5 / 13
第5話
シダレ将軍が視察で拠点を離れた、昼下がり。
今日も頼まれたわけでもないのに、せっせと水桶を運ぶセージの姿と、
それを偶然、目にした兵士達がいた。
「おい。お前。大将のお気に入りなんだってなぁ?」
鼻をつく酒の臭いと共に、その下卑た言葉は投げつけられた。水場にいたセージを取り囲んだのは数人の男。全員、ヒノワ兵だった。
「……っ。 なにか用、ですか?」
「男のくせに将軍を骨抜きにするなんて、いい身体してるんだろう?」
「まぁ、顔はそこそこってところだけどな!」
「ハハッ。 なぁ?ちぃっとばかし、俺らの相手もしてくれよ」
くさい息と下品な笑い声だ。
一人の兵士が、セージを侮辱するようにその胸元へ汚い手を伸ばした、次の瞬間。
セージは足元にあった空の木桶を迷いなく掴むと、全力でその兵士の顔面へと叩きつけた。
「――― がはっ!?」
鈍い音と共に兵士の鼻梁が砕ける。
鮮血が舞い、男は鼻を押さえながら無様に地べたを転がった。
―――他人にまでいいようにされるなんて 冗談じゃないっ!!
「俺にっ、触んなッ!クソ野郎!!」
「このガキ……っ!」
「ぐっ!!」
―――兵士と、捕虜の乱闘だ。
激昂して掴みかかってくる兵士たちを相手に、セージはなりふり構わず木桶を振り回した。
怒号を上げる男たちのうち、一人の拳がセージの顔面を強く殴りつけた、その時
「……貴様ら、何をしている」
低く、地を這うような声。
その場にいた全員の背筋に、一瞬で氷の刃を突き立てられたような戦慄が走った。
「しょ、将軍……っ」
「……っ」
予定を切り上げて戻ってきたのだろうか。そこには軍服の裾を翻し、漆黒の瞳に静かな、けれど苛烈な殺意を宿したシダレが立っていた。
「ユウギリ様っ! この捕虜が、我々に反抗をっ!」
鼻を砕かれた兵士が顔を血に染めて縋り付くように声を上げたが、シダレはその部下を塵でも見るように一瞥しただけだった。
名前も功績も知らない、ただの一般兵を見る目は―――。
「俺は質問したぞ。何をしているのかと」
「……へ?」
「俺の許可なく、誰がその汚い手で俺のものに触れていいと言った」
淡々とした声には、部下を咎める上官の響きなど微塵もない。
剥き出しの怒りそのものだった。
「セージ。よく、抵抗した」
「え、」
恐怖で硬直したままの俺を腕で抱き起こすと、優しく、傷ついた頬の熱をそっと撫でた。
しかし、男の声色が柔らかく聞こえたのも本当に一瞬のことだった。
「その兵士らを処分しろ。二度と、俺の視界に入れるな」
「ハッ!」
控えていた側近の兵たちが一斉に動き出す。
仕事中に酒を飲み、将軍の「お手つき」であると知りながら捕虜に手を出した。その行為は軍律に背いただけでなく、シダレの怒りを買ったらしい。
引きずられていく兵士たちの、命乞いとも取れる無様な悲鳴が遠ざかっていく。
「ちょ、お、降ろしてください…!」
シダレは泥に汚れた俺の身体を容易く横抱きにすると、大股で自分の居館へと歩き出した。
周囲の視線が突き刺さる中、俺は必死で腕の中で暴れて止めようとしたが、
「子供じゃあるまいし、大人しくしろ。馬鹿者が」
見下ろすシダレの瞳には、まだ部下たちを凍りつかせた殺意の残滓が揺らめいている。
けど、その奥に潜む熱は……誰にも見せなかった、なにか…焦りのようなものが見えた気がした。
「痛っ、」
「……骨は折れてない。少し、口の中が切れただけだ」
―――居館の一室で手当をするシダレの手は、驚くほど丁寧で優しかった。
しかし、その指先が触れるたびに、セージの心臓は引き絞られるように冷えていく。
「お前の身体を、俺以外に触らせるな。次からは首を刎ねる」
「っ、! そんなのは……っ!?」
「拒否は許さない」
背筋に走る、凍り付くような恐怖。
(やっぱり……)
一瞬だけ優しく見えても、この男は俺をひとりの人間として心配してない。
自分のお気に入りが、他人に傷つけられたのが面白くないと怒っただけで……。ただの所有物としてしか見てないんだ。
そんな自分を、余計に惨めだと思ってしまった……。
ともだちにシェアしよう!

