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第9話

 俺がティナ国の王子のもとへ嫁ぐという話は、またたく間に王都中へと広まった。ケイシーの耳に届いたのは午後を過ぎたころだったようで、昼食の席ではいつも通りだった様子が、お茶の時間になって現れたときはあからさまなほどの動揺をあらわにしていた。   「……ルイ様は、フレデリク殿下をお気に召したのでありますか?」    内容のほうは元より、すでに承諾したこと自体にかなりのショックを受けている様子だ。   「お気に召したというより消去法だ。キリアン国よりティナ国のほうがよほどましだろう?」    俺は平静を保つためにも温かいうちにとカップに口をつけた。   「ゼンダントのためにご自身をお売りになるお考えなのですか?」    ケイシーはといえば自分で用意しておきながら、手をつけようとしないばかりか見向きもしない。   「……他に方法がない」 「それは……あの……」 「なんだ?」 「大変おこがましいことを申し上げますが……わたしがアリシア殿下との婚姻を拒否したことと関係があるのですか?」 「ないとは言えないな。せっかくの良縁を俺と離れたくないからといって強情を張るのなら、二人揃ってティナへ嫁げばいいとも考えたからな」 「そういった意味で申し上げたわけではありません」 「……いまのは理由の一端だ。ゼンダントはいずれ他国に従属しなければならなくなる。なにか外資を得られるような目を見張る品がない限りはな」    思わずピエールのようなあてこすりをしてしまった。ケイシーに対する不信感がいまだに拭い去れていないせいかもしれない。   「……それは、抑制剤のことを指していらっしゃるのですか? 完成できていれば、あなた様が嫁ぐ必要はなかったと? わが軍では他国に敵わないとお考えなのですか?」    普段はどんな事態にも眉ひとつ動かさないケイシーが、今度は取り乱し始めた。見たこともない反応に驚かされてばかりだが、つまりはよほどに触れられたくなかった部分を刺激されたからの反応ということになる。   「やはり、完成していたのか?」    ならばと正面から問いただしてみると、ケイシーは見るも悲壮なほどに顔色を青くした。額にはみるみる汗が滲み、狼狽するあまりに口を開いても声がでない様子だ。  見ていられない。俺はすがるようなケイシーの眼差しから逃れるため、顔を背けるだけでは足りずに目元を片手で覆った。   「……だったら、父上に献上してもらいたい。ゼンダントだけでなく全世界のオメガが救われるものなのだから」    疑念としてあるのと事実として突きつけられるのとではまるで別物らしい。俺もケイシーの比ではないくらいにショックを受けていた。ただ、暴かれた側は観念するだけで済むが、騙されていた側はこれから増幅するであろう苦しみに悩まされることになる。殊勝な態度を取られるより開き直ってもらったほうがましだ。   「おまえにとっても利のある話じゃないか。少なく見ても公爵位くらいは叙爵されるはずだろうからな」 「利など……そのような低俗な理由から隠していたわけではありません。そもそもがわたしひとりの成果ではないのですから」 「おまえの力だろう。俺だけでは完成できなかったのだから」 「わたしとて同様です。いえ、元よりあなた様が着眼したものではありませんか。それに抑制剤さえあれば外交的問題が解決するとおっしゃるのなら──」 「なら、なぜ隠していた?」 「……ですからそれは、わたしが」 「俺の悲願だとわかっていながら、なぜ隠していられたんだ? おまえからこんなふうに裏切られるなんて思ってもみなかったぞ」    あくまで俺を慕っているとの態度を変えようとしないケイシーに堪えきれず、つい声を荒らげてしまった。ケイシーが完成を隠していた理由は、すべてを自分の手柄にするため以外にない。信じがたいし信じたくもないが、他に理由は考えられないのだから。   「裏切りだなどと、とんでもないことであります。わたしはどのような場合にでもあなた様の側に立っております。完成したことを申し上げなかったのは、あなた様をお慕いしているからです」    どの口が言うのだろう。すべてを暴かれてなお忠義心を盾にしようとするとは皆目意味がわからない。  俺とてケイシーに対して独占欲や愛情めいた気持ちを覚えていた。ずっとそばにいてくれただけでなく、身体までも重ねてきたのだから、友情や親愛の情以上のものを抱いてしまうのは当然の帰結だろう。  しかし、この悲しみと怒りはだからこそなのだ。なぜケイシーは逆に考えているのだろうか。わけがわからないし、これ以上聞いていたらさらに失望してしまいそうで逃げ出したくなってきた。   「……もういい。理由など今さら聞きたくはない。それより、夕食はフレデリク殿下たちと取ることになったから、アリシア王女と顔を合わせたくないというのなら、おまえは実家にでも帰っているといい」    しばらく顔を見たくもない。