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第32話
翌朝、目覚めると妙に体が軽かった。
そして目がやたらとよく見えた。遠くまで、細かく見えた。
「あれ」
と戸惑う俺を見て、朝から元気に俺の部屋に突撃してきた父は笑った。
「おめでとう。無事に精霊になれたね」
「え!? な、なんで!?」
「愛のキスをしたじゃない」
「ええええ!」
俺は叫んだ。
とにもかくにも、俺はボリスとのキスで精霊になったらしかった。精霊になってまず最初にすることは、もちろんフィーダーくんを獣人に戻すことである。
うまくできるか不安だったが、不思議と力の使い方がわかった。これが体が作り変えられるということなのだろう。
俺が精霊になったという知らせを受けて、フィーダーくんがモーテスとダットを伴って俺の部屋にやって来た。
フィーダーくんはしゃんとした目で俺を見据えた。――彼の心も決まったようだった。
俺が彼に手をかざして力を使うと、一拍後にはフィーダーくんに獣の耳とふさふさのしっぽが生えた。
フィーダーくんは自分に生えたしっぽをまじまじと見た。
「黒だ……」
彼の耳としっぽは黒い毛並みだった。そういえば、彼はずっと自分が獣人になったときに何色の毛並みになるのかを気にしていた。
俺はちょっとどきまぎして尋ねた。
「黒は嫌い……?」
「ううん」
フィーダーくんはちらとモーテスを見た。モーテスは固唾を飲んで俺たちを見守っていた。
フィーダーくんは悔しそうに言った。
「モーテスとお揃いがよかったなぁって……」
ずきゅん。
そんな効果音が聞こえた気がした。
モーテスは胸を押さえて悶えた。それはもう、フィーダーくんから矢が放たれ、モーテスの心臓を射止めたのが幻視できるほどに悶えた。
ダットは「やれやれ」とあきれながら、そんなモーテスの肩を叩いて「ほら、なんか言ってやれよ」と促す。ダットはモーテス相手なら世話役に回るようだった。
モーテスは呼吸を整えると、緩んだ頬に力を入れてフィーダーくんを見つめた。
「よく、似合っている。俺は、黒い耳が好きだ」
フィーダーくんはふにゃりと笑った。
「じゃあ、よかった」
俺はほっと息を吐いた。
昨夜、湖のほとりでフィーダーくんとモーテスの2人はこっそり会っていた。そして、きっとそこで大切なことを話したはずだ。その話の内容まではわからないが、間違いなく、話の結末はいいものだったようだ。
見つめ合う2人を見れば、すべてわかる。
俺は一応確認のために口を開く。
「フィーダーくんは、このままこの村に住むんだ?」
「はい」
「モーテスといっしょに?」
顔を赤らめながら、フィーダーくんはうなずいた。
幸せな2人を見て、俺はまた息を吐いた。
「よかったよ」
言ってから、はたと思い出してダットを見上げた。彼は憮然とした顔で幸せな2人を見ている。
俺はおずおずと言った。
「ダットはこれからどうするの?」
彼はこちらを見ずに答える。
「そりゃあ、俺はモーテスの補佐をしていくさ。もともとそのつもりだ」
「そっか」
「なんだ? 結婚できなくて残念とでも言ってほしいのか?」
「いや、別に」
彼は俺の頭をがしがしと撫でる。乱暴な手つきだが、彼がやさしい人物であることを俺はもう知っている。
彼は投げやりに言った。
「まあ、ボリスとうまくいかなかったら、村に来い、とだけ言っておいてやるよ」
「……そんな日は来ないと思うよ」
「へーへー。あっちもこっちもお熱いことで」
「ごちそうさま」と言い残して彼は俺に背中を向けた。
「ダット」
俺はその背中に呼び掛けた。
「ありがとう」
俺が言うと、彼は片手をあげた。そしてそのまま部屋から出て行った。
それから父といっしょに朝食を食べた。
父は食べ終わったら一度谷に戻ろうと言った。
「結婚式の準備をしないとね」
その言葉に、俺はなんとも言えない気持ちになった。
「結婚したら、俺はヴァンパイアの里に住むんだよね?」
「そうだよ? だからお見合いで住環境も見たんでしょう」
「……さみしくなるよ」
俺は素直に言うと、父は噴出した。
「遊びに来ればいいじゃない。精霊はこの世界で最も自由な存在なんだから」
「そっか」
「そうだよ」
俺はもう自分で風を操って飛べるし、どこにでも行けるのだ。
