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第6話

 ボリスとの空中散歩はしばし続いた。  槍の一帯を抜けると、いろいろな形になった岩の群れの上に出た。  ボリスは俺をそこに下した。  そしてしばし岩を見て回った。馬の形、魚の形……。いろいろな形がある。岩のひとつひとつには灯りが取り付けられていて、見て回るのにちょうどよかった。  この一帯のことをボリスは「想像の道」と呼んだ。  確かに想像の道だ。密集する岩ひとつひとつが何の形であるか、想像がふくらむ。  俺たちはあーでもないこーでもないと言い合いながら楽しく歩いた。 「やわらかいな~」  それらの奇岩の肌に触れると確かにざらついた砂の塊のようであった。火山灰が固まってできたやらわかい岩。つまり、日本でいうところの凝灰岩のようなものなのだろう。  このやわらかさゆえ、風化して浸食され、形が変わっていくのだろう。  槍の形をした岩の群も、やがて硬い部分が落ち、また新しい「想像の道」を作り出すのだろう。  岩の中には住民が住んでいて、俺が来たことを知ると茶をふるまってくれた。  人々はやさしく親切で、また気さくな性格であった。彼らはボリスの姿を見ても委縮するどころか、お見合い中の彼の肩を叩いて激励するほどであった。  次の空中散歩のあと、降り立ったのは里の中の小さな山の上だった。そこにはテーブルセットがすでに用意されていて、その周りを囲むようにいくつもの灯りが煌々と光っていた。 「ろうそく……」    それは無数のろうそくだった。ひとつひとつのろうそくが陶器の中に置かれている。鮮やかな、それでいてさまざまな形や色をした陶器だ。丸いもの、四角いもの。複雑な模様をもつもの。さまざまな陶器の上でろうそくの火が揺れている。  不規則にゆらめく火が、俺たちを照らす。それは夢の中の景色のようだった。  こちらの世界に来て、これほど明るい夜を見たのははじめてだった。  ――まるで色の洪水みたいだ。  俺はそのひとつに近づく。ろうそくの表面にも絵が描かれている。そしてろうそくを収めている陶器は着色された小さな破片をパズルのように組み合わせているようだった。爪で表面を弾く。硬質なものを弾いたときの音がした。 「すごい……」  俺が言うと、ボリスは頷いた。 「この里にはアレサ川が流れています。その川の周りからは赤土が多く取れるのです。赤土はいい陶器になります。このあたりの名産物ですね」 「きれいだ……」 「気に入ったのでしたら、おひとつお贈りします。もちろん、おっしゃっていただけたら職人にお気に入りのものを作らせますよ。花や動物を模した柄が人気です」 「へえ。じゃあひとつ頼みたいなぁ……」  ワイバーンの谷で暮らしていた俺は「美」を追求して造られた装飾品というものに縁遠い。ひとつ欲しくなってしまうのも仕方ないだろう。  俺はあたりを見渡す。  小綺麗なテーブルセット。レースで縁取ったテーブルクロスが掛けられ、美しいろうそくと、銀の食器が並んでいる。  なるほどヴァンパイアの里に観光に来る人間が絶えないわけである。  こうしたセンスはこの世界では最先端のものであるように思える。それらは金に余裕があって、平和でなければ身につかないものだ。この里の職人はヴァンパイアの庇護のもと、それを身に着けているわけだ。  俺が椅子に腰かけると、控えていた魔物がさっと料理を並べた。  並んだのは小さな壺と、薄く焼いたパンである。 「名物の壺焼き肉です」  ボリスが紹介する。 「壺焼き……?」 「ここを叩いて」  彼が示したのは小さな壺の首であった。  俺は渡されたトンカチでそこを叩く。  乾いた音のあと、壺の中から湯気があがり、同時にスパイスの香りが俺の鼻腔をくすぐった。 「わあ、中に料理が」  中にはスパイスと肉と野菜が詰められていた。なんとも食欲をそそる香りだ。  ボリスが説明する。 「壺に料理を入れて、蓋をしてから壺ごと焼くんです。食べる時はこうして壺をたたき割ります」 「壺って使い捨てなの? 贅沢だなぁ……」 「ここは陶器が名産ですからね。