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第14話
ダーダリオンは飛翔した。まだ暗い空を北へ向かう。
俺たちは雲の上を進んだ。月の光が俺たちを包む。
ダーダリオンは父ほど大柄ではなく、速度もそれほど出さなかった。俺は彼の鬣につかまって、まわりの景色を見る余裕さえあった。
しばらく進むと大陸の上に出た。山々が連なる様が、まるでジオラマのように広がっている。港街で買った地図を信じるならば、このあたりをレーネ国と呼ぶらしかった。ヴァンパイアの里に隣接する人間の国だ。
この世界にはGPSがないので、いま地図のどの辺を飛んでいるのか、そもそもこの地図が正確であるかどうかわからない。しかし、このまま北へ進めば、どこかでレーネ国の首都が見えるかもしれないと俺は期待した。
地図ではその街は巨大に描かれていた。城に、教会のような建物に、立派な橋が挿絵として描かれている。
俺はしばらく大地をじっと見つめつづけたが、それらしいものは見えてこなかった。
日が明ける頃、俺は東に目を向けた。山から太陽が顔を見せる。その連なる山々の向こう、巨大な火山の向こう側がヴァンパイアの里、そしてさらにその向こうは俺が住んでいた谷がある。
俺は口を開いた。
「不思議だ」
つぶやきを拾って、ダーダリオンが反応する。
「ん?」
「不思議な世界だ、って思って」
精霊がいて、ワイバーンがいて、ヴァンパイアがいて、人間がいる。
それらがそれなりに争わずに棲み分けている。
奇跡のように思えた。
「……300年前は、どこも戦いばかりだった」
「ええ?」
今度は俺がダーダリオンのつぶやきに反応する番だった。
彼は続ける。
「人間も魔物も領土を拡大しようと、ひどい戦いがあちこちで起きていた。この大陸も、昔私が上空を飛んだときはあちこちから火の手があがっていた」
「そう、なんだ」
眼下に広がる緑。戦火があったことなど感じられないくらいに豊かに茂っている。
「そういう戦いを繰り返して、お互いに疲弊したんだろう。なんといったか……そうだ、和平を行った」
「和平?」
「そう。人間の国王3人と、魔物の代表として精霊が3体」
「ええ?」
俺は頓狂な声を上げた。魔物側の代表が精霊というのは突拍子もない話のように思えた。精霊はもともと俺と同じように人間なのだ。人間が精霊に誘拐され、成長したのちに精霊となって魔物と婚姻する。俺はずっとそう聞かされていた。もとが人間なのに、魔物側の代表というのは妙だと思ったのだ。
俺の疑問を察して、ダーダリオンは言葉を付け加えた。
「魔物は他種族と争うものが多い。しかし、精霊はどの魔物とも結婚できる。人間と話すこともできる。代表になった精霊はそれぞれ有力な魔族の配偶者だ」
「へぇ……」
精霊がそんな重大な役割を担ったとは、にわかには信じがたい。
なんといっても、俺の知っている唯一の精霊は父シャラスなのだ。適当、大胆、大雑把。彼を形容するならこういう言葉が一番しっくりくる。とてもではないが政治的に重大な折衝ができるとは思えない。
しかし。
「でも、そっか。精霊も何体もいるんだよな」
俺が知らなかっただけで、この世界には他にも精霊がいる。
俺と同じように、精霊と人間の間の状態の者もいるのかもしれない。
「会えないもんかなぁ……」
俺はつぶやいた。同じ境遇の奴と話してみたかった。どんなモチベーションで精霊になろうとしているのか、とか。
というか、そもそも前世を覚えているのか、とか。
聞きたいことが山ほどある。
俺が考え込んでいるうちに、巨大なワイバーンの影が地表に落ち始めていた。
朝が来たのだ。
俺はまぶしい光に目を細める。
「朝だ……。父さんたち、大丈夫かなぁ。心配しないでいてくれたらいいんだけどな」
俺が言うと、ダーダリオンは「無理だろう」と言った。
「……怒りのあまり私の島を燃やしてしまわないかが心配だ」
「うっ……それは……ないとも言い切れない。でも、たぶん心配するのは精霊の父さんだけだから、そんなに大きな破壊行動はとれないはず……」
「なぜ? ワイバーンの父もいるだろう」
「理解の範疇外だって。ワイバーンは子育てしないだろ? だから、息子への愛は微妙なんだって、本人が言っていたんだ」
「……そうか」
しばらく、ダーダリオンは沈黙した。
明るくなってきた大地には、ところどころ集落のようなものが見えた。
人間の町、人間の家。
俺はいよいよ自分の親に会える瞬間が近づいていると確信した。
胸を高鳴らせる俺とは対照的に、ダーダリオンがどこか沈み込んだ声で言った。
「きっと、ワイバーンには理解できないことがたくさんある」
「え?」
「いま、お前が人間の親に会いたいと思う、その気持ちも私には理解できない」
「……うん」
「お前の父のワイバーンも、息子であるお前を心配しない。きっと心配するということを彼は理解できない」
「それは……」
「恨む」
「え?」
「ワイバーンに生まれたことを恨む」
俺は返す言葉が見つからなかった。
繊細な心を持つダーダリオンでも、理解の外にある感情。彼はそれを知りたくて、ずっとあがいている。人間に化け、人間を観察し、俺を招き入れて。それでもまだ理解できない。
彼の言葉は深く深く俺の心に錨のように沈み込んだ。
そこから、俺たちはずっと沈黙していた。
見えないカーテンの向こう側へダーダリオンの心がいってしまったような気がした。
俺はそのカーテンの向こうに掛ける適切な言葉を持ち合わせていなかった。
しばらく進むと海に出た。海の先にある半島。そこが俺の目的地だ。
しばし、その半島が見つからなければいい、という気持ちも芽生えた。
半島がなければ、俺はダーダリオンの小島に帰る。父たちから小言をもらって、ぷりぷり怒るファを宥めて、それで終わりだ。
見知らぬ土地であてもない人探しなんていうものをしなくて済む。俺は期待半分、不安半分で地平線を睨み続けた。
勝ったのは、期待だった。
地平線の彼方に、陸地が見えた。――半島だ。
俺は唾を飲みこんだ。その音が嫌に耳についた。
「着いたぞ」
ダーダリオンは言った。
「うん。ありがとう。ダーダリオン」
「……日が昇ってしまった。ここで私が降りると大騒ぎになる」
「ああ……どこか、森の中とか、人のいないところに下してくれない?」
「森は危険だ。魔物の気配がする」
「ええ!?」
それはまずい。俺は人間の街にいくつもりだったので、鞄にはそれこそ石鹸だの櫛だのという道具しか入っていない。仮に短剣が入っていたといしても、戦う心得がない。
「人里の近くにおろす」
ダーダリオンはそう言うが、それはそれでよろしくない。人間界の事情をよく知らない俺はワイバーンの背中から降りた人間がどんな目にあわされるのかわからない。
「いや、でも、それもまずいっていうか」
俺がうだうだしていると、ダーダリオンは言い切った。
「大丈夫だ。――彼に任せよう」
「彼って?」
「ああ……ずっとお前といっしょにいるそいつだ。私の島に落ちてきたときも、大丈夫だっただろう」
「ええ?」
落ちてきたときって? という次の質問は声にならなかった。
ダーダリオンはひょいと空中で宙がえりをする。
俺は前触れもない重力の増加に耐えかねて掴んでいた手を放す。
――あとは重力に従うだけ。
「ぎゃあああああああ!」
またかよ! と思いながら、俺は地上に向かって真っ逆さまに落ちて行った。
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