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第4話

 白昵山(はくでいさん)府君(ふくん)といえば、その太守(たいしゅ)花神(かしん)韶華(しょうか)である。  白は青をますます育むというため山号に「白」を入れ、その神は広く親しまれたことから、「(でい)」を添える。「緑青の誉れ」と韶華の宿る楼閣は美しく栄え、北神から金泥の額を賜るほどであった。  その栄光も額とともに消え去り、韶華の去った後、白昵山は以前のような春色をかげらせ、豊かな(かおり)さえ塵埃(じんあい)にくもっていた。  すっかり変わり果てた山門を前に、韶華は重く言葉をのみ込んだ。しばらく立ち尽くしたまま門を見つめている。  そこに誰の出迎えもない。枯れ木と塵がうらさみしく漂う荒れた景色が、ひっそりと韶華の胸を締め付けた。 「……やあ、今、帰ったよ」  主の帰りを待ち続けた門を優しく撫でながら、やがて痛みを堪えるように呟いた。  罪は神性を穢すだけでなく、牢獄に入れられた神に関わるだけで自身の身も落とすようなもの。大勢の臣下や侍女が韶華の元を離れたのは、彼らが神性を保つためには仕方のないこと。けれどたった一匹の雀だけが残り、韶華の身辺をせっせと繕い、四百年もの間牢獄をともに過ごした。その並外れた忠誠心が、この門をみると余計に辛く思えてくる。  それに、養育を引き受けた少年――北神が手を焼くほどの悪童とはいえ、穢れた神に拾われることを悲観するだろう。  よりいっそう、善なる神でいなければ…… 「鶏明(けいめい)、まずは部屋を整えてからだ。その後で少年を迎えに行こう」 「ええ、そうしましょう」  大風呂敷を抱える鶏明は頷いた。変わり果てた白昵山の姿は韶華だけでなく、鶏明でさえ心にくるものがある。けれど主の韶華が毅然とする前で弱音を吐くわけにもいかない。 「きっと、虫や獣の巣窟になっていますよ。まずは彼らを、追い払わないと」 「悪さをしなければ、いてもらえばいい。寂しくなったものだからね」  眉をひそめる鶏明に韶華はのんびりとこたえながら、(ひし)めくような山深い緑の間に、ようやく楼門が見えてくる。  長いこと留守にしていたのだから、家屋は傷み、瓦の漆もはげているに違いない。春気の失われた庭園も荒れ放題だろうし、手始めに何からとりかかろうか? 少年がそこに加われば日々は目まぐるしく忙しくなるはず。神性を磨くことも考えれば、その忙しさが今から待ち遠しいなんて。  韶華は楼門に近づくにつれて、これは掃除どころではなさそうだなと微笑みの裏で予感がしていた。  朱色の門がくすんでいるのだ。  不穏な予感が胸を掠めたのには、辺りに漂う焦げたにおいのせいでもあった。  門の戸は韶華一人では中々開かず、見かねた鶏明が力を貸してようやく土埃を上げた。  ギッ……ギィッ……、  と、蝶番の錆びた音とともに開かれていく門に、その僅かな隙間から中を見る。  韶華は、「やはり」と憂鬱につぶやいた。同時に眉をひそめて、「さて、どうしたものか……」と困り果てる。  主を失って四百年、その間楼閣は狐や蛇と宿主をかえ、ついには青火を宿したようだ。  楼閣はその青火の大宴会のなれの果てとでもいうのだろうか。跡形もなくすっかり焼け落ちていた。  朝月夜の空に碧玉の星が美しく流れ落ちていく白昵山。韶華は地に散ったその欠片を拾って集め、楼閣の床や壁に一面の星をちりばめていた。  金朱をあしらった柱梁(ちゅうりょう)や、靄のような沈の香りも、青い垂れ絹も、そして美しい星々の欠片――、何ひとつと残らずみな灰燼に帰してしまった。  燃え残った檀の下に石造りの渡り廊下が見える。それでようやくここが、部屋の跡なのだと分かった。 「誰がこんなことを……!」  鶏明が惨状を目にするなり、抑えた声で低く怒鳴る。どさりと、荷物を詰め込んだ風呂敷が力なく落ちた。 「屋根も、落ちてしまったようだね。これでは、夜露に濡れてしまう……」 「夜露の問題か?」  韶華は残念そうに灰を手にすくった。その手を、「よごれるだろ」と鶏明が叩く。 「嫌がらせに違いない」 「鶏明、滅多なことをいってはいけないよ」 「火を放った犯人をいびり倒すのも、たまには良いかもしれませんよ」 「こらこら……」  韶華は困った顔をしてたしなめる。ふと二人して顔を見せ合い、にやりと笑った。少しして真面目な顔付きに戻ると、韶華はゆるく頭を振る。 「知っているだろう、私にはそんなこと、一つもできやしない」 「知ってますよ。だから私がいるんじゃないですか。善の神にはできないあくどいことを、私がやるんですから」  多くは花神に慣れ親しみ、吉祥を得ようと人々は白昵山(はくでいさん)を大切に扱ってきた。わざわざその楼閣までやってきて不埒にも火を放つような人間や妖鬼のいるはずがないことは、周知の事実である。  鶏明はどうせしょうもない神のいやがらせなのだと決めつけて、放火魔を放っておくわけにはいかないと息巻いていた。  うってかわり、自分の家を燃やした犯人にさえ興味がない韶華である。燻っている火の熱に暖を取っている。夜の寒さもこれで少しはしのげそうだと暢気に構えていた。 「……瓦礫をかたづけますから、あなたは今夜の寝場所の確保でもしてください」 「それには及ばないよ。楼閣は私の力で不変の形を得ている。お前が老いないのと同じ。……ただ、灰になってしまっているから、元通りになるには少し時間がかかるかな」  それよりも、と韶華は焼け崩れた家や庭を困った顔で眺め見た。 「少年を、今すぐ引き取るのは難しいな……」 「花神、それも無理なようだ。北神の使いっ走りが見えている」  チッ、と舌をうち、鶏明は背後を指さす。 「ううん……」  韶華は唸った。  度々咳払いをする男の存在を、知らないではなかった。見ないでいれば、いなかったことになるのではないかとひそかに願っていたのだ。  鶏明め、余計なことを……  意を決して男の方へと振り向き、今初めてその存在に気づいたと言わんばかりに大きな目を見開く。そしてにっこりと微笑んだ。 「おや、失礼、少し問題があってね。話し込んでいたから、気づかなかったよ。何か、ご用かな」  男は丁寧に礼を尽くすと、花神の前で膝を折った。 「北神の使いの者です。例の少年を早速引き渡したいとのことですので、花神さまを夜偏城までご案内いたします」 「それはご苦労」  天の主神から直々に迎えを寄越されて断れるわけがない。  韶華は高位の神らしく瞼を伏せ、物々しく男についていく。振る舞いは厳かでありながら、内心酷く焦っていた。少年の寝る場所さえないのに、連れて帰れるわけがない。何か適当な言い訳を用意しなければ。  その焦燥に拍車をかけるように馬車は走り続け、はからず、北都北帝の住処である、夜偏城(やへんじょう)にたどり着いてしまうのであった。

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