さあ、せっかくです。温かいうちに」  肉をひとつ口に入れると、じゅわっと肉汁が口いっぱいに広がった。やわらかい。  俺はスプーンをもつ手が止められなくなった。  もくもくと食べ続ける俺を見て、ボリスは満足げに頷いて言い添える。 「このパンに挟んでもおいしいですよ」 「なにそれ間違いなくうまいやつじゃん」  パンに包むと、小麦の甘さが加わってさらにおいしくなった。  俺はもう壺焼き肉に夢中になった。  そんな俺に、また誘惑が続く。 「名産物といえば、もうひとつ」  ボリスがテーブルの上の瓶を手にもつ。 「この辺は地下もやわらかい岩でできています。民は地下まで掘削しているのです。そして地下はワインの貯蔵庫にうってつけです」 「わ」 「酒は飲めますか」 「じゃあ、ちょっとだけ」  杯に赤い液体が注がれる。  濃いぶどうの香り。  俺はゆっくりとそれを喉に流し込んだ。  見上げる空は満天の星空で、足元には美しいランプの群れ。そしてその向こうに見える奇岩の陰。  温かい肉料理と、酒。  俺は深く息を吐いた。  酒は人と人の距離を近づけるのにちょうどいい。  もっとも、それは量を間違えなければ、という前提がある。 *  そして量を間違えた俺はいまボリスの腕の中にいる。  情けないことに、俺はボリスに横抱きにされた状態で城に戻ってきたようだった。  俺はボリスの腕で運ばれながら、妙に脳の奥が冷えてくるのを感じていた。  あのあと、転生してから初めて摂取した酒は俺の理性を吹き飛ばした。  どれくらい吹き飛ばしたかというと、昔はまっていたアニメのオープニング曲を歌いながら踊っちゃうくらいに吹き飛ばしてくれた。  ファは動揺して俺のまわりをくるくるとまわっているだけだった。そんな彼を捕まえ、俺は彼の口にもワインをなみなみと注ぎ入れた。  ファはあっというまに俺といっしょに踊りだした。  ボリスはというと、俺の泥酔の末の奇行を目を細めて眺め――どんな感情なんだ――そして俺が力なく地に倒れたあとに俺を拾い上げて戻って来てくれたわけだ。  そこまでしっかり記憶にある俺はどんな顔をして目を覚ませばいいのかわからず、彼の腕の中で狸寝入りを決め込んでいた。  幸い、ボリスは俺が起きたことには気が付かなかったようだ。  彼はファを肩に乗せて俺に宛がわれた部屋に戻ると、俺を丁寧にベッドにおろした。 「使い魔を寄越しましょうか」とボリスが言うと、ファが答えた。 「いえ、あとは私が」  その声に力がない。ファもだいぶ酔ったようだった。 「ずいぶん酔われていましたね。酒は苦手でいらっしゃいましたか。――無理に飲ませたつもりはなかったのですが、悪いことをしました」 「酒ははじめてだったと思います。どうかご容赦を」 「いえ」 「着替えを出してきます」  ドアの閉まる音。それから少し部屋に静寂が落ちる。  ボリスの手が俺の頬に触れた。  その手はひんやりとしていて、火照った頬に心地よい。  俺は思わずその手に頬を寄せる。  ぎしっとベッドが軋んだ。  彼がベッドに腰かけたようだった。  俺の閉じたまぶたに陰が落ちる。  ボリスが――あの赤い瞳が――俺をじっとみているのを感じた。  彼の吐息が前髪にかかる。  そして――。  唇に、やわらかいもの。  それは永遠にも思える時間だった。  俺から離れたあと、ボリスは囁いた。 「いつまで寝ているふりを? 悪い子ですね。私に襲われたいんですか」 「え……」  俺は思わず目を見開く。すると、こちらを見下ろす貴公子を目があった。  彼はいたずらに笑った。 「夜のヴァンパイア相手に、寝たふりは通用しませんよ――おやすみなさい、愛しい人」    それだけ言うと、彼はさっと踵を返して部屋から出て行った。俺は口をぱくぱくするだけで何も言葉が出ない。  ボリスと入れかわりにファが入って来て、俺に声を掛ける。 「おや? 坊ちゃん。目が覚めたんですね。よかったです。どうしたんですか? 顔が真っ赤ですよ」

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