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第4話

 ヴァンパイアの城はそれほど広いものではなかったが、ワイバーンの谷に長く住んだ俺にしてみれば大変文化的で豪奢であった。  その中を駆け抜けようした俺だがしかし、ファに叱られてしまった。 「坊ちゃん! よそのご邸宅ですよ!」 「うっ……」  慌ててしずしずと歩き出した俺を見て、ボリスはくつくつと喉の奥で笑った。 「構いませんよ。我々が無理を言って来ていただいたのです。どうか、我が家と思ってお過ごしください」 「え、あ、はい……ありがとうございます」  ボリスは俺の右手を掬い上げると、ゆっくりと歩き出した。優雅な足の運びだ。俺もつられて背筋が伸びる。  俺たちは静かに廊下を進んだ。俺の寝室は三階だったが、食堂は一階にあるらしかった。  絵画の飾られた壁、装飾に縁どられた扉、しきつめられた絨毯。磨かれた調度品の数々。  俺が文明人であったならひとつひとつに格調高い感想を述べられたのかもしれないが、残念なことに中身はしがない日本人で、転生してからはワイバーンの谷を駆け巡った半野生人だ。 「わあ、さすがですね」 「知らなかった」 「すごーい」 「そうなんですね」  僕は食堂までの道のりですでに誉め言葉のレパートリーを使い果たしてしまった。  とはいえ、ボリスの方は俺の棒読み誉め言葉に気を悪くした様子もなく、にこやかに俺が興味を持ったものについて説明をしてくれた。 「こちらは500年前の、我々一族の真祖にあたる方の姿画です。300年前に一部が剥がれ落ちたのですが、ほんの数年前に修復が終わったところです」 「城を設計したのは300年前の血族です。彼は近くに複数の城を設計していまして、お気に召したのなら見て回るのもいいですね。案内いたしますよ」  うんぬん、かんぬん。  丁寧に説明をしてくれるが、俺の耳には馬耳東風だ。  ボリスはきっと教養があるのだろう。というか、ヴァンパイアという種族自体、ワイバーンよりずっと文明的な種族だ。  血族で協力し、住処をつくり、快適にして、結婚し、子どもを教育する。  ヴァンパイアというのはそういう暮らしを営んで今日まで血族をつないできたのだろう。 「ハル様?」 「あ……」  いつの間にかボリスの解説が終わっていたらしい。俺は廊下の半ばで立ち止まってしまっていた。 「どうかなさいましたか」  真摯な赤い目が俺を見ている。俺はここにきてようやく彼の目を真正面に見据えた。 「あの、ちょっと聞きたいんだけど」俺はためらいながら、言葉を選ぶ。 「なんですか?」 「俺と、結婚したいって本当に思う?」 「ええ。もちろん」  あっさりと肯定されて、俺は目を見開いた。 「え、ええ!? 本当に?」 「そうでなければ、お見合い相手に名乗りを上げないでしょう?」 「ボリスから名乗りを上げたの?」 「もちろんです」  彼の目はまっすぐなままで、一度も揺るがない。  彼は俺の手を握る。 「ハル様は私と結婚したいと思ってくださいますか?」 「え、ええっと……」  俺は目を泳がす。彼の赤い目がじっと俺を捉えていて、それに返す言葉がない。  彼はできる男だ。きちんと俺に逃げ道も用意してくれた。 「ふふ。ことを急ぎすぎましたね。いまのは忘れてください」  彼の言葉に、俺は肩の力が抜けた。  彼は俺の手の甲をあやすように撫でると、前に向き直って歩き出す。 「では、行きましょうか。料理が冷めてしまいます」 *****  食堂ではボリスの祖父、父母、弟が待っていた。ボリスの祖父は谷まで俺を迎えに来てくれた一団の先頭にいた例の老人である。  「ヴラド」と名乗った彼はいまヴァンパイア一族の首領をしているのだという。  