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第3話
ディヌプの森はシュラレ村の北に位置する広大な森である。
フラレ国のなかでも寒冷な土地に広がるこの森にはオークとパインの木を中心に、ナラ、クリ、ブナ、メープルなど多様な樹木が自生している。
ディヌプの森は人々に豊かな恵みをもたらしてくれる。
人々は枯れ木を拾って薪にしたり、栗を拾って食べたり、森に棲む獣を狩って毛皮や肉を得たり、木を切って家を建てたりする。
俺も毎年秋になれば飼っている豚を連れて森に行く。ナラの木が落としたどんぐりを食べさせるのだ。
森は領主の財産である。しかしその恵みは村人の生活にかかわるみんなのものだ。みんな森を大事にしている。
だからこそ、森の精エラーブルに生贄を捧げ続けてきたのだ。森の恵みを今後も絶えず与えてくれるようにと願いを込めて。
俺は尋ねた。
「オルム様が森に何をするっていうのさ?」
エラーブルは真面目な顔で答えた。
「知らぬ」
「はあ!?」
彼は淡々と続ける。
「今日、あの者が私の森に足を踏み入れたときに、未来を見たのだ」
「未来……?」
「あの者によって無残に木を切り倒される未来だ」
木を切り倒す。
エラーブルは深刻な顔をしているが、俺はそれを聞いて脱力した。もっととんでもないことが起きるのかと危惧したが、存外たいしたことない。
俺はなだめるように言った。
「ディヌプの森はオルム様のものなんだから、木を切るくらい……。それに、いままでもたまに切っているよね?」
エラーブルは眉根を寄せた。
「森の木のすべてが切りつくされていたのだぞ」
「それは……」
たしかに、それが本当であるのなら大事件である。本当であるのなら、だ。
「そんなことするかなぁ……あのお優しい方が。その未来って正しいの?」
「私の予知は外れない」
「もし本当だとしてもさ、何か目的があるのかもよ?」
「その通りだ。何か目的があるはずだ。それを探りたい」
エラーブルはそこで言葉を切る。そして俺をじっと見つめる。俺は彼の言外に言わんとするところを理解して慌てた。
「え? まさか、それを俺が調べるの?」
「貴様はもう森の眷属だろうが」
「いや、その、どうだろう、それは」
エラーブルは俺の首根っこをつかんで無理やり立たせる。俺の喉から「ぐえ」とつぶされたカエルのような声が出た。
彼は言う。
「契約をしたではないか」
俺は憤慨した。
「そんなめちゃくちゃな契約あってたまるか……! 第一、そんなのお前がオルム様のところに行って訊いてくればいいじゃないか。森の精が来たって知ったら、オルム様が丁重にもてなしてくれるかもしれないだろ!?」
エラーブルは首を振った。
「私の姿は眷属にしか見えない」
「へ? そうなんだ?」
では、いま俺は壁に向かってひとりで話している状態なのか。
村人に見られたら生贄の儀式で頭が狂ったと誤解されそうだ。
エラーブルは高らかに命じる。
「黙って私のために働け」
「オルム様のことを探るなんてできないよ!」
ぐ、と彼の手に力が入る。
「先ほど言っていたではないか。領主のもとに行きたい、と。渡りに船とはこのことではないか?」
「オルム様のもとに行きたいって……」
たしかに、言った。勉強して、剣の練習もして、彼のもとに行きたい、と。しかし、それは夢物語だ。頭の冷静な部分ではそれは不可能だとわかっている。
俺は勉強の成績もよくなかったし、体も小さくて剣術の才能もない。
領主のもとで働きたいというのは、死から救われて浮足立った心が見せた幻の夢なのだ。
しかし、エラーブルは諦観している俺の心を揺さぶる。
「私が与えた力を使えば簡単に領主の傍にいけるぞ」
「力……」
「なにも領主を殺せと言っているのではないのだ。領主の役に立ちつつ、探れというだけだ。悪い話ではないだろう? 貴様の願いも叶い、領主は神秘の力を持つ者を手に入れ、私は森を守れる。なにが不満だ?」
俺は唾を飲み込む。
エラーブルはようやく俺の首から手を放した。
「話はまとまったな」
「え、ちょ、まだやるとは一言も」
「なんだ、やらないのか」
「だって」
俺がもごもごと言っていると、エラーブルが手を叩いた。
「仕方ない」
「え?」
そのとき、エラーブルの体が漆黒に染まった。黒い人型となった彼はどんどんその体を膨張させ、やがて人型を崩して部屋に広がる。
「うわあああ! な、なになに!?」
闇が広がる。俺は悲鳴を上げて逃げようとするのだが、足を闇にとられて身動きがとれない。
低い、エラーブルの声が響く。
「私との契約は絶対だ。破ったものには罰がある」
「ば、罰って……?」
ぬぷり、と闇からエラーブルが顔をのぞかせた。彼はにやりと笑う。
「貴様を樹木にする」
闇にとられた足が硬くなる。目をやると、皮膚が樹皮のように固く節くれだちはじめている。
「ひっ……!」
俺は悲鳴を上げて腰を抜かして床に倒れ込む。拍子に闇に手をつき、そこも樹皮に覆われていく。
動揺する俺を見下ろして、エラーブルが言った。
「そもそも、貴様はここで私とともに行った方が絶対にいいだろう?」
「え……」
「生贄に捧げられる人間というのはいつも同じだ。――村に居場所のない、憐れな子羊」
俺はまた唾を飲み込んだ。背中に冷たいものが流れる。
頭のどこかではわかっていた。
俺は今後、村で爪弾きにされるだろう。そうでなくとも、明日から俺を殺そうとした村人たちにどのように接すればいいのか、俺自身がわからない。
俺は息を吐いた。そして顔を上げる。
「やってやるよ。悪魔の契約」
部屋に広がった闇ははたと動きを止めた。そしてゆっくりと人型に収束していく。
それと同時に、俺の手足ももとに戻っていく。
俺はやわらかい皮膚に戻ったそこを撫でた。
再び人型となったエラーブルは、ふん、と鼻を鳴らした。
「……私は森の精だ。悪魔のような邪なものといっしょにするな」
俺は「十分邪だ」という言葉を必死に飲み込んだ。
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