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第6話
雅の実家は名古屋駅から地下鉄に乗り換えて2駅のところにあった。
名古屋の土地に俺は詳しくないが、おそらく一等地だろう。
そこに建つ立派な門構えの家。それが雅の家なのだそうだ。
父親の名前は榎原 聖 さん、母親は榎原 芽衣 さんというらしい。
父親は元経営者で、母親はいま刺繍の教室を開いている。
俺はその情報を脳内で確認して、隣に声をかける。
「じゃ、ここからは俺のことは泰斗さんって呼べよ」
「はい」
俺が念を押すと、雅は真っ蒼な顔で頷く。
おそらく、彼は新幹線で一睡もできなかったに違いない。
俺はため息をついた。
そしていつまでたっても玄関チャイムに手を伸ばさない雅の代わりに、それを鳴らした。
いったい、どんな厳つい親父さんが出て来るのかと思ったが、出迎えてくれたのは穏やかな、目じりに笑い皺のある男の人だった。
「いらっしゃい」
俺は腰を丁寧に折る。
「初めまして。雅くんとお付き合いをさせていただいております、藤堂泰斗と申します」
「待っていたよ。さあ、こんなところじゃなんだ。奥へ」
「はい」
歳はだいたい60代前半といったくらいだろうか。
年齢の割に体がしっかりしていて、背筋を伸ばしてしゃんと立っているのが印象的だ。
通されたのは立派な和室だった。
俺と雅は下座の座布団に、雅の父は床の間を背にして俺の正面の上座の座布団に座った。
「遠かったでしょう?」
これまた立派な茶器でお茶を持って来てくれた彼の母も涼やかな目元をもった、優しそうな雰囲気の人だった。
彼女は雅の前に座る。
「いえ、新幹線ですぐですよ」
「急に来てもらうことになってごめんなさいねぇ。私はもっとゆっくりでいいって言ったんですけど。夫が聞かなくて。泰斗さんはお仕事をなさってるんですって? 大丈夫だったのかしら」
「私も来たかったので。それに、土日休みなので、平気です」
「あら、じゃあ雅と同じね。それはいいわ」
正直、俺は拍子抜けした。
なんだ、うまくいきそうじゃないか。
なんてのんきな考えさえよぎった。
しかし。
「それで? ふたりはどこで知り合ったんだね?」
土産を渡して、形式的な挨拶を済ませたあと、彼の父が尋ねた。
簡単な質問だと言うのに、雅はびくりを肩を震わせる。
「い、い、い、1年前にっ……1年前に……!」
ん? 雅?
俺は嫌な予感がして隣を見る。
「……はい、そういう、こと、です」
雅の顔色は、蒼白を通り越して紙のように白くなっていた。
「泰斗さんはお仕事を?」
「はい、あの、こちらが泰斗さんです……」
質問と答えがあっていない。
おまけに、こうも声を裏返していたのでは、疑ってくださいと言わんばかりである。
俺は内心、舌を打つ。
こんなことになるなら、打ち合わせというか演技の指導をしておけばよかった。
雅の父はなおも問う。
「泰斗くんとは、もう番になったんだろう?」
「は、はい、はい……はい……番に、なりました」
こら雅。そこははっきり言え。
ご両親の視線が俺に集まる。
言外に、どういうこと? と訊かれている気がした。
まったく、手がかかる。
俺は咳ばらいをしてから口を開いた。
「番になりました。2週間前です。ほんとうはもっと早くにご挨拶にうかがうべきでしたのに、遅くなって申し訳ありません」
言い添えてから、ワイシャツの襟を直す。
うなじの歯型には大きめの絆創膏を張って隠している。
かれこれ10年俺と共にあるそれは、つい最近噛まれたようには見えないからだ。
番を得て、うなじを噛まれたばかりのオメガが絆創膏を貼っていても、そこまで不自然ではないはずだ。
彼の父は嬉しそうに目じりの皺を深くした。
「……そうか。それはいい。楽しい時期だろう。めでたいことだ」
「ほんとうにそうだわ。私たち、息子から恋人がいるだなんて話、一度も聞いたことがなくて。心配していたのよ」
俺は苦笑する。
いまは時代が変わってきているとはいえ、28歳といえば、親世代からしたらそういうプレッシャーをかけたいお年頃かもしれない。
