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第25話
細川さんが帰ったあと、俺は油が切れたロボットのようにぎ、ぎ、ぎと顔を動かして雅を見た。
「雅……あ、あのさ」
「泰斗さん?」
「な……なんでキス……」
「だめでしたか?」
俺は黙って俯く。
雅は気まずそうに言う。
「……疑われていたわけじゃないんですか?」
「疑われてた、かも」
「……以前も疑われたときにはこうしたじゃないですか」
俺は弾かれるように顔を上げた。
「そ、そうだよな!」
勢いよく頷く。
そうだ。
疑いを晴らすために雅とキスをする。
前もしたことだ。
気にするようなことではない。
俺は火照った頬に冷えた手を当てて、冷ます。
「いや、ちょっとびっくりしてさ。まさかあの堅物の雅にそんなことができるようになるだなんてな~」
軽口を叩くと、雅もほっとしたように笑う。
「僕だって、ちょっとは機転が利くんですよ。細川さんがわざわざ来るなんて、おかしいなって思って」
「いや、確かにナイスプレーだった」
そう言ってお互いに笑う。
でも、なんというか。
俺はほんのちょっと、何かを期待してしまったのかもしれない。
キスがなにか特別な意味を持つのではないか、と。
俺は手を叩いた。
「俺、疲れたし、さっさと寝ることにする!」
「泰斗さん、夕飯は?」
「今日はもういいや」
自分の寝室に足早に入ると、後ろ手に鍵を掛ける。
そして息を吐く。
俺はなにを舞い上がっているんだ。
俺と雅は、最初から番のふりをするという関係じゃないか。
キスだって、前にしたのと同じだ。
俺は自分の下半身をちらと見て、ため息をついた。
――彼とキスしたあとに熱を持つのも、前と同じだ。
俺はドアに背を預けたまま、ずるずるとその場に座り込んだ。
体が、下半身が、腹の奥が、熱い。
俺は目を閉じて、懸命に熱を逃がす。
呼吸を整えていると、控えめにドアがノックされた。
「泰斗さん、あの」
「なんだよ」
「……手伝いましょうか?」
何を、と雅は言わない。
でも、ばれているのだろう。
俺はゆるく首を振る。
同じだ。
なにもかも。
あの名古屋での夜と。
違うのは、俺の心と、ドアに鍵がかかっていることだ。
俺は冷静な声音で言う。
「……いや、今回はそういうのじゃないから」
「でも」
「ほんとうになんでもないんだよ。ちょっと風邪っぽいだけ。部屋に入ってきたら怒るぞ」
そう言っても、雅の気配はドアの前から離れない。
「泰斗さん。ひとつ聞きたいんですけど」
「……なんだよ」
「もし、僕のオメガ恐怖症が治ったとしたら、僕との番ごっこは終わりなんですか」
なんでいま、そんな話を。
「そうだよ。そうしたら、お前とは……いい友達になりたい」
俺は自分に言い聞かせるように言った。
騙していたことを謝罪して、それで俺に自由をくれたことを感謝して。
それが俺の目指すべき、この番ごっこのハッピーエンドだ。
雅はなおも続ける。
「北小路さんとの番ごっこは続けるんですか」
「まぁ、そうだな」
俺は自嘲する。
嘘に嘘を重ねて、ここまできた。
いまさら、雅を好きになる資格など、俺にはない。
ならせめて。
「どうだよ、オメガ恐怖症は治りそうか? 俺との生活はいいリハビリになるだろ」
投げやりな言葉だ。
心のどこかでは、雅がこの言葉を否定してくれるのを待っている。
しかし、長い沈黙のあと、雅が言ったのは――。
「……そうですね。僕はまだまだオメガが怖いので。泰斗さんにいっしょに暮らしていただけて、いいリハビリになっています。……感謝しています」
その言葉が、胸に刺さる。
俺は膝を抱えて、その間に頭を押し付けた。
もう何も話したくなかった。
雅はそれから何度か俺に声をかけてくれた。
しかし、俺がなにも言葉を発さないでいると、彼の気配はゆっくりと去っていった。
「あーあ」
小さくつぶやく。
こんなはずではなかった。
雅と彼の父との関係を改善して、雅のオメガ恐怖症をなおして。
そうしたら、全部終わり。
俺たちの間には恋愛感情なんて一切なし。
なのに、俺は雅を――。
俺は硬く目を閉じて、雅のことを頭の中から追い出した。
翌朝目を覚ましたら、出社しないといけない時刻を過ぎていた。
「どわああ!?」
俺は時計を見るなり飛び起きた。
そのまま勢いよく寝室を飛び出す。
リビングでは、雅がコーヒーを飲んでいた。
「泰斗さん!?」
「あれ、雅!? なんでまだいんの?」
「泰斗さんが起きてこないから、心配して有休とったんですよ」
「まじ!? ふつうに寝坊!」
起こしてくれよ~、などと泣きごとを言いながら、コートを羽織ってカバンをひったくるように持つ。
「泰斗さん、朝ごはんは?」
「食べる時間ない!」
俺はそのまま家を飛び出した。
「もう、あなたって人は……」
と、雅の呆れた声が聞こえた気がした。
ああ、もう。
俺ってなんでいつもこうなんだ。
職場に着くと、部長が笑いをかみ殺しながら俺を待っていた。
「やっと来たか。このスットコドッコイさんめ」
時計は9時半を指している。10時から大事な会議だ。
俺は勢いよく頭を下げた。
「すみません!」
「この死ぬほど忙しい年末に~」
「すみません!」
部長は俺の耳を引っ張って、フロアの隅に連れていく。
そして声を落として尋ねる。
「で? 理由は? 雅くんと喧嘩?」
「いや、全然、そういうのじゃなくて」
「じゃなくて?」
昨夜は、確かに寝られなかった。
原因は――。
「ええと……なんか、自分探しの、時間が必要で?」
「ふぅん」
部長はまたおもしろそうに笑う。
「よし、じゃあ今日の遅刻はちゅーで許してやろう」
俺の首に腕を回して、そんなことを言う部長。
「セクハラ!」
「それこそ部下ハラだ!」
「なにがだ!」
俺たちのやり取りを聞いて、部下や後輩たちは苦笑している。
ああ、いつも通りだ。
自席に座ると、俺は心が凪いでいくのを感じた。
「寝坊して、案外ラッキーだったな」
ほんとうは、今日雅とどう顔を合わせたらいいのか、わからなかった。
でも遅刻してばたばたしたおかげで、もうそれもふっとんだ。
帰ったら雅に朝から騒がせたことを謝ろう。
「やっぱ俺ってラッキーヒューマンだな」
俺がつぶやくと、部長の声が響いた。
「藤堂! 資料爆速で送れ!」
「はい!」
さて、今日も頑張りますか。
忙しいことが、いまは救いだ。
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