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4-僕にもできる簡単なアルバイト

「もう無理……体がもたねえ」 「はは。追い詰められてんなあ、イツキ」 「笑い事じゃねぇよー、もう」 大学近くのドーナツショップで、一番安いアイスコーヒーとドーナッツ一つで粘り倒している俺と山田。山田がもぐもぐと呑気に口を動かしながら俺を指差した。 「カメラマンなんて専門職、手伝いでもキツいに決まってんだろ。好きじゃねえとできねえよ」 もっともすぎる山田の指摘に、俺は苦虫を噛み潰したような顔になる。 佐倉は相変わらず、涼しい顔をして人使いが荒い。昨日だって夕方から急に呼び出されたと思ったら、外で撮影してきたと言うカメラの三脚や備品、砂まみれのバッグを延々と掃除させられた。それも風が吹き荒ぶベランダで。 「バイト変えれば?俺ンとこの結婚式場、給料いいぜ?」 「んー……考えとく」 そう。どうせ借金を払わなければいけないなら別の仕事をしたっていいはずだ。600万円なんて大金を払えるバイトなんて早々無いけれど、このまま佐倉の言いなりになって犬のように働くのも面白くない。 「じゃ、俺、そろそろシフトの時間だから。また明日な」 「おお。ありがとな」 ひらひらと手を振って、山田を見送る。俺はしばらくその場でスマートフォンをいじって、溜息をついた。 佐倉からメールが入っている。また呼び出しだ。重い腰を上げて、ようやく俺はドーナツショップを出た。 (別のバイトつっても……そんなうまい話があるわけないよな) 何度目かわからない深い息を吐く。両手をジーンズのポケットに突っ込んだまま、ふと足を止めて裏路地に入った。 大学から佐倉の自宅兼オフィスに行くには、大通りよりも細い路地を抜けた方が近道だということを最近知った。 ここは一区画ずれると、あまり治安が良くない繁華街になる。水商売のキャッチがうざくて夜は通らないようにしているけど、今くらいの夕方なら問題無いだろうと踏んだ。 「ねえねえ、おにいさーん」 「えっ?」 人気の無い路地の脇から、いきなり声をかけられて驚いた。そこには男が二人立っていて、俺を手招きしている。 どちらも20代後半から30代前半くらいだろうか。一人はニット帽を被って薄く髭を生やした男で、もう一人は体育会系っぽい黒髪の男だった。 「なんですか?」 「おにいさんさ、大学生?」 「そう……ですけど」 初対面でいきなり声をかけてきたと言うのに、男はやけに慣れ慣れしかった。 「今からどこ行くの?学校じゃないよね?」 「バイトです。だから急いでるんですけど」 早くこの場を切り抜けたくて、男を睨むように目を細める。 「あっ、じゃー丁度良かった。君、バイトしてる?お金に困ってない?」 藪から棒に一体なんなんだ、と俺は眉を顰める。 何と切り抜けようか、いっそ無視してやろうかと逡巡している様子が悟られたのか、ニット帽を被った男は「大丈夫、大丈夫」とまるで説得力の無いことを口走る。 「俺たちさ、きみと同じ大学の映画研究会のOBなんだ。ほら」 「映画研究会?」 男は名刺を差し出してきた。一瞬迷っていると、更に押し付けられたから仕方なく受けとった。 白い紙に明朝体の簡素な文字。ニット帽の男はヨコヤマ、黒髪の男はエグチと言うらしい。 名刺には確かに映画研究会のOBサークルの名前が書いてあった。俺の大学には、映画の自主制作をするサークルも数多くあり、その研究会は特に大規模で有名だった。 「実はさ、今日もロケの予定だったんだけど、役者にドタキャンされちゃってさ」 「……はあ」 「きみと背格好も似てるんだけど、良かったら代わりに出てくれない?」 「え!?む、無理でしょ。映画なんて柄じゃねえし」 するとエグチが被せるように「いやいやいや!」と声を上げた。 「ワンシーン撮ったら終わりの脇役だし、1時間くらいで終わるから。