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第5話

 執事のような男の部下に連れられて、俺は建物の中に入った。  壁は明るく清潔感のある白で塗られていた。  朝から木に吊るされ、地面に転がされ、追いかけまわされて小汚くなっている俺は白の中で明らかな異物だった。  俺は背中を丸くしてなるべく城の景観を乱さないように歩く。  通されたのは豪奢な部屋だった。 「ここでしばらくお待ちください」  案内してくれた男はそう言って去って行った。  部屋に残されて、俺はゆっくりと部屋を見渡す。  精緻な模様が織り込まれた絨毯に、染み一つないアカンサスの葉が描かれた緑の壁紙。窓にはまった透明のガラス。  どれもこれも俺の人生とは縁遠いものばかりだ。汚してしまうのが怖くて、俺は長椅子に腰掛けることさえできない。  落ち着けなくて、俺は立ったままエラーブルに話しかけた。 「ほんとうに、エラーブルのこと、ほかの人は見えていないんだね……」  ここまでたくさんの人間に会ったが、いかにも人外といった外見の彼の存在に気が付いた者はいなかった。つまり、そういうことなのだろう。  エラーブルはふんぞり返る。 「当然だ」  窓の外からは喧騒が聞こえた。耳を澄ますと、「セルジュ」と俺の名前を叫ぶ声が聞こえた。村人と城の兵士たちが揉めているようだった。  俺は尋ねた。 「みんなに何をしたのさ? まさかお前、人間を操る力があるのか?」  エラーブルはふん、と鼻を鳴らした。 「操ったのではない。生贄をよこせ、と奴らにささやいただけだ」  俺は顔をしかめる。 「ええ……。やっぱり、お前が生贄を要求している張本人なのか……嫌な森の精だな」 「仕方なかろう。私が人間にはこれしか伝えられないのだから」 「なんで?」 「そういう決まりだ。私にも、人間ほどではないにしても決まりごとがある、ということだ」 「なるほど……」  うなずいてから、俺は黙り込んだ。自然と眉間に皺が寄る。  エラーブルが俺の顔を覗き込む。 「おい」 「なに」 「なにを深刻そうな顔をしている」 「……いろいろあって混乱しているだけだよ。なんで俺を生贄に選んだんだ、とかさ」 「知らぬ」 「お前が選ぶんじゃないのか」 「それは村人が勝手に決める」 「……」  俺がむすっと黙る。  エラーブルは「安心しろ」と笑う。 「もし、さっき貴様が奴らに捕まっていたら、助けてやっていたぞ。私はほかにも人間の世界に干渉できる術がある」 「なんだよ、それ」 「いまは秘密だ」  エラーブルは言葉を切って、それからまた言った。 「私は私のものに手を出されるのが嫌いだ。ディヌプの森も、貴様も、すべて私のものだ。守ってやるから安心しろ」  エラーブルは珍しく真面目な顔をしていた。彼の緑の瞳が俺をまっすぐに見据える。 「もうすぐ領主がここに来る――貴様の、眷属としての働きに期待している」  そう言って、エラーブルは笑った。  それからしばらくすると、部屋にノックの音が転がった。そのころにはもう窓の外も静かになっていた。  入って来たのは、オルム様だった。 「待たせたな、セルジュ」  彼は鷹揚に手を挙げる。 「……!」  その瞬間、なにもかも吹き飛んだ。  俺は感動する。生のオルム様だ。またその姿を拝めるだなんて。  くらくらした。オルム様と目と目が合う。それだけで天にも昇る気持ちである。  ――オルム様だ。オルム様だああ!  鈍色の髪に、整った鼻筋。全部が素敵すぎる。  ――名前を呼ばれた……! どうしよう! どうしよう! 呼ばれた! 爆発しそう!  こんな人に命を救われただけでなく、存在を認知してもらっているだなんて。  俺は言葉を発さなかった。しかし頭の中では数百の言葉が早口に飛び交っていた。  オルム様は「かしこまらなくていい」と言ってから、俺の肩をやさしく叩いた。――触られた。 「話は聞いた。怖かっただろう。お前を家に帰した私の判断が悪かった」 「いえ、そんなっ! オルム様っ! まぶしいです!」  俺は鼻息荒く興奮した。  そんな俺を見て、エラーブルは「ええ……」とドン引きしている。しかしそんなのには構っていられない。  俺は目を見開いて彼の姿を目に焼き付ける。  オルム様は言った。 「今夜はもう疲れただろう。食事と部屋を用意させている。……ゆっくり休むといい。この城の中にお前を害する者はいない」 「オルム様……!」  俺は彼を見つめた。朝会ったときと変わらず、美しい人だった。彼のまばたきひとつひとつが宝石のように眩しい。  ふらり、と俺はオルム様に手を伸ばす。「あなたのためなら死ねます」という言葉が喉元まで出かかった。  しかし、その言葉は音になる前に消えた。 「痛い!」 「どうした?」  俺は頭を押さえてしゃがみ込む。エラーブルに後頭部を思いっきり殴られたのだ。きっ、と顔を上げる。彼は緑の髪を逆立てながら怒っていた。 「貴様の主は私であることを忘れていないか!?」  俺は涙目で彼を睨みつける。 「お前なっ……!」 「ほら、私の姿は領主には見えないのだぞ、いいのか?」  言われて、慌ててオルム様を見る。  彼は痛ましいものを見るような目を俺に向けていた。

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