そこまでは言わなかったが毅然としてケイシーに言って、俺はソファから立ち上がった。   「お待ちください!」    しかし、ケイシーは俺の不安を察しようとしないばかりか、手を掴んでまで引き止めてきた。   「……抑制剤に関しては完成させたおまえに一任する。ゼンダントでのし上がろうと他国へ亡命して地位を築こうと好きにするがいい」 「理由は確かにあなた様のおっしゃるとおり、私欲が理由です。ですが成果をわが物とするような利己心からではありません。あなた様との逢瀬を続けるため、生涯あなた様をお慰めするのはわたしだけでありたかったからなのです」 「なにを……」    まさかの理由にカッとして手を振り払った。しかしケイシーはすぐさま掴み直し、それだけでなく俺を強く抱きしめてきた。   「あなた様をわたしだけのものにしていたかったからなのであります」    まるで渇きに飢えた放浪者が、水を乞い願うような声だった。搾り出すように悲痛な声が耳元で空気を震わせ、俺も同じ苦境へ引きずり込まれたような錯覚に目まいがした。  言うに事欠いて俺との関係を続けるためだったとは何事だろう。   「……俺が抑制剤を完成させるのにどんな思いでいたか──」 「存じ上げております。わたしを貴族令息としてあるべき立場に正すおつもりでいらっしゃったのでしょう」 「わかっていながら、なぜそのような世迷言を」 「世迷言ではありません。わたしはあなた様を初めて見たときからお慕いし続けております。今も、これからも、あなた様以外に触れるつもりはありません」    ケイシーが好意を向けてくれているのはわかっていた。ただそれが愛情だったとまでは……いや、わかっていたかもしれない。  だからこそ、そんな想いもろとも解放してやりたかったのだ。この世で俺だけがケイシーと番うことができない。オメガとして唯一俺だけがケイシーを幸福にしてやることができないからだった。   「……すべての準備が整った頃合いだったのは神の御心だったのかもしれません」    ケイシーの手がそっとうなじに触れ、なぜか全身が悪寒を感じたかのようにぞくりと粟立った。いきなり寒々とした声音で囁かれたからかもしれないが、ざわざわとした言いようのない不安感が腹の底から湧き上がってくる。   「離せ……」    胸を押し返そうとするもケイシーはびくともせず、そればかりか俺の腕を掴んで後ろ手にひとまとめにしてきた。   「わたしの真の願いは、あなた様のお心もすべてわたしのものにすること、そして対外的にもわたしのものとして知らしめることであります」    もしや本能というやつだろうか。耳朶に息をかけながら言われ、手は拘束されているかのように動かせないことが心のほうも強張らせている。  オメガはアルファのものであるということ、それはアルファがオメガのものであるとの意味とは微妙に異なっている。後者は社会的な規範としての意図がある一方で、前者は生物としての機能を単に表しているだけでしかない。つまり、オメガは生まれながらにアルファのものとして庇護され、かつ支配されるよう植え付けられているのだ。   「……やめろ」    なんとか抵抗の声を絞り出すも、足の間にケイシーの腿が割って入ってきて、びくっとかすかに反応してしまう。   「あなた様はおひとりで悩まれておられたのでしょう?」    足の内側まで入ってきた太ももが擦れて刺激を受けている。ヒートでもないのに身体を熱くしてしまいそうで、だんだんと恐ろしくなってきた。   「……やめてくれ」 「わたしの他に相談する相手などいるはずがありません」 「ケイシー……っ」    言葉の合間に耳の中を舐められて、ぞくぞくとした刺激と音が下半身への刺激をさらに高めてくる。   「あなた様の世界にはわたししかいないよう、囲いを張ってきたのです」    拘束の手を片手にしたのか、いつの間にやらシャツのボタンが外され始めている。   「っ、やめ」    すっと中へ滑り込んできた手にどうしようもなく期待してしまう自分がいる。怒りや失望を無理やり上書きするような愛撫が恨めしく、自分自身が厭わしい。   「……ですから、これからもわたしだけでいいのです」    俺はオメガであっても王子だ。ケイシーはアルファであっても貴族令息で、まるで従者のようと例えてしまうくらい従順に仕えてきてくれた。   「わたしより近い存在などあなた様には金輪際必要ないのですから」    ケイシーは言うと荒々しくキスをしてきた。何度となくされてきた、強引でありながら情熱的ともいえるキスだ。  彼はアルファなのだから、ヒートによって煽られた衝動のせいだろうと思っていた。  しかし、違っていたらしい。ヒートでもないのに普段以上に激しく情動的で、本能に突き動かされていたのではないと訴えかけているかのようだ。いや、わからせられていると言うべきかもしれない。  彼のなかにはいつのときも本能以上の意思が込められていたのだということを。

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