツキくんは?」 「あ、俺は電車で……」 「じゃあタクシーにしなよ。わりと飲ませちゃったから、行き倒れられたら困るし」 「でも、俺いま生活苦しくて」 「俺が払うに決まってんでしょ。それよりイツキくん、勧められたらなんでも飲むんだね。面白いな」 今日は桔梗さんに笑われてばかりな気がする。 無理矢理タクシーにお金ごと押し込まれて、手を振る桔梗さんに見送られた。 車が出る直前、桔梗さんが片手を口元に当てるようにして窓越しにこっそりと「創介に直接言ってみたら?俺なんていらないでしょ、ってさ」と零した言葉が意味深だった。 腰を降ろすと、頭がふらふらした。悪酔いとまでは行かないが、飲みすぎた。少し目を閉じる。桔梗さんの言葉が頭の中で響いた。 ―― ろくに見もしないニュースアプリの通知か、才人からのつまらないメッセージが引き金だった気がするが、正確にはわからない。手に持っていたスマートフォンが震えて、俺は目を覚ました。 タクシーはまだ自宅に着いていない。途端に酔いが回った。 信号の停車中。ふと窓の外に目をやると、大きな公園が目に入った。 「あの、すみません。ここで降ろしてください」 それは衝動に近かった。 自宅までは3km。歩けない距離じゃない。飲みすぎて車の揺れが気持ち悪かったこともあるし、少し夜風を浴びたかったこともある。 タクシーを降りておもむろに数歩歩いてから、立ち止まってスマートフォンを取り出した。 佐倉に電話をかけてみる。呼び出し音が数回鳴ったが、反応は無かった。 「(そりゃあ今頃、お楽しみ中だもんなあ)」 羨ましくてムカつくからいっそ邪魔してやれという気持ちで、同じ行為を3回繰り返してみた。発信音が途切れる度に虚しくなるだけだった。 そのままふらふらと公園に入って、木々に囲まれた路を歩く。涼しい風が吹き抜けていって気持ちが良かった。爽快感とは裏腹に着実に酔いは回って、アルコールは歩く度に俺の脳を侵食した。 ふらついたのをきっかけに、目についたベンチへと倒れ込む。周囲に人はいない。行儀は悪いけど、そのまま仰向けになった。 「あー……気持ちわっる……。美味かったけど」 独り言をこぼす。時間を見るつもりでスマートフォンを開いた。思い立って、もう一度電話をかける。 いたずらのつもりだった。だからスピーカーから佐倉の声が聞こえた時、思わずスマートフォンを取り落としてしまいそうになった。 『なんなんですか、一体』 『さ、佐倉……!?』 『仕事の連絡は君ではなくて、直接俺に回すように言っているはずですが』 それは案に、仕事以外のことで連絡をしてくるなという忠告だった。 佐倉の声の後ろでは、ジャズのような金管とピアノの音楽が流れている。片桐遊菓の泊まっているホテルのバーにいるのだ、と俺は思い出した。 『ああ、えっと……よ、用事は無いんだけど』 『切りますよ』 無情に響く声。 ああやっぱりかと思っていると、片桐遊菓の声が聞こえた。昼間とは違う甘ったるさと何とも言えない色気を含んでいる。ファンなら身悶えするであろう、その声とともに佐倉はいる。 「ねえ、わたし酔っちゃったんだけど……」と我侭を言うような台詞。月並みだけど、あの容姿で迫られたら、男はひとたまりもない。 だからこそ、そんな浅はかな性欲に自分が負けることが悔しくて、俺は口を開いた。電話が切られる直前だった。 『さ、佐倉は俺なんて、もういらないんだろ』 『……は?』 『モデルでも何でも、可愛い女が傍にいるもんな』 逡巡するように、止まる会話。ふいに切り出したのは佐倉だった。 『まさかとは思いますけど、妬いてるんですか』 『や……っ』 そんなわけねえだろ、と叫ぶ。キーンと音鳴りがした。きっと電話の向こうの佐倉も顔をしかめたに違いない。 しばらくして、大きな溜息を吐く音が聞こえた。 『今、どこにいるんですか』 『どこだっていいだろ』 『言え』 俺の聞き間違いかと思った。 ぞくり、と背筋に寒気が奔る。売り言葉に買い言葉で、俺は辺りの様子を告げた。 酔いのせいでタクシーを降りる前に見た交差点の名前と、なんかでっかい公園の入り口のベンチ、という頭の悪そうな説明しかできなかったが、電話はそこで切れたのだった。 俺はしばらくスマートフォンの画面を眺めて、腕で視界を覆った。ぐらりと世界が回る。

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