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第7話

 北神が身を捩らせるほどの悪童、もしくは腕白(わんぱく)で手に負えない問題の子どもを、かの吉祥の神、花神(かしん)がとうとう押しつけられたらしいという噂は耳目の注意をひきつけるに足り、忽ちのうちに神仙妖鬼の間に波紋を広げた。  翌朝になって鶏明(けいめい)が焼け野原の白昵山(はくでいさん)に戻ってきたとき、煤まみれの楼門の前にはそうした種々雑多な神や妖鬼が散々押し寄せていた。  その集団にぎょっとしながらも、やっとの事で中まで入り、あの人集りはなんだと問い詰めようとして、濡れそぼった韶華(しょうか)に目を剥いた。 「なにをしたんですか?」  なにがあったのですか、ではなく?  咄嗟に出たせりふが主の不注意を突くようなものに、韶華は自ら情けなくなる。しかし何をしたかと問われれば、池に落ちたのだ。それも実に情けない理由で。 「……最近まったく運動を、していなかったから」 「は――?」  かみ合わない返答に鶏明が即座に皺を寄せる。韶華は慌てて頭を振った。 「いや、なんでもないよ……」  朝早くから韶華は腕を組んで困り果てていた。その悩み事の最中だったのだ。  夜通し念仏を唱えるようにじっと炭と灰の山を見つめ、吉祥の象徴をもつ少年の名前をぶつぶつと考えていた。そうしているうちに白々と夜が明けてしまい、淡い朝の空をみながら、「星郎(せいろう)――」。ふと、心に浮かんだ色の名前を呟いた。  白い清気をまとう月の雫、そんな淡い青色をあらわす名前だった。月光を帯びた池の水がその星郎の色のようで、それがことあるごとに思い出された。けれど本当は色ではなく、心を震わせたあの少年が忘れられないだけなのだろう。  とりあえず、少年を星郎と呼ぶことにする。  困っているのは、別のことである。昨晩遅くに、廃墟同然の楼閣に人が尋ねてきたことだ。  門前には家を燃やした犯人を視ようと言う人や、少年の名前を教えてやろうと尋ねてくるもの、さらにはその正体は北神の落胤(らくいん)だと耳に囁くものさえ現れる始末だった。最後に限っては絶対にそんなはずがなかった。北神は女性を見ただけで石像のように身動き一つできなくなるのだから、触るなどもってのほか。  都度追い返していたのだが、その内の一人が真っ黒な外套をまとって意外なことを口にする。 「家を建て直す力をお貸しします」  穏やかな顔付きの、物腰柔らかな若者だった。腰に帯びた飾りはどこかの神の従者をしめすが、韶華はそれをじっと見つめたまま首をかしげた。さて、その印を示す神とは、誰のことだっただろうか。  丁寧な若者を中へ通し、「それは是非ともお願いしたい」とにこやかに瓦礫の椅子を勧めた。灰の下から掘り出した茶器にぬるい湯水を注ぐ。  若者は少しはにかんで、では、と恭しく茶器を手に取った。けれど花の神を前にして緊張しているのか、器を持つ手は激しく震え、中身はほとんどこぼれてしまう。机代わりの柱の礎盤に置くときも、茶器と急須がかちゃかちゃと音を立ててぶつかっていた。若者は震えを誤魔化すように笑みを浮かべ、すぐさま困った顔つきになる。 「力は貸しますが、その前に、花神さまに協力をお願いしたいのです」  吉祥をもたらす神の存在は貴重であるから、他の神仙妖鬼は韶華に恩を売ってその祝福を賜ろうとする。鬱陶しいほどの野次馬が門の前に集ってくるのはそれである。その彼らと同じ期待をこの若者も抱いているのだと、韶華は頷いた。 「どんなことをさせるつもりかな。私にはほとんど力が残っていないよ」 「宝を降らせろというつもりはありません。簡単なことです。件の少年を引き取ったと聞きました。こちらに引き渡してください」 「えっ」  と韶華は短く声を上げ、さらに短く呟く。 「引き渡す……?」  まいったな。  唇に欠けた茶碗をあてつつ、少年がここにいないことを、正直に話すべきだろうかと考え倦ねる。  けれど結局、黙っておいた方が良さそうだと口をつぐむことにした。なんていったって、彼の力は魅力的だ。このうまい話を逃す手はない。  さて、星郎の養育者として、韶華はもっともらしい言葉を慎重に選んで問いかける。 「まずは、彼を引き渡さなければならない理由が、知りたいね」  すると若者はあからさまに困惑顔を浮かべた。もしかして星郎がここにいないことが、すでにばれているのだろうか。背中に大粒の汗を浮かべてひやりとしながらやり過ごす。若者の顔が苦々しく歪むと、とうとう白を切っていることさえ見破られているのではないかと思われてくる。しかし彼はそうではなく、どうやら言いにくいことがあったらしい。韶華へおずおずと膝を進めて声を落とした。 「噂を、ご存じないですか?」  韶華はゆるく首を振った。