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第3話
この退屈な牢獄から開放されるのなら、幼神が問題児だろうと韶華 にとっては大した問題ではない。
けれど、この従者を落とすとなるには少し技が必要だ。最後に使った奥の手は、確か三百年ほど前だっただろうか。そのときは渋渋ながらも要求が通ったものだから、今回も同じ手をつかってみようか……
身体に苔が生えていても不思議ではない千をこして生きる古い神の韶華は、容姿は未だに二十歳を数えるほどの若々しさであった。その美しさを、長く生きていればもったいぶるようなこともない。
輝きを帯びる白い肌に艶やかな髪をまつわらせた。
ほっそりとした腰をいやらしく少し健気に抱き、牡丹の花蜜がしたたるような唇を柔くかみしめる。可憐な容貌にわざとらしく愁いの吐息を湿らせれば、鶏明 には覿面 なのだ。
ふぅ……と、これみよがしに息を香らせ、韶華は悩ましげに口元に手をそえる。
「せっかく、……お前にも自由を持たせてやれると思ったが……なにより、従者が主の心遣いを、喜ばないとは……」
「心遣いだと……!」
鶏明はやはり声を引き攣らせた。青ざめた顔で韶華を凝視する。だが、彼だって長い時間を傍で過ごしてきたのだから、この手口を知らないはずがない。弱ったふりをして同情を誘っているだけなのだとわかっていた。二度も同じ手に引っかかってたまるものかと、彼は鋼鉄の意志をもって憂鬱そうな韶華から慌てて顔を逸らす。
「だめに決まっている! 裏がある。きな臭い。そもそも、うますぎる話だ。あと百年で開放されるというのにそれを目前にして、良い餌を投げてくるなんて――」
子どもを引き取っただけで刑期を百年も減らすなんて、あまりにも待遇がよすぎる。鶏明は北神の真意を測りかねていた。穿った目つきで北都の都の方を睨み付ける。
「あなたなら百年程度、昼寝をしていてもあっという間だ」
強気に言いながらも、ちらちらと視界の端にうつる韶華のものうげな姿には良心が痛むらしい。背後をうろうろとせわしなく歩き回る靴音に苦笑う。
こんな手は、あまり使うものではないな。いじめては、かわいそうか。
「鶏明、こっちへ」
韶華は咳払いをして取り澄ます。
澄んだ声で呼び寄せた。素直に目の前まで歩み寄ってくる鶏明に、座れと目線で指示をする。彼はふてぶてしく腰を下ろす。机の下では落ち着きなく身体を揺すっていた。
危機を事前に察知する鶏明の嗅覚は韶華の勘をはるかに凌ぐが、おおよそのところでそれが役に立った試しはない。全ては韶華が一言で握りつぶしてしまうためだった。結局鶏明は、韶華に抗えず折れてしまうのだ。
「……ただ、ここにいるのに飽きただけでしょう?」
それでもせめて抵抗の意はあるのだと、鶏明がやがて気力を落とした声でぽつりと呟いた。韶華は大きく頷き、持っていた筆をゆっくりと左右に振らし、見たまえ、と春の景色を指し示す。
「お前も私も、ここに四百年もいる。ごらん、殺風景な監獄の景色が、芳香を重ねる桃源郷になるほどだ。そろそろ、さすがに飽きる……それに、」
「……それに、なんです」
「ああ、えっと……」
口を滑らせたのはすっかり無意識だった。耳ざとく追求する鶏明に口ごもり、困ったように微笑む。むしろ、後に続く理由の方が本命なのだが、それはあまりにも鶏明の急所を突いてしまうだろうから言いたくなかったのだ。
韶華はやはり少し悩んだふりをして、結局正直に白状した。
「……私は、罪によって神性を穢してしまったから、善行を積んで磨かなければならない」
目を見開いた鶏明に気がつかず、韶華は善の神としてあるまじきことだと、わざとらしい顔で投獄を憂う。果たして、その姿を苦々しい顔で見つめる鶏明である。退屈などという理由より、よほど大きな理由だ。それを見落とした至らなさを、鶏明は悔いた。
「……わかってます。花神が決めたというのなら、どこまでも従います」
「つまり、子どもを引き取っても良いということだね?」
「仕方がないですから」
結局、渋渋承諾していることに鶏明は後になって気づくのだ。もしや、新しい奥の手を使われたのだろうかと一瞬考えもしたらしい。
韶華はその疑問をぶつけられる前にとっとと亭の外へ下りていた。難しいことは考えるなと鶏明を呼ぶ。
そっと、「悪かったね」と一言、 冷や汗をだらだらと流していた蝸牛を手に乗せた。
「その子どもは、私が好きにしていいと、北神からもお墨付きだ。三十年前に生まれたばかりだという」
幼神を養育するなんて、いつぶりだろうか。
花蔦のまとう牢獄の門が、いましがた少しずつ開いていた。外から溢れる光りに向かって、韶華はまっすぐ、まるで空を飛ぶように優雅に進んでいく。
「さあ、久しぶりの我が家だ。鶏明、帰るぞ」
下肢に纏う絹は雲のように翻り、水の揺らぎのような裳裾から、まるで月のように輝く白い足が覗く。歩いた傍を春風が従い、頭上に差し出す花枝はさらに濃く匂い立つ。
善と吉祥、花の神、名を、韶華といった。
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