頼むよ」 「無理なもんは無理!俺、演技なんてできないもん」 「そう言わずにさ。演じてほしいのは俺に殺されちゃう親友の役なんだけど、今日撮れなきゃ期日までに映画完成しねえんだよ……俺たち社会人だから、そうそう仕事も休めなくてさ」 「ええー……」 「頼むよ!この通り!この映画、俺たちの夢なんだ! ぱんっ、と手を合わせられて頭を下げられる。俺は「う……」とうめき声を漏らしながら後ずさった。 自分よりも一回り年上の大人に、堂々と頭を下げられるとどことなく断りづらい。それに彼らの夢だなんだと言われたら、一層気まずさが増した。 一瞬眩みそうになったけれど、佐倉に呼び出されていたことを思い出し、我に返った俺はぶんぶんと首を横に振った。 「ご、ごめん、なさい。やっぱ無理!無理です」 「1時間撮らせてくれたら、御礼に1万円出せるよ!」 「あ、やります」 思わず即答してしまった。エグチとヨコヤマは二人で顔を見合わせて、ほっとしたように笑った。 金額に目が眩んでしまった自分に、本当は後ろめたくなった。 佐倉に何と言い訳しようか。やっぱり断ろうか。 葛藤が続いたけど、よくよく考えればこれだって佐倉の借金を返すための方法なのだ。早く返せるなら、それは佐倉のためでもある。 (……いいや、大学の講義受けなきゃって言っておこう) 諦めがついた俺は、肩の力を抜く。エグチが俺の背中に手を回して「それじゃ行こっか」と言った。 「ん!?」 唐突な誘いに、俺はエグチを振り返る。 「自宅で親友に刺されるってシーンだからね。ここからすぐのところにウィークリーマンション借りてるから、そこで撮影するんだよ」 話は理屈が通っているものの、一気に距離を詰められた感じがして何となく、嫌な予感がした。ほんの少しだけ。けれどももう後戻りはできない。 俺はスマートフォンで佐倉に「大学の講義で、1時間くらい遅れる」と打ち、二人に連れられて路地を抜けることになった。 ::: 「あの……本当にここで撮るの?」 俺は恐る恐る、エグチとヨコヤマに尋ねた。 「ん、そうだよ。緊張してる?」 「緊張っていうか……服とかも、このまま?」 「うん。それで良いよ。もうちょっと待っててね: 専用のスタジオやセットは費用もそれなりに高く、予算が少ない自主制作の映画では使えない。安いウィークリーマンションを使って撮影をするということは納得がいく。 違和感を感じたのは、マンションの部屋に入って椅子に腰を降ろし、室内のインテリアを見た時だった。 歩いている間に教えてもらった、俺の役の設定は「一人暮らしをしている大学生」だった。でも部屋の真ん中にはなぜか馬鹿でかいダブルサイズのベッドが置かれていて、シーツも真っ白だった。 大学生の一人暮らしにしては、いくら自主制作映画と言えど、リアリティが無さすぎる。 「あの……台本とかってある?」 それまで本格的なカメラを調整していたヨコヤマが横目で俺を見て「ああ」と面倒くさそうに返事をすると、鞄をごそごそと漁りだした。 一瞬不安になったものの、ちゃんと台本らしき冊子が出てきてホッとする。 俺はヨコヤマから受け取ったそれを読み進めた。俺のセリフはたった5つだけ。なるほど、1時間で終わりそうだ。 「……え……?」 台本の最後のページをめくり、俺は度肝を抜かれた。 エグチが演じる主人公も、俺が演じる大学生もれっきとした男性だ。一瞬、どちらかが性別を偽った異性という設定かと思ったが、そういうわけでもなさそうだ。 男同士だと言うのに、大学生と親友が、好きだとか愛してるだとか言い合うシーンがある。俺はわなわなと震えながら、そのセリフを指差した。 「ちょっ……これってどういうことだよ?俺、親友の役じゃねえの?」 するとエグチは困ったような笑顔を浮かべながら、髪の毛をぽりぽりと掻いた。 「あー……いわゆる、さ。