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第3話

「番ごっこ?」  雅の目がこれ以上ないほどに見開かれた。  俺は一瞬ためらう。  しかし、もう後には引けない。  俺はさらに身を乗り出した。 「そう。番ごっこ。俺と番のふりをするってこと」 「ええと?」  まだよくわかっていない様子の雅。  俺は胸を叩いた。 「俺が番のふりして、お前の親父さんに会いに行ってやるよ。そしたら、もう親父さんはお前を叱らないだろう?」 「そんなこと!」 「駄目じゃないさ」 「でも」  雅は一度言葉を切る。 「でも……。そもそも……あなたには番がいるじゃないですか」 「いるけど、なんていうか……」  俺はちらと雅の手元を見た。  彼は皿の上で、魚と野菜をきっちり等間隔で切っている。  酒を飲むのも、きっちり俺と同じペース。  彼はたぶん、几帳面で、律義だ。  俺の首筋に残る歯型の話をしたら、きっと彼は「番を解消する」と言うだろう。  俺の望みが謝罪でなかったとしても。  そして、それが雅自身の得にならないとしても。  きっと、彼は番を解消する。  それはふたりどちらのためにもならない。  俺はとっさに思い付いた嘘をつらつらと並べる。 「俺もほかのアルファと番ごっこをしているんだよ」 「え?」 「俺は働きたい。でもオメガが働くには番がいる。だから知り合いのアルファに頼んでうなじを噛んでもらったんだ」 「まさか」 「だって、おかしいだろ? こんな激務の業界にオメガがいるなんて。この業界、ベータ同士の夫婦でも仕事でもめるのにさ。アルファが、愛してるオメガをこんな激務に放り込むと思うか?」 「……」  我ながら、よくもまぁこうぺらぺらと。  今まで気が付かなかっただけで、俺には詐欺師の才能があるのかもしれない。  猜疑の目を向けていた雅の目が、半信半疑、といった様子に変わる。 「あの……いま藤堂さんが番ごっこをされている、アルファのお名前をうかがっても……?」 「……北小路」 「え?」 「北小路さん」  ごめん、部長。  咄嗟に思いつかなかったんだ。  内心で部長に両手を合わせる。  明日何か差し入れるから許してもらおう。  俺は呼吸を落ち着かせる。  フルネームではないし、それに、部長はほとんど社外との交渉には出ない。  雅と接点があるはずもない。  雅は言う。 「北小路さんは、あなたと番ごっこをしているのに、あなたが私とも番ごっこをしたら、困りませんか?」  俺は確信する。  あと一押しだ。 「俺は北小路さんに感謝してる。ほんと。北小路さんにはなんのメリットもないのにさ。恩を返したいけど、あの人は恩は返さず人に送れって言うんだよ。だから、俺が人を助けたなら、満足してくれるさ。どう? 俺は貰った恩を送れてハッピー、お前は恩を貰ってラッキー」 「……」 「もしお前がオメガ恐怖症を克服して、オメガと付き合いたくなったら、解消すればいい。というか、お前はなにもしなくていい。俺はもう、うなじ噛まれてるし。なんにもデメリットないだろう?」  雅は顎に手を当てた。  俺はじっと雅を観察する。  改めて見ると、彼はそうとうなイケメンだ。  切れ長の目に、すっと通った鼻筋、さらさらの茶色い髪。  スーツを着ると、そのスタイルの良さも際立つ。  何事もなく育っていたら、きっとオメガにもてもての人生を送っただろう。  彼の目は左右に揺れている。  きっと、俺の提案に乗るかどうか、ボーダーラインなのだろう。  個室イタリアンの店にしておいてよかった。  日曜日ということもあって、客が多いだろうに、店内は落ち着いた雰囲気だ。  ゆったりとしたBGMがかけられている。  予定外のことだが、こんな秘密のたくらみをするのにぴったりだ。  たっぷりの沈黙のあと、雅は口を開いた。 「藤堂さんって、変わってますよね」 「え? あ、そう?」 「はい……。その、なんというか、オメガらしくないというか」 「んー……」 「オメガの人って、正直、人生が大変そうじゃないですか」 「あ、ああ」 「なのに、藤堂さんは僕を助けようとしてくれていますよね」  胸を張ってみせる。 「お兄さんに任せなさいって」  彼がグラスを持つ手に力が入る。 「……ほんとうに、いいんでしょうか」  俺は破顔した。 「いいってことよ」  俺はグラスを高く掲げた。 「じゃあ、俺たちの番ごっこのはじまりに」  ぶつけたグラスが、透き通った音を立てた。  その後、食事を終えると、お会計で俺が奢る奢らないでもめて、結局割り勘になった。  合計16000円だから、2で割って、ひとり8000円。  しかし雅は「僕が飲んだ白ワインの方が高いです。しっかり計算すると僕の方が880円多いはずです」などと言う。  俺は肩をすくめた。 「あのな、俺の方が年上だから、俺が多く払うくらいでちょうどいいんだよ」 「でも、僕はメールの件の謝罪もしたいので……なんなら全部僕が払います」  俺は伝票をひったくる雅の後ろ姿を見て笑った。 「律義すぎるだろ……」  やっぱり、彼には本当のことを話さなくて正解だ。  こっそり、俺はうなじの歯型を指でなぞった。 「お前の人生、いい方向になるように手伝うよ」  ひとり、小さくつぶやく。  俺は今しばらくの自由を得た。  本当のことを言うのは、全部終わってからにしよう。  彼のオメガ恐怖症を克服させて、親父さんとの仲をとりもって。 「俺はお前に恩を返さないといけないからさ」  ――ここまで、俺に自由をくれた、その恩を彼に返すまで。  番ごっこのはじまりだ。  俺は彼の背を追いかけた。

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