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第35話
「泰斗! あんたねぇ!」
ノックもなしに、母さんが俺のコートを片手に部屋に入って来た。
「帰ってくるなり服脱ぎ散らかして……!」
「んー……」
俺が気のない返事をすると、母さんの後ろから父さんが顔を出す。
「泰斗ぉ、お前、もう年末休暇なのか? ずいぶん今年ははやいんだなぁ」
「んー……」
――あのあと。
日向と別れた俺はその足で八王子の実家に帰り、自室のベッドに横になっていた。
窓の外はもう真っ暗だ。明日は雪が降るらしい。
エプロン姿の母さんはせわしなく俺のコートをハンガーにかけたあと、尋ねる。
「夕飯は?」
「いらない」
母さんの声のトーンがわずかに落ちる。
「あんた、体調悪いの? 顔色悪いわよ」
俺は寝返りを打って顔を隠す。
「寝るの?」
「……」
俺が答えずにいると、父さんが後ろから言い添えてくれる。
「……母さん、泰斗も疲れてるんだよ」
「……そうね。泰斗、冷蔵庫に夕飯入れとくから、お腹すいたら食べなさい」
「ん」
両親がそっとドアを閉めて出ていったのを確認すると、俺はゆっくりと部屋を見渡す。
大学卒業まで住んでいた俺の実家の部屋は、まるで時がそのときから止まっているかのようだ。
漫画本、趣味で集めた釣り具、高校の授業で作ったラジカセ……。
息を吸い込むと、懐かしい匂いが胸に広がる。
それに導かれるように、心が子どもの頃に戻っていく。
純粋で、未来への希望にあふれていたあの頃に。
俺はうとうとと目を閉じる。
ここ数日、ほんとうにいろいろあった。
木曜日に雅とキスして。
金曜日に雅に抱かれて。
今日は病院に行って、それから……いろいろなことを知って。
ひどく、疲れていた。
もう眠りに落ちる、というそのとき。
――あなたがいまやっていることはただの自己防衛です。
脳裏に細川さんの言葉が蘇って、目が覚める。
「……はぁ」
ため息をつく。
日向とはひとつ約束をして別れた。
彼は最後まで「雅と話し合え」と言っていた。
それはもっともだ。
俺がここにいるのは、間違いなのかもしれない。
いや、ここにいたとしても――。
ちらりとスマートフォンに目をやる。
雅からの着信がひっきりなしに来るせいで、ついにバッテリーが切れてしまったそれ。
これに電源を入れてしまえば、雅と話せるはずだ。
しかし、どうしても充電ケーブルを挿すことができなかった。
「いまさらどんな顔して話せっていうんだよ……」
置き手紙には、番を解消するとはっきり書いたというのに。
やっぱりなしで、話し合おうなんて——虫がよすぎる。
結局、楽な方へと逃げるのが人間というものらしい。
俺はまだ雅と向き合うことから逃げている。
わかっている。
わかっているが、どうしてもいまは休息が必要だった。
頭はぐちゃぐちゃで、体は疲労困憊していた。
「なんだよ、雅も嘘をついてたって……」
番ごっこを続けるための雅の嘘。
それが意味するのは――。
「いや、よせよせ」
俺は頭から布団を被る。
そして高鳴る胸に言い聞かせる。
「それだって、俺が番だからそう感じてるだけかもしれないだろ。匂いに惑わされて……」
そこまで言って、はたと止まる。
「……結局、話さないとわからないんだよなぁ……でも、会ったらまた俺の匂いで……」
堂々巡りだ。
「ああ、オメガだのなんだの、ほんとうにめんどくさい」
いっそ、俺も雅もベータだったなら、話はもっと簡単になるのに。
いや、そうだったら、俺たちはただの仕事の付き合いで終わっていた。
「……いい歳こいて、なにやってるんだ、俺」
恋した相手の心を知りたくて、でも知るのも怖くて。
あげくに両親に八つ当たりだ。
これでは、雅のことを思春期だと馬鹿にできない。
「はぁー……」
のろのろと起き上がる。
そしてリュックに入れていた社用のパソコンを取り出す。
チャットを開き、月曜日から年末休暇まで一身上の都合で有休をいただきます、と打ち込む。
たったこれだけの、社会人としての基本的なことが、ひどく億劫だった。
俺は深く息を吐く。
「ふー……」
年末はうちの部署は毎年忙しいが、こればかりは仕方ない。
そもそも、雅との番が解消されたら仕事は辞めなければならないのだ。
パソコンをしまったとき、社用のスマートフォンが鳴り響いた。
液晶を見ると「北小路先達」とある。
「部長……」
通話に出ようとして、やめた。
今日はもう誰とも話したくなかった。
俺は着信を無視して電源を落とした。
俺はベッドにもどって、目を閉じる。
「明日」
俺はひとりつぶやく。
「ぜんぶ明日だ」
部長への連絡も、そして――。
「明日雅にメッセージを送る……」
匂いのこともあるから、会ってはいけない。
でも、メッセージなら、いいはずだ。
そう心に決める。
ゆっくりと睡魔が忍び寄る。
――あなたがやっていることはただの自己防衛です。
耳元でまたその言葉が聞こえて、はっと目を覚ます。
「……ああ、そうだよ」
吐き捨てるようにつぶやいて、もう一度目を閉じた。
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