同性愛ってやつだよ」 どうしてもシナリオ上、必要な演出なんだと説明するエグチ。俺は目を見開いた。 「いやいや!無理だって、さすがに。俺そんなんじゃないし、演技も自信無い」 「そっか。あと1万円、出せるんだけどな」 「……やります」 念のため、血眼になって台本を精読してみたが、キスシーンなどは無い。佐倉のような悪夢は見せられずに済みそうだった。 1時間で、2万円。これほど美味しいアルバイトは無い。 エグチとヨコヤマにこの映画がどこで公開されるのかを聞いたが、あくまでも趣味の作品だから、大々的に公開されるわけではないそうだ。それを聞いて余計に安心した。 「よし、カメラ準備できたぞ。じゃあちょっと……脱いでみよっか」 「えっ」 「作中の時間は夏なんだ。だからパーカー脱いでくれる?」 そう言って俺のパーカーのジッパーを降ろすエグチ。前言撤回。俺は顔を引き攣らせながら頭の片隅で「やっぱり不安かも」と思った。 でも、もう遅い。カメラは既に回っているのだ。 演技中のことは、正直あまり覚えていない。ミスをすればそれだけ収録時間が伸びる。台詞を忘れないように、噛まないように、俺は必死だった。 カット、というヨコヤマの声が聞こえてようやく俺は張り詰めていた息を吐いて、「あー……」と間の抜けた声を思いのまま吐いた。 俺の様子を見て、エグチがけらけらと笑っている。 「お疲れ様。なかなか良かったよ。イツキくん、演技の才能あるんじゃない?」 「まさか……。俺、男に好きなんて初めて言ったよ」 女にすらろくに告白したこと無い俺。演技とは言え、初めてそんな砂を吐くような甘い言葉を告げたのは、男だった。悲しい思い出がまた一つ増えてしまった。 「よし。じゃあテープチェック終わったら、最後の殺人シーンな」 ヨコヤマが言って、俺は頷いた。ようやくこれで撮影も終わる。 最後はどれだけ上手に刺されて死ぬことができるか、という切迫した演技が重視されるので、気合いが入る。 エグチは気がつけば室内の冷蔵庫からミネラルウォーターのペットボトルを取り出して、俺に手渡してくれた。 「緊張して喉乾いたでしょ?どーぞ」 「あ、どうも……」 本音を言うと、とても喉が乾いていた。慣れないことをしたものだから、膝も僅かに震えている。緊張して何度もリテイクさせてしまったものだから、少し後ろめたくも感じていた。 ごくごくと喉を鳴らして水を飲む。びっくりするほど美味かった。 「ねえ、イツキくん」 「はい?」 「暑くない?」 「あー……いや、別に。さすがに半袖だし」 「そう?でもここ、汗かいてるよ」 エグチが俺のこめかみのあたりを指さして教えてくれる。 パーカーを一枚抜いだので、俺は半袖のTシャツ姿だった。もう秋なので暑いなんてことは勿論無い。どちらかと言えば少し肌寒いくらいだった。 汗は所謂冷や汗というやつで、慣れない演技なんてものをしたから、じわりと滲んでしまったのだ。どうせすぐに引くと思って「大丈夫」と首を振る。 「シャツも脱いだ方が良いって。ね。そっちの方がカメラ映りも良いし」 何言ってんだこの人。 訝しがるよりも早くエグチの手が、俺のTシャツの裾を掴んだ。ぎょっとして俺は、力を込めて押し返す。 押し返す、つもりだった。 「え……あれ……!?」 手に全く力が入らない。指先が震えている自分の両手に、思わず視線を落とした。 「え?何?もう薬効いたの?」 テープチェックをしていたはずのヨコヤマが、いつの間にか煙草を加えてこちらを見物していた。エグチがせせら笑う。 「さすが即効性。今度からこれ使おうぜ: 急に場の空気が変わったように思えて、俺は戦慄した。体中がしびれてしまったような気持ちの悪い感覚。 支えがないと立っていられない、と思った瞬間、ヨコヤマに思いきり背中を押された。

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