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第10話

 ふと目を開けると闇の中にいた。いつの間に夜になっていたのか、真っ暗で何も見えない。手探りするとシーツの感触があり、自室のソファからベッドへ移動させられていたことに気がついた。   「どこまでもヒートのときと同じだな……」    覚えていないのは気を失ってしまったからに違いない。なぜか突然ヒートのときのように身体が発情してしまった俺は、ケイシーを求めてすがりつき、いかされてもまだ足りないと言って散々な無茶をした覚えがある。ヒートのときもそんなふうにして失神したあげく、ケイシーが後始末をしてくれるのだが、まるで同じような状況だ。   『抑制剤の成分が判明したということは、その逆の効力も引き出せるのか、試してみたくなるのが道理でありましょう?』    記憶を探っていたさなかに、ぱっとケイシーの言葉が浮かんできた。   『まさかお茶になにか入れたのか?』    聞き返した俺の言葉にケイシーは答えてくれなかったが、否定しなかったというのがつまり肯定と同意だ。聞いたときは快楽を求めることに気を取られていたせいで、うやむやなまま流されてしまっていた。   「なんというものを……」    改めて思い出したらぞっとするどころの話じゃない。ケイシーは抑制剤を完成させただけでなく、誘発剤をもつくりあげてしまったらしい。だから俺は時期でもないのにまるでヒートと言える状態になってしまったのだ。  もしかしたらお茶に混入させていたのかもしれない。ケイシーが一度として手をつけなったのが少し気になっていた。あまりに動揺していたせいだろうと解釈していたが、演技だったという可能性もある。俺だけに飲ませても不審に思われないよう敢えてとり乱す演技をしていたとしたら。  考えたくはないが、ケイシーの変わりようを直視してはそう結論づけても違和感をさして感じない。   「くそ……」    腹立たしく憎らしい。  この苦痛がどれほどのものかをわかってもらえていたのなら、誘発剤などこの世に生み出してはならないものだと理解してくれていただろうに。  アルファやベータはヒートを単なる興奮剤程度だとして見下しているきらいがある。偏見もいいところで、本能的な衝動だというのに真に理解してもらえないのを歯がゆく感じていた。満たされず膨れるばかりの欲求というのは、飢餓の苦しみを三日三晩絶え間なく味わうごとくの苦痛をもたらす。だからとオメガは未成年でも結婚したり、婚前交渉も致し方ないとして認められている。  それを俺は六年も耐えてきたのだ。だから初めて抱かれたあと、抑制剤なしにケイシーから離れることは不可能だとして、後ろめたくも彼の忠義心に甘えながら完成を急いでいた。  それなのに、ケイシーは……    裏切られたことも数珠つなぎに思い出した俺は、苛立ちをますます募らせて、ケイシーの手が届かない場所へと逃げ出したくなってきた。  どこへ消えたのか知らないが、部屋にいる気配はない。今のうちだとカンテラのあるあたりに手を伸ばしたものの、手は空を切ってしまった。ここにあるはずなのにと不思議に思いながらあたりを手で探ってみると、カツンとガラスにぶつかり、近くにマッチも見つかってカンテラをつけることができた。   「わっ」    ぼんやりと浮かび上がってきた光景に声をあげるほど驚いた。いないはずのケイシーがいる。   「なん……もしかして絵、か?」    壁にケイシーが張り付いてるとして驚いたのだが、遠近法的におかしなサイズで、よく見ると壁にかけられた絵だった。しかも一枚じゃない。カンテラを持って左右にずらしてみるとどんどん絵が見えてくる。   「……俺の絵だ」    さらには見覚えのあるどころか描き覚えのある絵ばかりだった。ベッドから下りてみたところ腰と足にものすごい鈍痛が走ったが、それよりも部屋のほうが気になった。   「これ、もしかして最初に描いたやつじゃないか?」    壁という壁が埋め尽くされている。筆を取れるようになった時期のものから、つい先週完成してケイシーにプレゼントしたものまで、二十年分近くもの絵が余すことなく飾られていた。  すべて俺がケイシーを描いたものだ。  前世でもケイシーをたくさん描いてきた。転生してリアルの彼を見たときも、イラストで見惚れた以上に絵描き心をくすぐられ、やはりと飽きることなく彼を描き続けていた。   「……全部取っておいてくれたのか」    描くとケイシーはいたく喜んでくれて、是非にと欲しがるので望まれるままにプレゼントしてきた。王子である現世では趣味のひとつであるため、ケイシー以外に見せる機会は少なかった。作品を褒めてくれて、さらには欲しいとまで頼まれるというのは絵描きとして望外の喜びだ。ケイシーは俺のモデルでありながらファンでもあった。そして幼馴染でもあり友人で、従者のように世話を焼いてくれるばかりかセックスの相手までしてくれていた。俺がオメガであることは隠して通してくれて、望んだことは絶対に聞き届けてくれた。   「裏切られたのは、今日が初めてだ……」    つぶやいたとき、ドアがかすかに音を立て、薄っすらと光の帯が差し込んできた。   「……裏切られたとは心外であります」    ケイシーもカンテラを持っていたようで、入ってくると部屋の光量が増して全容がおぼろげながらに見えてきた。   「わたしはあなた様のお望みを一度として無下にしたことはございません」    ケイシーは俺のほうへ近づき数歩ほどの距離で立ち止まると、うやうやしい所作で跪いた。   「嘘をつくな。俺の悲願だったというのに、完成したことを隠していたじゃないか。しかも誘発剤までつくって……勝手に飲ませやがって」 「その点は謝罪申し上げます。誤解されたままあなた様を自由にしてしまうのは、わたしの本意ではなかったものですから」    俺を見上げているケイシーは、いつもと変わらず清廉と表現できそうなほど凛とした顔つきをしている。まるで嘘など一度もついたことがないような、俺を貶めようなどとは夢にも思っていないごとくの表情に苛立ちが薄れそうになってくる。   「……完成したことを申し上げなかったのも、時期を見ていただけであります。あなた様にとっては必要のないものでありましたから」 「必要ないだと?」 「ええ。あなた様のヒートはわたしがお慰めするのですから、あんなもの必要ありません」 「それが困るから俺は」 「ですがあなた様の臣民や他国に対するお心遣いには感銘を受けております。オメガたちにとっては必要なものだとおっしゃるお優しき御心は敬服に値します。ですので、すでに陛下へ献上して参りました。わたしの編成した討伐隊のご紹介と合わせまして」 「討伐隊? 何の話だ? 父上のもとへ行っていたのか?」 「ええ。フレデリク殿下もお呼びして、あなた様の件を全て片付けてまいりました」 「俺の件? ……おまえはいったい何をしてきたんだ?」 「あなた様との婚約を取り付けてきたのです」 「は?」 「申し上げたとおり、わたしの望みは、あなた様のお心もすべてわたしのものにすること、そして対外的にもわたしのものとして知らしめることであります。ですからあなた様との婚約を可能とする手段として、抑制剤を利用いたしました」    呆然としている俺を愛おしげに見上げながら、ケイシーは普段となんら変わらぬ落ち着いたトーンで切り出すと、続いて驚くべく話をし始めた。

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