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第7話
次の日、目を覚ましたら酒の余韻として頭痛が残っていた。
唸りながらボリスにもらった空を映す水晶を覗き込むと、どうやらもう日の入りらしかった。
ヴァンパイアたちが起きる時間だ。
身を起こして、一拍。昨日の出来事が脳内を駆け巡る。
同時に「おやすみなさい、愛しい人」というボリスの声が脳内で再生され、俺はまたベッドに倒れ込んだ。
「ああああ!? ええええ!?」
しばし身もだえる。そして唇を押さえる。そこにはまだ熱が残っているような気がした。
――お、俺、ボリスと……き、き……!!
「坊ちゃん、ど、ど、どうしたんですか?」
目覚めた俺の世話をしに来たファが、俺の奇行にドン引きしている。しかし俺はそれに構う余裕はない。
こちらを見下ろすボリスの赤い瞳。匂い立つような金色の髪。
恋愛経験の少ない俺には十分すぎる。
――でも、なぁ……。
ボリスは男だ。もちろん、男であっても俺の結婚相手になり得るのだろうが、いまの時点で俺が男と結婚をしたいかと問われると、答えはNOだ。
そこがネックとなって、俺は精霊になることを拒否しているのだ。
結婚相手うんぬんを抜きにすればボリスはいい奴だ。それは間違いない。
昨日民に気さくに肩を叩かれていた彼を思い出す。きっと人格者なのだろう。
そんな彼が、俺の友達になってくれたらうれしいと思う。
そこまで考えて、また唇の熱が俺の思考を引き戻す。
――「愛しい人」って! 愛しい人って! いや! 前も言ってたけどもさ!
今度のこの台詞は俺の胸に刺さった。否、抉った。
俺は彼の真摯な言葉に真摯さを返せていない。
俺は手の中で水晶を弄ぶ。
――こんなによくしてくれているのに、黙殺はないよなぁ。
ちゃんと言おう。俺はそう決めて身支度を始めた。
*
城の魔物たちにボリスの居場所を尋ねると、城の中の修練場にいるという答えが返ってきた。
案内してもらうと、そこには城の兵士たちといっしょに汗を流す彼の姿があった。
彼は俺が来たことを知るとこちらに駆け寄って来た。
「体調はいかがですか」
いつもより軽装のボリスは、まるで昨日のことなど忘れたかのように、穏やかな笑みを浮かべている。
それで、俺もなにもなかった顔をして答えることにした。
「うん。もう平気」
「それはよかった」
「剣の練習?」
ボリスは腰に剣を佩いていた。ヴァンパイアといえば日本の創作物では牙や爪で戦っているイメージだったが、どうやら戦闘のメインは剣であるようだった。
ボリスはちょっとだけ渋い顔になった。
「ええ。……この地域は、魔物と人間に挟まれていて、両方からよくないことを考える侵入者がたまにあるんです」
「へえ」
ちょっと俺も渋い顔になる。ワイバーンの谷でのんびり暮らしているときには侵入者が来ることはなく、外敵に備えるということをしたことがなかった。しかし、きっとそれは平和ぼけした感覚なのかもしれない。
黙った俺に対して、ボリスは明るい声で続けた。
「そういえば、控えの間に陶器職人を待たせています」
「え?」
「私からの贈り物です。お好きなものを」
「あ、ああ……そういえばそんな話したなぁ」
色とりどりの陶器。この里の名産だというそれを俺に贈ってくれるという。
ボリスは修練中だったはずだが、剣を他の兵士に託すと、俺を連れて控えの間に向かった。
「修練、いいの?」
「おや、私がお見合い中の相手を後回しにするような者だとお思いで?」
「ま、あ。そうか」
案内された控えの間には職人が3人いて、彼ら自慢の品を並べていた。
壺、皿、ワインの甕、その他装飾品。
どれをとってもすばらしい出来だ。美しく着色されたそれらの色がまぶしい。
俺はその中から皿を2枚選んだ。1枚は自分用、もう1枚は父への土産だ。
