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第27話

「おい雅!」  呼びかけても、雅は止まらなかった。  大通りを走って、走って、走った。  どこをどう走ったかわからなくなるまで走った。  そうしてたどり着いたネオンの光の海で、ついに俺の足がもつれた。 「どわぁあっ」  情けない声で俺がすっ転ぶと、雅はやっと足を止める。 「お前なぁ……!」  文句のひとつでも言ってやろうと顔をあげるが、彼の目に浮かぶ涙を見て言葉を飲み込んだ。 「あなたは……あなたは……っ!」  雅は俺の傍に膝をついて、そのまま顔を覆う。  彼の茶色い髪がさらさらと流れる。 「雅」  反応はない。  それでも俺は続ける。 「悪かったよ。北小路さんのこと、黙ってて」 「……」  北小路さんの名前が出ると、雅の肩が揺れた。  しかし、それ以上の反応はなかった。  いつまでそうしていただろうか。  ちょうどそういうホテルのある通りだった。  カップルたちは道で向かい合って座り込む俺たちに意味深な視線を向けて通り過ぎていく。  そうして何組かが通り過ぎたあと、やっと雅は口を開く。 「泰斗さん」  その声はどこか不安そうだ。 「僕は、あなたを知らなさすぎる」 「……ごめん」  背中を撫でてやると、少しずつ彼の体がから力が抜けていくのが分かった。  しばらくそうしていると、こてん、と頭を俺の肩に預ける。  小さく、雅が言う。 「……すみません」 「おうよ」  彼の頭をぽんぽんと撫でると、雅がまた口を開く。 「北小路のこと、どう思っていますか」  彼の腕が俺の体に回される。  俺は返事に窮する。  質問の意図がわからなかった。 「どうって………」 「好きですか」 「まさか」 「ただの番ごっこ、なんですよね?」 「そうだよ」  また部長の話だ。  これがアルファとしての対抗心というやつなのだろうか。  俺は彼の肩を叩く。 「ほら、雅、立てるか?」  しかし、彼は俺にしがみついたまま動かない。 「発情期になったら、北小路のところに行くんですか」 「いや、ええと……今日その相談してて……俺は俺の実家に行くことにしたよ」 「……ほんとうですか」 「嘘ついたってしかたないだろ」 「ご実家って、どこでした?」 「た、多摩……」  嘘ついたってしかたない、と言った舌の根も乾かぬうちに、とはこのとこだ。  俺がその場しのぎで作った設定が、俺を追い詰める。 「僕も、ご挨拶に行ってもいいですか」 「だ、駄目だって!」 「どうして」 「いや、ほら、番ごっこで、その、相手は北小路さんって親には伝えているし?」 「……そう言って、ほんとうは北小路のところへ行くんでしょう」 「なんでそうなるんだよ。行かねぇよ」  信じたのか、そうでないのか。  雅は小さく息を吐いた。  雅は不安そうに言う。 「……僕に」 「うん」 「……僕に、好きな人ができたら、泰斗さんはどうしますか」  胸の奥のちくりとした痛みを無視して、俺は言う。 「……ケーキ買って祝ってやるよ」 「……番ごっこは終わりですか」 「番いたい相手ができたら番ごっこは解消だろう? お前が決めたルールにそう書いてあっただろ」 「そうなってほしいですか」  俺は目を閉じる。 「……お前には幸せになってほしいよ」  これは、嘘で塗り固めた俺の、紛れもない本心だ。  雅は深く息を吐いた。  そして沈黙したあと、ゆっくりと俺から体を離す。  彼と目が合う。  静謐な瞳だった。 「泰斗さん」  彼の声からは動揺も不安も消え去って、むしろ冷たさを感じるほどだ。 「なんだよ」 「キスがしたいです」 「は?」 「……かわいそうな僕の、リハビリに付き合うと思って」 「でも」 「経験豊富なんでしょう」  胸に苦いものが広がる。  ああ、俺は雅に嘘をつきすぎている。 「……いいけど」  俺が頷くと、雅は俺の頬に触れ、ゆっくりと近づいた。  唇に、雅のそれが重ねられる。  雅の唇は、熱かった。  悲しい気がした。  それでも、うれしかった。  それから、苦しかった。   いろいろな感情がぐちゃぐちゃになって、世界から音が消えた。  これ以上はいけない。  俺は雅の肩をぐいっと押して引き離す。 「ほら、もういいだろ」 「もう1回」  そして、間髪を入れずにまた唇を奪われる。  心臓が跳ねる。  俺は雅をまた引き離す。  雅はじっと俺を見つめる。  ふたり分の吐息が混ざり合う。  頭では「だめだ」とわかっているのだが、それは言葉にならない。  俺のためらいを見透かしたように、雅の顔がゆっくりと近づいてきて――もう1度唇が合わせられる。  ついばむようなそれ。  まるで愛しいものにするようなそれ。  俺はもう彼を引き離せない。 「ぁ……」  小さく俺が声を漏らす。  それが合図だった。  雅は俺を抱きしめると、そのまま頭を抑え込み、かみつくようにキスをする。 「……んぅ……」  雅は俺の唇をふさぐように唇を合わせると、空気を求めてわずかにあいた隙間に舌をねじ込んだ。  上顎をくすぐり、歯列をなぞり、舌を吸う。 「ぁ……ふっ……」  彼の舌は口内の奥まで容赦なく侵入した。  逃がさない、とでもいうようにきつく抱きしめられて、息ができないくらいだ。  くらくらして、ふわふわして、もう何もわからなくなる。  全身から力が抜けて、いつの間にか雅にもたれ掛かるような形になったとき、やっと雅の唇が離れた。 「みや、び……」  肩で息をする俺を、彼は見下ろす。 「泰斗さん」  彼の喉がゆっくりと上下に動く。  瞳は、まるで獲物を見つめる獣のようだ。  俺は息がつまった。  知らない。  こんな雅は、知らない。  怯える心とは裏腹に、体はいつも通りだ。  俺の股間は彼のキスに反応して、勃ち上がりはじめていた。  雅の手が、そのふくらみにそっと触れる。 「雅! こんなところで……!」  動揺する俺。  しかし雅の声は冷静だ。 「こんなところで、勃起しているのは泰斗さんですよ」 「……っ!」  やわやわと刺激されて、俺は思わず雅に縋りついて顔を伏せる。 「手伝いましょうか」  匂いが、した。  アルファの匂いだ。  ああ、これがアルファの匂いか。  人生で初めて感じるアルファの匂いは、甘美で、脳髄を揺らす。  しかし俺は理性を振り絞って首を振った。 「だめだ……」 「泰斗さん」  雅が俺の目を見る。  唇を撫で、頬にキスを落とす。  それから俺を抱きしめて、下半身を押し付ける。  そこには、硬いものがあった。 「――お願い」  匂いが、濃くなった。  手を握られる。  俺は目を逸らす。  理性ではいけないとわかっている。  でも、昨日から発散できない熱が、俺を狂わせた。  俺は――雅の手を握り返した。

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