雅の父が耳の後ろを掻く。
「雅は一人息子ということもあって、厳しくしすぎたかと思っていたところだったんだ」
「いえいえ。しっかりした息子さんで」
「それで、うちの息子とはどこで知り合ったんだね?」
「ああ、それは、私はちょっと在宅で仕事をしているんです。そこで、雅くんの勤め先と接点が」
「ああ、なるほど。うちの馬鹿はちゃんと働いているのかね」
「ええ。頑張ってますよ」
「それはよかった。息子が転職すると言い出したときは驚いたが、転職先でなんとかやっているようなら安心だ」
へぇ。雅、転職経験者なのか。
初耳だ。
雅は隣で「父さん?」と首を傾げている。
俺は適当に話を合わせる。
「私が聞く限りでは、彼の評判は上々ですよ」
そのとき、彼の父の目の色が、変わった気がした。
「――ところで、私はふとこんなことを思ったのだが」
彼の声には自信があふれている。
他の人間を従わせてきた、アルファの声だ。
俺は背筋を正す。
それまで好好爺然としていた目の前の人物が、獰猛な獣のような雰囲気にがらりと変わる。
「息子はオメガが嫌いでね」
「へ」
「正直なところね、いままでの息子を見ている限り、番を作りたくないようだったんだよ」
「……へぇ」
「しかし番を作ってほしいと思うのが親心だ。息子にはずっと番をつくるように口を酸っぱくして言い続けていたんだ。きっと、息子はそれに耐えかねたんじゃないのかね?」
「へ……?」
話の流れが妙だ。
彼は俺を見据える。
腹の底を見透かすような目だ。
「――君は息子が用意した偽物の番なんじゃないかね? 息子は転職をしていないが、そんなことも知らないのだろう?」
なるほどね。
かまをかけられたわけだ。
俺は腹にぐっと力を入れる。
アルファの気配がひしひしとする。
支配者の、気配だ。
彼は俺を睨みつける。
気圧されたら負ける。
「雅くんとは、いい交際を続けさせていただいています」
「では息子が卒業した大学は? 得意なものは? 趣味は?」
「お互い、知らないこともまだありますけど、それはこれから知っていきます。番とは、そういうものですよね?」
「どこか旅行でもしたのかね? 交際して1年、だったかな。ぜひ写真を見たいものだ」
「……実は、私は写真が嫌いで」
背中を冷たい汗が伝っていく。
喉元に鋭利なものを突き付けられているかのようだ。
「私は息子のことをよくわかっているつもりだ。雅は、私の圧に耐えかねて君を用意したんだね?」
「まさか」
「君は確かにオメガのようだが、なぜこんなことに協力を? アルファの影響を受けないということは、番がいるね? どこにいる? このことを知っているのかい?」
「……」
旗色が悪い。
やっぱり、雅の演技指導も含めて、多少の打ち合わせは必要だったかもしれない。
いま後悔しても遅いが。
俺は手が震えだすのを感じた。
俺が負けじと口を開こうとしたとき、それまで黙っていた雅が割り込んで来た。
「父さん」
彼は震える俺の左手に、右手を重ねる。
「やめてください」
キッ、と父を睨む。
「泰斗さんに余計なことを言わないでください」
「お前のために話しているんだ」
「やめてください」
雅は語気を強めた。
思わず、俺は目を瞬かせる。
なんだよ、やるじゃないか、雅。
あんなに親父さんを怖がっていたというのに。
そう思ったのは、俺だけではないようだ。
「ほう……」
雅の父が目を細める。
たぶん、彼も「やるじゃん雅」と思っているに違いない。
少し彼の圧が弱まる。
この隙を逃がしてはならない。
「お義父さん」
俺が呼びかけると、彼はすかさず言う。
「ちょっとその呼び方ははやくないかね」
「じゃあ、聖さん」
俺はにっこりと笑う。
「……証拠が見たいんですよね。お見せしますよ」
言い終わるや否や、俺は雅のネクタイをひっつかんで、そのまま彼の唇を奪った。
湯のみが、かちゃん、と机に当たる音がした。
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