父はミフネア、母はヴァシリッサ、弟はラドゥと名乗った。一族は全員ボリスと同じ金色の髪と赤い目をしていた。 「ど、どうも」とぎこちなく頭を下げた俺をファはもの言いたげに見ている。  彼にはいろいろな礼儀作法を仕込まれたが、やはり人間、いくら練習していてもとっさにはできないものなのだ。まして、まじめに練習していなかった人間ならば言うまでもない。 「さあ、食事をはじめよう」  ヴラドの合図で料理が一斉に運ばれてくる。  座席はヴラドが上座、そして入り口から右手側の奥から父母、弟が座り、そして左手側は俺、ボリスの順だ。  ――この食事って、朝食、で、いいんだよな? 時間的には夕食か?  起きて最初に食べる食事という意味では朝食だが、時刻はもう日没を過ぎているはずだ。  とはいえ、窓がないのでその辺もあいまいだ。  ファに目をやるが、彼は壁際に控えていて俺に寄って来てくれる気配はない。  俺はちらりと食堂の席についているメンバーを見まわした。  全員背筋を伸ばし、ぴんと張りつめた空気を漂わせている。  とてもではないが、これを朝食と呼ぶのか、夕食と呼ぶのか、尋ねられる雰囲気ではない。  ――それに、食事って、俺のはともかく、他のみんなの皿には血が乗ってるのか?  俺は行儀がよくないことはわかっているが、好奇心が抑えられずに召使たちが引いているワゴンの方に首を伸ばした。  そこにはいたって、普通の料理が並んでいた。  俺の安堵を表情から読み取ったらしい。隣に座ったボリスは俺の耳元で「メインディッシュは血が滴る生肉ですよ」と言った。 「ええ!?」  俺は頓狂な声をあげる。食卓の人々の視線がこちらに集まる。そして、俺の肩に手を置いたボリスがいたずらっぽい笑みを浮かべている。 「冗談です」  片目までつぶってくれるサービスつきだ。 「あ……ああ! もう! びっくりした!」  冗談そのものにびっくりしたというのもあるが、その整った顔から繰り出されるウィンクも心臓に悪い。父シャラスも美しい顔をしているが、ボリスはまた毛色が違う。父が静かな月のような美しさだとしたら、彼は野生の獣のような生命力のある美しさだ。 「ボリスも冗談を言うんだね」 「からかい甲斐のありそうな顔をしていらしたので」 「どんな顔だよ」  俺たちのやり取りを見て、ボリスの家族たちの緊張した空気も溶けていく。  堰を切ったように質問が飛びだす。 「ヴァンパイアの城に訪れるのは初めてですか?」とボリスの母が尋ねる。 「はい」 「昨日は休めましたか」次は父だ。 「はい」 「兄とはどこで知り合ったんですか?」今度は弟が尋ねる。 「えっと?」  質問の意図を汲みかねて俺は首をかしげる。ボリスの弟はさらに言葉を付け足した。 「兄があなたを一目お見かけして心を奪われ、今回の見合いを申し込んだと聞きました」 「え?」  思わず隣を見る。  立ったときは頭二つ分以上身長差がある俺とボリスだが、不思議なことに座ると目線が同じ高さだった。恐ろしい足の長さだ。  ばちりと目があったあと、彼はふいと目をそらした。 「え? え? どこかで、俺たちって会ってた?」 「……」  ボリスから答えが得られず、俺は動揺する。 「え?」  彼が言葉を絞り出す。 「……弟の冗談ですよ」 「あ、そうなの?」  弟くんの方に目をやると、彼は少し首を傾げたあと、それから言った。 「はい、冗談です。かわいらしい方でしたので、そうだったらいいな、と私が勝手に思い込んでしまいました」 「もう、びっくりした。兄弟そろって……」  言いながら、俺は顔を反らしたボリスの耳が赤くなっているのを見てしまったが、気が付かないふりをした。

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