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第30話(雅視点)

「じゃ、2時間後に出てこいよ。絶対だぞ」  そう言い残して、泰斗さんは先にホテルを出てしまった。  ほんとうはいっしょに帰りたかったが、彼が頑として首を縦に振ってくれないので、泣く泣く諦めた。  彼の背中を未練がましく見送ったあと、僕はひとりシャワーを浴びた。  暖かいお湯を浴びると、混乱していた頭がクリアになっていく。  そして、クリアになればなるほど、ため息があふれた。  泰斗さんに僕のことを好きになってほしかった。  番ごっこの相手ではなく、正式な番になりたくて。  唇に触れる。  昨日と今日で、僕は泰斗さんと何度もキスをした。  泰斗さんは僕を受け入れてくれた。  きっと、このまま僕の想いも受け入れてくれる。  そう思ったのに。  ――雅、もう今日は俺に近づくな。  泰斗さんの言葉を思い出して、唇を噛む。 「……くっ」  それでも足りず、浴室の壁を拳で殴る。  今日は僕たちの初めての夜になるはずだったのに。  失敗した。  それも、きっと最悪のかたちで。  泰斗さんとひとつになれたことで、浮かれ過ぎた。  ――雅……やめろ、抜いてくれ……っ。  泰斗さんがそう言ったにもかかわらず、彼の奥を突き続けた。  それで、泰斗さんは怒ってしまった。  再び、僕はため息をつく。  泰斗さんに気に入ってもらいたくて。  そのために慎重に抱かなければならなかったのに。  最初の方は、冷静に、慎重に彼の反応を見ながら彼の体に触れることができた。  でも、乱れた彼を見るうちに、興奮する自分を抑えられなくなった。  彼の上気した頬や、しっとりと濡れた肌。  僕は目を閉じて熱を持ちそうになるのをこらえる。 「ふー……」  シャワーを浴びたあと、ベッドに仰向きで寝転んだ。  すると、今度は泰斗さんが「床は、よくないな」とつぶやいていたのを思い出す。 「せめてベッドまで運んであげればよかった……」  今日は後悔することばかりだ。  僕としたことが。  額に手を当てる。  「匂い……」  あの匂い。甘くて、どこか狂わされるような匂い。  ――お前、オメガの匂いにやられてるだろ。  泰斗さんはそう言っていたが。 「違いますよ」  僕は苦笑する。  いまさら、匂いがなんだというのか。 「僕はもうずっとあなたにやられているんです」  だから、あなたが僕とひとつになってくれて、嬉しすぎて、幸せすぎて、こうなってしまったのだ。  時計を見る。  時間は遅遅として進まない。  早く家に帰って泰斗さんに謝って、それで――。  僕は家のダイニングテーブルに用意してきたものを思い出してくすりと笑う。  きっともう泰斗さんは家に着いたころだろうか。  そしたら、それを見つけて、喜んでくれただろうか。  僕は泰斗さんの喜ぶ顔を夢想する。  それから、そんな彼を抱きしめる僕。  キスをして、そして今度はちゃんとベッドで――。  どれくらいそうして幸せな妄想を繰り広げていただろうか。  時計を見る。  ぼんやりとしている間に、もうそろそろここを出てもいい時間になった。  僕は立ち上がる。  一刻でも早く、帰りたかった。  ホテルの外に出て、駅への道を急ぐ。  駅が近くなるにつれて、ネオンのあやしい光はイルミネーションの輝きに変わっていく。  そして駅の前には赤い帽子のサンタクロースの人形が飾られていた。  僕はそれをじっと見つめた。 「クリスマス……」  もう明後日にまで迫っている。  いままではそうした行事には興味がなかったが。  もし僕と泰斗さんが正式に恋人となったなら、その日はいっしょにケーキを食べて、プレゼントを交換して。  頬がゆるむのを止められなかった。 「……泰斗さん、喜んでくれたかな」  ダイニングテーブルの上には、腕によりをかけて作った料理が並んでいる。  どれもいままで泰斗さんが「おいしい」と言ってくれた料理ばかりだ。 「帰ったら、仕切りなおさないと」  そして、ポケットの中にいれたそれの輪郭をなぞる。  今日の午前中に、ひそかに買いにいったそれ。  彼のことだから、きっとシンプルなものが好きだろうと思って、でもシンプルなものほど比べるのが大変で。  それでもなんとか選んだ、銀に輝く指輪。  自然と歩みが速くなる。 「緊張してきた」  誤魔化すようにひとり笑う。   昨夜、キスをして興奮したらしい泰斗さんに「手伝い」を拒絶されて。  閉ざされたドアを前にして、僕は思ったのだ。  こういうときに、彼に触れる権利がほしい。  だから、今日はそれを伝えたくて、準備をしていたのに。  忌々しい人物の名前をつぶやく。 「北小路」  あいつのせいで段取りがめちゃくちゃだ。 「上司、か」  まさか泰斗さんの上司だったとは。  なぜそんな人物と大学生の泰斗さんが番ごっこをはじめるに至ったのだろう。  いや、そもそもなぜ――。  首を振る。  よそう。  疑問は尽きないが、あれこれと詮索しても泰斗さんが答えてくれないのはもうわかっていることだ。  いま泰斗さんは北小路ではなく僕といっしょに暮らすことを選んでくれている。  それだけで十分だ。 「……泰斗さん」  早く会いたい。  そしてこの想いを伝えたい。  僕は幻想的なイルミネーションの中を足早に駆け抜けた。  港区のマンションに着くと、僕は少しだけ咳ばらいをしてから玄関ドアを開けた。 「ただいま戻りました」  返事はない。 「泰斗さん?」  妙だ。  リビングには灯りがついていない。  寝室をのぞいてみるが、そこも暗いままで、人の気配がない。 「泰斗、さん……?」  静かな部屋。  僕の声だけが響く。  心臓がばくばくと鳴りはじめる。  嫌な予感に、呼吸が早くなる。  リビングに入る。  やっぱりおかしい。  いつも脱ぎ捨ててある泰斗さんのコートがない。  ダイニングに目をやると、僕が用意した料理と――手紙があった。 「……?」  それは『雅へ』からはじまる置き手紙だった。  泰斗さんらしい大きな文字が文字が並んでいる。  僕は素早くそれに目を走らせる。  時計の秒針の音が聞こえる。  僕は何度も何度もその手紙を読み返した。  手紙には、十年前の新聞と、番を解消する方法が書かれたリーフレットもクリップで止められている。  新聞の見出しには『意識のない状態でうなじを噛まれたオメガ』とある。  そして、分針がカチッと音を立てて進んだとき、やっとすべての意味を理解した。 「泰斗さんが、僕の番……?」  手紙はこう締めくくられている。 『番を解消するための注射はこっちで用意して、勝手に打っておくから、心配いらない。どうか元気で』  世界から音が消えた。

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