森、山、谷、海。まだ見ぬこの世界を今度は自分で飛んで見に行ける。
そこまで考えて、はたと思い至った。
「ダーダリオンはどうするつもりかな、これから」
父は首を傾げた。
「ダーダリオン? なんで?」
「ひとりになるじゃん」
「大丈夫じゃない?」
「そんなあっさり……」
「だって、さっき聖女がダーダリオンを捕まえていたよ。彼女はダーダリオンを人間の村に住ませたいみたいだよ」
「え?」
食事を終えてダーダリオンを探しに行くと、彼はすぐに見つかった。彼の巨体は村の中心広場にあった。それは村のどこからでも見えるほどだった。
俺は片手をあげて彼に走り寄った。
「ダーダリオン」
傍まで来ると、彼の隣にピンク色の髪をした人物が立っていた。
俺は尋ねた。
「母さん? 何してるの?」
彼女は腕を組んで大真面目な顔で答えた。
「お仕事よ」
「仕事って?」
「私、聖女なのよ。魔に属する者と人間の調整役なの。ダーダリオンにこのまま人間の村に住んでもらえないかってお願いしていたの」
「ええ?」
精霊の父から聞いた内容そのままの答えが返ってきて、俺は少し困惑した。
空の覇者であるワイバーンを? そんなことできるのだろうか。
俺の困惑をよそに、彼女はにっこりと笑ってダーダリオンを見上げる。
「ね? ダーダリオンも島でひとりでいるよりずっといいでしょう?」
ダーダリオンは戸惑っている。
「……しかし」
母は一気にまくしたてる。
「人型になれるのよね? その紋を解析して、ここでも使えるようにできれば一番いいと思わない? だって、ワイバーンが人間の里を襲うのって、たまにあるけど、それはあなたみたいにさみしいって思う子がやっているのよ。人間としては、そういうのが減ってくれればありがたいし、あなたもそっちの方がいいわよね?」
「か、母さん」
「紋を見せてちょうだい。こう見えて私、けっこうその手のものには詳しいのよ?」
母の勢いに負けて、ダーダリオンはゆっくりと手を出す。
そこにはいつか見た紋が刻まれている。
――獅子の紋
母はそれを見てうなずいた。
「やっぱりね。ルネー民族の紋だわ」
「ルネー……?」
どこかで聞いたことがあるような気がする。
母はちらと俺を見る。
「あら、ルネー民族を知らない?」
「ええっと。思い出せそうで、思い出せない……」
「ヴァンパイアに庇護されている人間の一族よ」
「あ……!」
俺は弾かれたように首飾りを見た。ボリスにもらった首飾りだ。
「そういえば、ヴァンパイアの家紋にも同じ獅子がいる……!」
首飾りに刻まれているのは、オルテカの木の下で休む、フクロウと獅子だ。
母もその首飾りを見て言った。
「オルテカの木はヴァンパイアの里、フクロウはヴァンパイア、獅子はルネー民族を示しているのよ」
「あれ、じゃあ、100年前にワイバーンの島に来た人間って、ルネー民族?」
「ありえるわね。ルネー民族はその力を恐れられて人間の国を迫害されているから」
「じゃあさ、もしかしてルネー民族に頼めばダーダリオンの紋を書き換えて、もっと広い場所で人間に化けられるようになったり、できるってこと?」
俺は興奮した。
さみしがり屋のワイバーン。人間の世界を覗き見るワイバーン。
彼を孤独から救う方法があるかもしれない。
俺たちが盛り上がっている後ろで、ダーダリオンは控えめな声を出した。
「……よくわからないのだが」
母はダーダリオンに向き直った。
「ああ、ごめんなさいね。ダーダリオンはどうしたいかしら? 私はあなたに来てほしいけれど。人間に化けていっしょに暮らしてみない?」
「なぜ」
「だって、みんなで暮らした方が楽しいじゃない」
ダーダリオンの感情の読めない目が、少しだけ動いた気がした。
「……そうか」
彼はそう言った。傍目に見れば拒絶ともとれるようなそっけない言葉。しかし、俺にはわかる。彼は母の提案に心動かされている。
俺は両手を叩いた。
「お、俺! ヴァンパイアの里に戻ったら、ルネー民族の人たちにダーダリオンのこと相談してみるよ!」
今度こそ、ダーダリオンははっきりと意思を示した。彼は小さくこう答えたのだ。
「……頼む」
俺も母も飛び上がって喜んだ。
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