ボリスはしきりに「遠慮しなくていいんですよ」と言ってくれているが、無料でものをもらうというのは、どうにも慣れない。
特に、このあと俺はボリスにとって望ましくない話をしないといけないのだ。ボリスの好意に素直に甘えることができなかった。
ふと、ボリスがひとつの装飾品を手に取った。それは陶器をビーズ状にして首飾りに仕立てたものだった。
そのビーズに刻まれた模様を示してボリスは言った。
「オルテカの木です」
「おるてか」
彼はそれを俺の首にかける。陶器のひんやりとした冷たさと重さがあった。
「この里の守りの木です。荒涼とした、この奇岩の中に生える、唯一の緑。この地において、我々ヴァンパイアの家紋であるフクロウと獅子が休むのはこの木の下だけです」
脳内に、ベッドの天蓋に刺繍された鳥と獅子が絡み合う紋がよぎる。
ボリスは続ける。
「我々はこれを誓いとして愛する人に渡すのです。私はあなたにこれを渡したい」
「……それだけど、その……」
俺は手をぎゅっと握った。向けられた真摯さに俺は答えないといけないのだ。
「言わないといけないことがあって。……俺、ボリスと結婚できないよ。その、よくしてもらってなんだけど……」
ボリスの赤い瞳がこちらを見る。
その瞳は凪いでいて、これから俺が話すのをじっと待っている。まるで、これから俺が話す内容を知っているかのようだった。
「俺、別にボリスのこと、嫌いじゃないよ? ただ、その、俺、自分のこと精霊っていうよりも人間だって思ってて……人間と暮らしてるボリスならわかるよな? 人間って、男と女で結婚するだろ? それで……」
俺の力を入れた拳に、ボリスがそっと手を添えた。
「実は……あなたの父君から、あなたに精霊として生きる気持ちがないことは伺っています」
「え?」
「私は好みではありませんか?」
「いや、それは……どうだろ」
ボリスが好みかどうかと問われればわからない。そもそも、男と結婚するなどありえないの一点張りで、ボリスをそういう目で見ていなかった。
ボリスは俺の手をやさしく撫でた。
「なら、私にもまだ可能性がありますね。――あなたが精霊として生きる気持ちになったときに、わたしのことを思い出してくれませんか」
俺は沈黙した。精霊として生きる。
そんな気持ちになることがあるだろうか。
「生きる」という言葉を考えたとき、脳内にボリスが見せてくれた空から見下げる雄大な大地が広がった。
――生き方を決めるには、俺はこの世界を知らなさすぎる。
「うん。俺は知らないことが多すぎるから、いろいろ知って、それから考えてみるよ」
俺が言うと、ボリスも笑った。
「ええ。ぜひそうなさってください」
「ありがとう。ボリスにはいろいろ教えてもらって……」
「いえ。ヴァンパイアの里をご案内できて光栄でした」
ボリスは名残おしげに俺に重ねた手を引っ込めた。
「次に日が沈めば、あなたの父君が迎えに来られます」
「あ、そうなんだ」
そういえば、このお見合いの日程を確認していなかった。
ここでの見合いはもう終わりのなのか。思えばボリスとはまだ出会ったばかりだったのか。目新しいことが次々とあって、あっという間だった。
俺は谷に戻ったら父に頼んでこの世界を勉強しようと思っていた。
どう父に頼むものかと思案していると、ボリスから衝撃の発言があった。
「そのまま、次の見合い相手のところへ行かれるのでしょう?」
「……え?」
――次の、見合い相手?
「いやいやいや! 俺は他にやりたいことが」
俺の否定を遮って、控えていたファが答える。
「このまま次の種族のところへ行きますよ」
「ええ!?」
動揺する俺とは対照的に、ボリスは自信ありげだ。
彼は彼の胸に手を当てた。
「ぜひ、他の男を知って、比べてください。私はそのどの男よりも優れています」
凪いでいた彼の赤い瞳が、燃えるような情熱でもって俺を捉えた。
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