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第2話
発情期が終わって2日後の日曜日。
鏡を覗き込む。
ものぐさで伸ばしっぱなしになっていた髪は切りそろえた。
さっぱりしたが、発情期明けの疲労した目元は隠しきれない。
オメガのフェロモンとやらが発情期終了後どこまで残るのか。
かれこれオメガを30年やっているが、最初の発情期が来るまえに番を得たせいで、そのへんが全くわからない。
俺はこれでもかと香水を振りかけてから、家を出た。
冬が近いということもあって、あちこちでイルミネーションが光っている。
軽快にバスのタラップを降りると、冷たい風に耳が痛くなる。
俺はマフラーを巻き直した。
約束は19時。新橋駅。
人の波をかき分けるように進む。
待ち合わせ場所へ行くと、約束の人物はもう着いていた。
彼が片手を上げる。
「藤堂さん」
ラフな服装の俺とは対照的に、彼はスーツ姿だった。
「待たせました?」
「いえ、さっき来たところです」
彼は鼻先をこする。
その動作にひやりとする。
「まだ匂います?」
「……いえ?」
「それはよかった」
俺が予約したのは洒落た個室イタリアンの店だ。
イタリアンというのは柄ではないが、秘密の話をするのにちょうどよさそうだったのだ。
店に入っていくつか注文をすると、彼が尋ねた。
「僕、28歳です。藤堂さんはおいくつですか」
「30歳。俺のほうが、お兄さんですね」
「なら、普通に話してください。年上のかたに敬語を使われるの、慣れてなくて」
「じゃ、遠慮なく。雅」
俺は彼の名をあえて呼び捨てにした。
なんとなく、番に自分を大きく見せたかったのかもしれない。
「今日は仕事だったのか?」
彼はネクタイを緩めながら答える。
「はい……急ぎの案件で」
「大変だねぇ。どこもかしこも、半導体は足りないっていうし」
「僕たち半導体製造装置メーカーより、半導体を作ってる藤堂さんたちのところの方が大変だと思います」
「それはまぁ、な」
俺が苦笑する。
俺たち半導体業界のエンジニアが激務なのは、どこでも同じらしい。
雅は首を傾げた。
「藤堂さんの番さんは、どんな方なんですか」
「んー…」
「踏み込んだ質問でしたら、すみません。正直、この業界でオメガが働いているのを見たことがなかったので……番さんは嫌がらないんですか?」
「雅はどう思う? 番が激務をこなすエンジニアだったら、嫌か?」
「僕ですか? 僕は、別にいいと思いますけど」
「なら、そういうことで」
俺は笑った。
雅は首を傾げているが、ほんとうにそういうこと、なのだ。
不思議と、目の前にいる人物が俺の番なのだという確信があった。
酒が運ばれてくる。
雅は白ワインで、俺は焼酎だ。
俺はグラスを傾けながら、いつ切り出すかと思案する。
鞄の中には新聞記事の切り抜きが入っている。
俺の両親が俺の番を探すために匿名で記者のインタビューを受けた記事だ。
20歳で事故で番を持ってしまった俺は、当時ちょっと話題になったらしい。
それから、鞄には番の解消方法を説明したリーフレットも入っている。
昨日病院に行ってもらってきたものだ。
それによると、オメガの血液とアルファの毛根を病院に提出して、専用の注射を作ってもらうのだそうだ。
俺はじっと雅の整えられた綺麗な茶髪を見つめた。
酒が半分ほど減ったところで、雅が「実はオメガが怖いんです」と言い出した。
「オメガが、怖い?」
俺は目を丸くした。
「はい」
彼は真剣な顔で頷く。
「え、俺は? 俺もオメガだけど」
「だから、今日来たんです」
雅は躊躇いながら説明する。
「僕は20歳のときにアルファと判明したのですが、オメガのフェロモンがわかったことがないんです。いろいろ治療したんですけど、どれも駄目で」
「う…」
思わずうなじを抑える。
これのせいだ。きっと。
「でも、そんな僕を父は許してくれなくて。ある日、家にオメガの、その、そういう夜の仕事の人を呼んで、それで……。それから、オメガが怖くて……オメガ恐怖症とでもいうんでしょうか」
「……ファンキーな親父さんだな」
俺の軽口に、彼は首を振った。
「家のことが心配なんでしょう。僕は一人息子なので」
「いい家なの?」
「父親としてはそうなんでしょうね」
膝の上に置いた彼の手が震えていた。
「親父さん、厳しい人なのか」
「……正直、そうですね。父はオメガとのお見合いを何件も持って来て……。僕も何とかしようとする努力はしてます。でも……相手がオメガだと思うと、身がすくんでしまって」
「オメガって、見ただけでわかるのか」
「なぜか、わかるんです。フェロモンはわからないのに。番を持ったアルファもそうだと聞きました」
彼は震える手を隠すように拳を握った。
「僕は、フェロモンがわかるようになっても、もうオメガを受け入れられないと思うんです」
俺は目を瞬かせた。
「でも、俺に会いにこれたじゃん」
「それは……自分でも、それが不思議で、今日それを確かめたくて来たんです」
「で? どう?」
「不思議です。藤堂さんは平気なんです。番がいるオメガでも、僕は駄目で……。それで、毎回商談するときにオメガは遠慮してほしいとメールをしているんです。失礼なことをして、すみません」
雅は頭を下げる。
俺は慌てて顔の前で手を振った。
「いいって」
「すみません……あの、お詫びになにか……」
「ほんとうに、いいんだって。気にするな」
沈黙が落ちる。
彼はなにかを言いたそうだった。
俺は彼が切り出すのを待った。
グラスの中の氷が解けて、涼やかな音を出す。
意を決したように、雅は口を開いた。
「あの、またこうして会ってくれませんか」
「リハビリってこと?」
「はい……すみません。番がいらっしゃるオメガに、とても失礼だと思うんですけど」
俺は頭がぐるぐると回るのを感じた。
仕事、釣り、部下、上司、友人、それから、人生。
俺が番を持たないオメガだったら手に入らなかったであろうすべて。
今日、俺はそれらに別れを告げるはずだった。
それなのに。
俺は唾を飲み込んだ。
「――なぁ雅、お前、いま番になりたいオメガはいないってことでいいか?」
「もちろんです。僕は番いなんていりません。オメガが怖いんです。……ああ、でも、番がいなくて父が怒るのも怖くて……僕はどうしたらいいんでしょう」
彼は頭を抱える。
俺は笑う。
なんだよ、心配して損した。
テーブルのうえに身を乗り出す。
「なぁ、俺と番ごっこをしてみないか?」
お互い、ラッキーじゃん。
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