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第2話

 俺は唾を飲みこむ。  喉の音がいやに脳内に響く。その音は少しだけ俺に冷静さを取り戻させた。  俺は口を開き、同時に身を捩って彼の手から自分の手を引き抜こうともがいた。 「主って……!? どういうこと!? いったい! っていうか、お前、どこから入って……! ええ!? ちょ、ちょっと待ってくれ。お前、そもそも人間か…!?」  堰を切ったように、脳内に渦巻く言葉を吐き出す。目の前で見たことが信じられなかった。  男はわめく俺を冷たい目で見降ろし、つかんだ俺の手にぐっと爪を立てた。 「黙れ」  彼は目を三日月型にした。形だけはきれいな笑顔であるが、目はまったく笑っていない。 「……!」  俺はぐぐぐ、と黙る。  男はぐっと顔を近づけた。 「メープルの木の下での儀式を思い出せ。貴様は誰に捧げられ、誰を主としたのだ?」 「メープルの木……」  脳裏に、今朝メープルの大木に吊るされたときに見た光景が蘇る。  かすんだ春の空。ゆれる小梢。そして生贄の儀式を行う農民。  その中心で俺が捧げられた相手は――。 「エラーブル……?」  信じられない、と俺がつぶやくと、男はさらに笑みを深くした。 「そう。貴様は私に捧げられた生贄だ。もう私の眷属なのだ」  俺はまた言葉を失った。  エラーブル。それはディヌプの森に住むとされる森の精。村人に豊穣をもたらす代わりに、二十年に一度人間の生贄を要求する。  俺は彼をまじまじと見る。  村の中心にある教会の天井には、神の絵が描かれている。この世界を創ったとされる神の絵だ。  神にはひとりひとりに名があり、逸話があるが、俺はそれらについてはよく知らなかった。  ただ、その神々が着ている服と、彼が着ている服はよく似ていた。  生成りの生地を体に巻き、腰に金の紐を縛る服。そして、胸の黄金の飾り。その飾りが西日を反射して俺の目を焼く。  ――これが、エラーブル。  信じられないが、俺の手に触れる彼の手が、彼が人外の存在であることを物語っている。  俺はすっかり抵抗する気が失せて、その場に立ち尽くした。  おとなしくなった俺を見て、侵入者――エラーブルは言った。 「なんだ、意外と物分かりがいいな。むっつりすけべの顔をしているが、頭の中はまだなんとかなっているようだ」 「むっむっつりすけべの顔ってどんな顔だ……!」  俺は思わずつっこむ。相手は人外であるが、こちらに敵意があるようには見えなかった。  そしてやはりエラーブルも俺のつっこみに気を悪くする様子はなく、淡々と続ける。 「さて、先ほどの話だが」  エラーブルはぱっと俺から手を放すと、三日月形の目をしたまま話し出す。 「オルム、というのは領主の名だったな」 「え、あ、うん……」  エラーブルはくわっと目を見開いて叫んだ。 「領主と乳繰り合いたいかー!!」 「へ!?」  とんでもない言葉が森の精から出た。  俺が固まっていると、エラーブルは追い打ちをかけてきた。 「裸になってあれやこれやらをしたいかと聞いているのだ。領主に懸想しているのだろう? 入れたり入れられたりしたいのだろう!?」 「ななななな! 俺は! そんなよこしまな考えではなく! もっと純粋に! お役に立ちたいと!」 「なにをカマトトぶって。正直に言え。人間なんぞ欲の塊よ。貴様は入れられたいのか? 入れたいのか? んん?」 「いいいいいい!」  俺は全力で首をぶんぶんと横に振る。オルム様と乳繰り合うなど、とんでもないことだ。  それを見たエラーブルは、「残念」と言って俺に背を向けた。 「ではこの話はなかったことに」 「ちょっと待って!」  袖をつかむ。俺はぎ、ぎ、ぎ、と顔を上げる。 「……話だけは聞きたいんだけど」  エラーブルは「ほっほっほ。やはりむっつりか」としたり顔で笑う。 「貴様に力を与えてやろうという話だ。それは人間を超越した力だ。……領主に近づけるぞ」 「え? それほんと?」 「ほんとうだとも。私と契約を結べば、すぐに力が手に入る。喜べ。私と契約を結べるのは森の眷属だけだが、貴様はすでに儀式を終えて眷属となっている。この機会、逃す手はあるまい?」  エラーブルは怪しい商品を売る占い師のような表情だ。信じるべきかどうか微妙な感じだ。  しかし、彼は怪しい占い師ではなく由緒あるディヌプの森の精だ。信じてもいいはずだ。いや、信じたい。  ――その力がオルム様の役に立つのなら……。  俺はうなずいた。 「契約、する」 「――いいだろう。その言葉、ゆめ忘れるな」  そう言うと、彼は俺の額を指ではじいた。  強い衝撃が加えられて、俺は床に倒れ込む。 「い、いってぇええ!」  額を押さえてのたうち回る俺を横目に、エラーブルは涼しい顔で話を進める。 「契約は成った。……私との契約は絶対だ。貴様はこれから私のために働くのだ」 「え? 働く? 何の話?」  エラーブルは俺の前にしゃがみこんだ。彼の緑の目に俺が映る。 「私は貴様に力を与えたのだ、貴様は働いて私にその対価を払う。当たり前のことだろう?」 「なっ! そんなの聞いてないぞ……!」 「タダで神秘の力を得ようなどと、図々しいとは思わぬのか」 「オルム様のお役に立てるって言ったじゃないか!」 「近づける、と言ったのだ。私のために働き、その途中で領主に近づいてもよい、という話だ。近頃の若者は契約の内容はよく確認しろと先生に教わらぬのか」  エラーブルは心底軽蔑するとでも言いたげに首を振る。  俺はぐっと黙った。確かに、エラーブルはそう言っていた。  俺は投げやりになりながら尋ねた。 「それで? 俺に何をさせようっていうのさ?」  エラーブルは真面目な顔になると、俺にぐっと体を近づけ、耳打ちした。 「ディヌプの森を守るのだ」 「守る? 何から?」  忌々しく、憎悪を込めてエラーブルは言う。 「――あの業突く張りの領主からだ」  驚きのあまり喉からひゅ、と音がした。

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