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第13話
「ほら、いわんこっちゃないわ」
遠くから押し寄せてくる凄まじい足音と話し声が、門の前でぴたりととまった。韶華はひょい、と中庭から覗き込む。
門の前に詰めかけた人々が「花神、でてこい!」と騒ぎ出したのはそのときだった。韶華は慌てて頭を引っ込めて、苦い顔で少女と顔を見せ合う。その最中、夫人が急いで飛び出していく。
「花神さまには関係がないのだから、隠れていましょう」
あきれ顔の少女が水辺から上がって韶華の手をひいた。
どうやら吉祥を求めてやってきたのとは、少し違うようだ。少女の提案に従って部屋の中へひとまず隠れることになる。
戸の内側に踏み入れたとき、はからず韶華の耳に声が届いた。
「あの悪童が花神はここにいると言っていたんだ。うちの店の弁償をさせにきただけで、あんたに用はないよ。花神をだしてくれ」
「それだけじゃない! 喧嘩の御法度も破りやがった。しかもほっつき歩いて責任をとろうともしない。花神をだしてくれ、話しをつけたい」
韶華はこれを耳にして、「星郎か」と額をおさえた。抱えている問題は、この妓楼の負債だけではなかったのだ。
「花神さま、早く」
少女がこっそりと部屋の中から手を招く。その優しさに思わず笑みがこぼれ、韶華はゆるく頭を振った。
「放っておくことはできない」
「でも、きっと花神さまでもぶたれるわ」
「盟神探湯の痛みに比べれば、大したことではない」
「ならせめて春懐を待って。彼は今どこに? 呼んでくるから、それまで勝手なことをしてはだめよ」
なおも部屋の中へ押し込もうとする少女に、韶華は優しく諭す。
「私が、隠れるわけにはいかないよ」
「でも、星郎はこうなると知ってわざとあなたを困らせているのよ。思い通りにさせてはだめよ」
「こうなることも分かって、名前を明かしたのは私だよ。星郎を引き取った責任があるのだからね」
とは言いつつ、これほど多くの問題をひっさげているとは思いもしなかった。
「星郎の肩なんて持つ必要ないわ……」
領巾を腕に巻き付けて、少女の声を背に韶華はゆっくりと中庭を横切っていく。せめて見栄えだけは神らしくありたい。対応に追われる夫人を少し脇へどかして、韶華は彼らの前に立った。
途端、鎖に繋がれた猛獣のように人集りが束となって韶華へ迫る。口々に喚きはじめた。
「花神――! 星郎を連れてこい!」
耳鳴りのような怒号にくらくらとしながらも手を組み、韶華は言い分一つ一つを静かに聞き分ける。彼らが疲れ切って息を接ぐのをまった。
ようやく場が静けさを取り戻すと、韶華はゆっくりと口を開いた。
「今はここから離れることができない。星郎を連れてくることは無理だ」
「そんなおたくの言い分が通るはずがない。こっちはもう何日も待ってるんだ。今日中に連れて来ないというのなら、陰氷 に計らってもらうことになるぞ!」
――弱ったな
韶華は本当に困り果てた。
今まで星郎の背後には北神がいたのだから、彼らは楯突くことができなかったのだ。その怒りともどかしが、現れた手頃な韶華へ一気に噴き出したようだ。
けれど、今の韶華では吉祥をこの楼閣にもたらすだけでも相当の力と時間が必要だった。星郎の負債を払うとなれば、尚更だ。しかも夕方までにはあの若者の要求にも対処しなければならないのだから、到底今日中に星郎を連れていくなど、無理な話である。
「どうにかして頂戴、商売の邪魔になるじゃない」
韶華は婦人の声に苦笑い、じっと男たちを見つめる。
星郎を引き取ったからには、少しずつ神格を磨いて力を取り戻していこうと思っていたのだが。しかしこれほどの人数でおしかけられては、他に方法もない。
仕方がない……
「わかった。では、陰氷の計らいに任せる。それで、君たちも満足だろう。この件は少年には伝えないでくれるかな」
「善の神が罪を重ねるとは、おちたものだ」
怒りの矛先を失った人々が不服そうに吐き捨て、罵声を浴びせて帰っていく。砂ぼこりと、まだそこに、分厚い嫌悪の塊が漂っているような気配に、韶華は絡み取られたように動けなかった。
「……夫人に、許してもらえるように頼んでみるわ」
翡翠の紗の少女がその弱々しい背中にそっと触れながら呟いた。
いつからそこにいたのだろう。韶華は少し驚いた。少女は誰よりも悲しそうな顔をしている。
「君が気にすることはない。少し力が、削がれるだけだ。それに私は善をおこなったばかりなのだから、多少は平気だ。他の少女たちにも、あの水盤に浸かるように言っておいてくれるかな。私が助かるのだけれど」
「勿論よ。ここにいる女の子たちだけで、花神の善性はきっと光輝くはずよ……だから、気を落とさないで、ね?」
「これを君にあげるよ」
泣き出しそうな少女の目の前にゆるく握った手を出し、ふっと息を吹きかける。空に投げるようにして手のひらを開けると、指先から蝋梅の花片が舞いあがった。少女はわっと驚いた顔で花片を手にし、唇の端を押しあげる。
「吉祥ね……よいことが起こる、前兆だわ……」
雪のように舞う黄色の花片。それを見つめる少女の、沁みるような言葉だった。
「前兆……?」
韶華はふと、その言葉に引っかかる。
「そうよ。どこかで聞いた覚えがあるもの」
「一体どこで?」
「お客さんではないはずよ。でも最近のはず。なぜそんなことを?」
前兆……
なにやら古い記憶が脳裏にちらつく。
韶華は少女の問いかけに応えられないほど深く考え込んでいた。ほんのわずかにも、その記憶に手が届かない。なんだったかな。とても大事なことだったはず……蝋梅の花……
ぶつぶつと呟きながら中庭の花壇に腰掛けた。あの水盤をじっと見つめていると、埃の下の記憶も蘇ってくるように思えたのだ。
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