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第21話

 その夜、俺は宛がわれた寝室にいた。そこは丸太で作られた小屋の二階で、三角形の屋根の形に合わせて天井も三角になっている。獣人の寝室は日本の和室と同じスタイルらしく、絨毯の上に布団がひいてある。  俺はそこに仰向けになって、今日見たことをぼんやりと思い返していた。  フィーダーくんのこと、両親のこと、モーテスのこと……。  ぐるぐると回って、頭だけが覚めていく。  俺は寝るのをあきらめた。  窓を開ける。  こちらの世界の月はほんとうにきれいで、明るい。  俺は月のまぶしさに目を細める。  ふと、窓の外、屋根の下に見知った人物が逆さまに浮かんでいるのが目に入った。 「ボリス?」 「……」  返事はない。しかし、蝙蝠の羽と明るい黄金をとかしたような髪をもつ人物を、俺はひとりしか知らない。 「なんだよ、そんなとこで。部屋に入れよ」  俺はまた声をかける。  ボリスは蝙蝠のように屋根にぶら下がったまま、振り向きもしない。 「目が覚めちゃってさ。話し相手が欲しいんだ」  俺がさらに言う。そこでようやくボリスが口を開いた。 「あなたは他の男と見合い中です。寝室に入るのは礼儀に反します」 「……お見合いは終わったよ」 「では、あなたの名誉に傷をつけます」 「……そっか」  生真面目なヴァンパイアを部屋に入れることをあきらめ、俺は窓際に腰を下ろした。 「風邪をひきますよ」  ボリスの言葉に、俺は苦笑する。 「ボリスこそ」 「私はいいのです。夜風は私に力を与えてくれます」  獣人の村を囲む森の上をさわやかな夜風が駆け抜けていく。  俺はしばし、月とヴァンパイアと森を眺めていた。  ふいに、ボリスが言った。 「大丈夫ですか」 「え?」  俺は彼が何のことを言っているのかわからず、聞き返す。  ボリスはゆっくりとこちらを振り返ると、また言った。 「ご両親のことです」 「あ、ああ……」  俺は鼻の頭を掻く。 「ちょっと寂しいけど、よく考えたら、そっちの方がよかったよな」 「そうでしょうか」 「なんだよ、ボリス。そっちの方がよかったって言ってくれよ」  ボリスは息を吐く。 「あなたが望んだ結末ではないでしょう。ワイバーンに頼み込んでここまで来たというのに。それに、あなたは谷にいるときから人間の街に帰りたがっていた」 「……でも、いいんだよ」 「……飛びましょうか」 「え?」 「ゲンセンの街まであなたを抱えて飛びますよ。――あなたが望むのなら」 「い、いいよ! そんな!」  俺は慌てて首を振る。  しかし、ボリスは引き下がらない。 「では、なぜそんな顔を?」  息を吸って、吐く。肩から力が抜けていく。  いま、俺はどんな顔をしているのだろうか。  俺は頭を掻いた。 「ボリス。あのさ」 「はい」 「俺、前世の記憶ってやつがあるんだよね」  俺はぽつりぽつりと話し出す。  日本で産まれたこと、平凡な労働者だったこと、ある日事故で死んでしまったこと、そして気がついたらこちらの世界に産まれ落ちていたこと。  一度話し出すと、もう止められなかった。  話すことで心を整理したかった。そして、誰かに俺の心を知ってほしかった。  俺の告白を、ボリスは静かに聞いていた。 「別の考え方をするとさ、俺って贅沢者だよな。日本の両親と、精霊の両親と、こっちの世界の両親がいて。それだけでもすごいことなのに、その両親全員に俺のことを想っていてくれって、ちょっと贅沢すぎたんだ。だから、これはこれでいいんだよ。俺がいま悲しいのは、どっちかっていうと、残して来た日本の両親のことを想ってさ。この世界の両親はうまいこと俺を忘れてくれてるけど、あっちの両親は、そうもいかないだろうし……会いたいなぁって……無理なのはわかってるけど」  ボリスは俺を見た。赤い、きれいな目だ。  彼は俺の話をどう受け止めたのだろうか。  俺はうかがうように彼を見返した。 「ボリス……」 「ハル様」  どちらからともなく名前を呼ぶ。彼の低音の声は夜によく響く。  次の瞬間。  屋根にぶら下がっていたボリスは俺の前に降り立つと、そのまま俺を抱え上げた。 「え!? ちょ、ボリス……!」  俺は彼の肩に座る形になって、彼を見下ろす。  ボリスは言った。 「あなたをあちらの世界に返して差し上げる術を私は持ち合わせていません。でも、あなたにこの世界を好きになってもらえるよう、努力はできます」  赤い目が、燃え上がるような熱を孕んで、俺を見る。 「あなたが何者であったとしても、私はあなたを愛しています」 「……!」  風が吹いて、雲が流れる。  俺たちが立つ窓辺が、少しずつ闇に包まれる。  ボリスは俺を抱き上げたまま、窓枠に足をかけた。 「月が陰ります。獣人は月明かりで獲物を見つけますが、月が陰れば何も見えません。いま、この世界を見ているのはヴァンパイアだけ」  蝙蝠の羽が大きく開く。  そして、彼のまわりに風が集まる。 「あ……」  つぶやいたときには、もうヴァンパイアは空高く飛翔していた。俺はいつだったかの空中散歩のときのように、ボリスの首に腕を回す。彼は俺を横抱きにして天を駆けた。  眼下には針葉樹の森が広がっているはずだが、それもいまは闇の中で眠っている。  闇の中、ボリスの赤い目が俺の目に映る。  ボリスが耳元でささやいた。 「いま、この空にはあなたと私だけだ。誰も見ていない――泣いてもいいですよ」 「え……?」 「あなたは抱え込み過ぎだ」  ボリスの優しい言葉を聞いて、俺のそれまで張りつめていた緊張が解けていった。  頬を風が撫でる。  俺はボリスの胸に顔を押し当てた。

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