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第21話(雅視点)
「番ごっこ、か……」
僕はひとりごちる。
「雅、なんか言ったか?」
「いえ……」
「ん?」
キッチンから泰斗さんが首を伸ばしてこちらをうかがっている。
僕はそれほど多くのオメガを知っているわけではない。
僕が知っているのは父が連れて来たオメガくらいだが、彼らはみな一様に美しかったり、愛らしかったり、外見的な魅力と、妖艶とでも形容すべき艶めかしさをあわせもっていた。
僕は泰斗さんの顔をまじまじと見る。
彼の容姿を僕は好ましいと思うが、万人の目を惹くようではない。
彼が纏う雰囲気も艶めかしくはない。
どちらかというと人懐っこい印象だ。
いまも「そんなに見つめちゃいや~」などと軽口を叩いている。
彼がオメガらしくないことも、僕が彼に恐怖を抱かない理由のひとつなのかもしれない。
そんな彼とはじめた「番ごっこ」は、確実に僕を変えた。
僕は尋ねる。
「今日の肉うどんの肉はなんですか」
彼は笑う。
「牛肉。焼くか茹でるか、どっちがいい?」
「茹でてください」
「はいはい」
少しすると、香ばしい香りとともに、鍋から蒸気があがりはじめる。
蒸気を浴びて、泰斗さんの頬がほんのりと赤らむ。
その頬が、僕に名古屋での夜を思い出させる。
――あの夜。
僕は父に泰斗さんを紹介して。
あれほど恐れていた父からうれしい言葉ももらって。
絶対だった父と少しだけわかり合えた気がして。
「番ごっこ」を提案してくれた彼に心底感謝をして。
だから、その夜、もう少しだけ泰斗さんと話していたかった。
洗顔料を口実に彼の部屋をノックすると、中から何かが倒れたような音が聞こえた。
それで、慌ててドアを開けたら――。
彼がズボンからそれを出して、四つん這いになっていたのだ。
あのときのことは、たぶん一生忘れないと思う。
全身に血がかけめぐった。
世界から音が消えて、彼だけが僕の目に映る。
その痴態から目が離せなかった。
自分の喉が鳴った。
彼の上に倒れれば、彼の首筋が匂い立った。
股間のそれが硬くそそり立ち、僕の理性をあっけなく吹き飛ばした。
嫌悪感はなかった。
むしろ、もっと、と思ってしまう自分がいた。
彼の高揚した頬に欲情した。
それは人生ではじめての感覚だった。
これが、アルファとして生きるということなのだろうか。
オメガを求める本能。
いや、彼を渇望する自分がいた。
一度精を吐き出したあと、僕は理性を総動員して自分の部屋に逃げ帰った。
それは正解だった。
あの夜、結局僕は一睡もできなかった。
滾る下半身を何度も自分で鎮めたが、それでも体の熱は冷めきらなかった。
しかし、その熱以上に辛かったのは、どう責任をとればいいのかわからないことだった。
(いくら同意があったとはいえ、なんということを……)
僕は自分がおかしたことが信じられなかった。
翌朝、泰斗さんから電話が来た。
液晶に表示された名前に心臓が跳ねた。
(……どうしよう……なんと謝罪すればいいか)
恐る恐るスマートフォンを耳にあてると、情けない声が聞こえてきた。
『雅~! 服買ってきて~。Lサイズでいいから』
「は?」
『昨日あのまま寝たせいで、服が精子でカピカピになった。助けてくれ~』
――なんというか、呆れた。
どんな顔で次彼に会えばいいのかと悩んでいた自分が、馬鹿らしくなった。
僕はその日のことを思い出してふっと笑った。
こういうふうに、彼は僕の価値観を容易く壊していく。
泰斗さんの料理は順調に進んでいるようだ。
鍋に肉を入れると、食欲をそそる香りが広がる。
僕は鍋を掻き混ぜている泰斗さんに尋ねる。
「泰斗さん」
「なんだよ」
「僕と住みはじめたときの素直な感想を聞いても?」
「ええー……」
彼の眉間にあからさまに皺が寄って、僕は噴き出した。
「言っておきますけど、僕もそんなにいい感想を抱いてませんでしたからね」
「まだ何も言ってないだろうが!」
「目は口ほどにものを言っていますよ」
「やっべ」
彼は慌てて顔を隠す。
僕は苦笑した。
――いっしょに住み始めた感想をまとめるなら「最悪」だ。
靴下はそのへんに脱ぎ散らかすし、冷蔵庫のなかの配置を勝手に変えるし。
えいやとゴミを投げてゴミ箱に入れ損なっても拾わない。
相性が悪い。
でも、不思議と同居を止めてさっさとホテル暮らしをしようとは思わなかった。
夕飯を作ったときの大げさな彼の褒め言葉がうれしかったり。
口喧嘩になったあと、しまった言い過ぎた、と思ったあとの軽口がうれしかったり。
僕と正反対の彼との生活は、僕に新しい世界をくれた。
絶対でなくてもいい。
完璧でなくてもいい。
完全でなくてもいい。
いつの間にか、僕の肩の力は抜けていった。
そういう日々を重ねていくうちに、最初は理解できないと思っていた彼のことも、だいたいわかるようになった。
僕はゆっくりとソファから身を起こした。
僕は足音を消して泰斗さんの後ろに立った。
「泰斗さん」
「うわ、雅。なんだよ、休んでろよ」
「どうせ、牛肉を茹でてもアクを捨てないつもりでしょう」
鍋の中には醤油とみりんと酒で作ったであろうタレと、それで茹でられている牛肉があった。
予想通り、タレにはアクが浮いている。
彼は小声で反論してくる。
「……栄養あるぞ?」
これまた予想通りの反論に、僕はちょっと笑う。
たぶん僕は、彼の一番の理解者かもしれない。
そう思えるのが、少し誇らしい。
「僕は嫌なんです」
僕が唇を尖らせると、彼は苦笑した。
「はぁ~……しょうがねぇなぁ……」
僕はまた笑う。
ほんとうはもうアクなどどちらでもいいのだが、僕のわがままに付き合ってくれる彼を見たくて、やめられない。
彼は手早くアクを捨てると、茹でたうどんの上にそれをかける。
小ねぎをちらしたら完成だ。
ダイニングテーブルにふたつのどんぶりを並べて向かい合う。
彼は両手を合わせてから、ふっと笑った。
「俺は、お前と住むの、いまはそんなに嫌じゃないぞ」
僕は苦笑する。
「そんなに、ですか」
「そんなに、だ」
「じゃあ、もう少しいい評価をいただけるように頑張ります」
「なんだよ、急に殊勝なこと言っちゃって。やっぱり熱があるんだな、これは」
「失礼ですね」
一口目を食べる。
予想通り、醤油の味が濃い。
これが彼の好みの味付けなのだろう。
やっぱり、僕は彼をよくわかっている。
しかし。
僕は目を伏せる。
その自負は、簡単に砕かれた。
あの金曜日、彼があの男――北小路先達の家に泊まったことで。
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