脳内を駆け巡る大混乱をおくびにも出さず、「何も」とあっけらかんと応じる。 「けれど、相当派手な噂が流れているらしいね。どうやら私は耳が遠いようで、ここまでは届いてこない」 「……狭斜(きょうしゃ)(ちまた)を、流連していることも?」 「狭斜……?」  韶華は思いがけない言葉に面食らった。あわや背後に倒れかけて、若者が慌てて手を伸ばす。それを拒みながらも、夜闇の下、露草色の池の中でみた少年の艶っぽさと、その肌の近さを思い出して途端、顔を覆う。 「……まさか、彼、色事を好むのか?」 「この際色だけならまだいい!」  くわっと目を剥き、叫ぶように声を荒げた。 「連日紅灯を跨ぎ、酒に喧嘩、さらには借金を踏み倒して逃げ続けているんですよ。盗みも平気でするようなやつを、まさか花神さまがご存じないとは……!」  韶華はふと楼門に視線を走らせた。今この瞬間に鶏明(けいめい)が帰ってこないことを何よりも祈っていた。  しまったな。内緒にしたいことが増えてしまった。 「とにかく、彼をこちらに引き渡してください」  迫る若者に目を戻す。  狭斜の色町など、天界で過ごしていれば目にすることも耳にすることも滅多にない。それを、星郎はどこからか情報を得て、通い詰めたということになる。  天界にはいくつかの掟と神門ごとにも禁令が存在するのだから、その掟を取り締まる秩序の神がいる。その一門はまだ煤だらけの楼門には見えていないのが幸いか。  若者が携えている従者の印も、それとは全く関係のない神――今思い出したが、確か水系の神をしるしたものだった。  さて、その神が私的に星郎を求めている理由がわからない。外套の下の長衣も靴も、ただの神仙妖鬼では到底手の出ない代物であるのだから、随分と格の高い神ようだが……  韶華はそっと若者に耳打ちするように囁いた。 「ひょっとすると君の主は、秩序の神に連れ去られる前に、彼に会いたい理由があるようだが」  若者は驚いたように目を見開く。  すっくと立ち上がるとまっ白になった顔で韶華を見据えた。 「……力を貸すのは、本当です。今も遊里にいるのでしたら、戻り次第連れてきてください。今日の日暮れまでに。でなければありとあらゆる方法で少年を探し出し、指先から順々に刻み落とします」  そう言って颯爽と帰って行ってしまったのだ。  韶華は星郎の名前に大方の時間を費やしていて、連れてこいという難題をどうやってかわそうか、朝になってようやく考えはじめたばかりだった。  退屈そうに立つ鶏明を目の前に見て、韶華は焼けた家屋へ軽く顎をしゃくった。 「放火魔の手がかりは、得られたのか?」  鶏明は問われて釈然としない顔をした。お手上げとばかりに肩をすくめ、「それが……」と憤然としゃがみこむ。 「みんな、あなたの力をあてにしていい加減な事をいってくる」 「私には、もうそんな力などないと、伝えておいてくれ」 「ええ勿論。厄介ごとを背負い込む貧乏神になったと、吹聴しておきました」  その言い草が実に鶏明らしい。にこにこと笑いながら韶華は頷いた。 「それでしばらくは、静かになりそうだ。それでも誰かがここへ来るのなら、そのひとが放火魔だろうね」 「――隠し事を、していますね」  韶華は急にどきりとした。声を低くさせ、ずばりと言い当てる鶏明はこういうときばかり勘が良い。涼しい顔をしながら、しかしどこまで分かっているのだろうかと流し目に彼を見る。 「……鶏明、君に隠し事など、できるはずがない。……そうだ、私は少しでかけてくるよ」 「留守は預かります」  すんなりと応じた鶏明に拍子抜けしつつ、けれどどこか逃げるようにいそいそと腰を上げる。  その姿をただじっと眺めていた鶏明が突然、ふんっと鼻を鳴らした。若干の苛立ちが眉間のあたりに漂っていた。 「喧嘩に色に、盗み……。夜偏城で、彼に会っているんですね。しかも落とされたか引きずり込まれたか……あなたがおかしな目に合うのは見慣れていますが、私の手が届かないところでは、十分注意して」  まるで心の中を読んでいるようじゃないか。ただの雀が、私の神威に触れて神格を持ち始めたか?  それならそれで、喜ばしいのだが。しかし今は鶏明の怒りを買わないことが望ましい。 「ああ、わかっているとも。よく承知しているよ。鶏明は気が利くね。君のおかげで、私は随分と命拾いをしているようだ……!」  韶華は急ぐように告げてさっと楼門の外へ転がるように出ていった。  鶏明の気が変わらないうちにさっさと離れるのが吉だろう。  さて、星郎を探しに行かなくては。ここは養育者として彼の素行を確かめる必要がある。勿論、あの若者に差し出したところで結局星郎は八つ裂きにされるだけなのだから、うまいこと利用して家を作り直してもらわなければ。

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