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第16話

 提灯に火が灯りはじめる頃。活気を帯びる花街の道を、韶華(しょうか)は足早に行く。太陽はほとんど建物の影に入り、無言で先を急ぐ二人の間には鬼気迫るものが漂っていた。  そんなとき、目の前をふっと影が過った。 「白昵山(はくでいさん)府君(ふくん)、花神韶華で間違いないな」  厄介な気配を感じて素早く切り抜けようとした韶華の前に、数人の男たちが立ち塞がった。腰には装飾の施された華やかな剣を帯びている。鯉口を切った男たちに、そのまま立ち去ろうとした韶華は憂鬱に息を吐いた。  間が悪い。陰氷(いんぴょう)だ。  剣術の腕前もさることながら、宝剣を帯びた陰氷にかなう神などいない。その剣は神の命も奪えるものでもあるのだから、専ら陰氷とは横暴で容赦なく、権威をひけらかし、逃げるものには問答無用で剣を向ける血なまぐさい組織でもあった。ましてや、四、五人の屈強な男たちに逃げ道を塞がれれば、逃走も難しい。  苦い顔をした陰氷の男が韶華の腕の傷痕を見る。残念そうな顔を隠さない男に、少なからず、韶華の身の上の事情をしっていて案じてもいるようだ。その彼が剣から手を離すと、僅かに表情をやわらげた。 「あなたが引き取った少年が、掟をやぶり、秩序を乱したと訴えがあった。事実か確認をしたい」  しかし、来るのが早い。  そんな焦りをのみ込んで韶華はにこやかに首をかしげた。 「星郎(せいろう)からは何も聞けなかった。だから、事実かと聞かれると、私の口からは答えられない」  風神の身体が無意識に韶華の前に出る。韶華は逆に陰氷と風神の間に割って入り、素早く風神の身体を押した。 「鶏明(けいめい)に、数日家を空けてしまうことを伝えておいてくれ。それから、放火魔については調べがついたから、安心するようにと」 「おれはあなたの伝令ではない。ましてや、従者でも」  人の前に庇うように出ておいて、従者ではないとはよくいったものだ。  韶華は苦笑う。 「では、友人として頼むよ」 「友人?」  意表を突かれた風神が激しく反論しようとしたらしい。しかし力の抜けきった声で息を吐くと、目の色に複雑なものを露わにした。 「……あなたは昔から人が悪い。だから私はあなたを古狸というんです、あの頃からずっと、」  忌々しく呟く風神は続けようとした言葉をすんでの所でのみ込んだ。かわりに屈辱的だといいたげに頭を抱えた。散々うんざりするほど呻いていたが、身のうちに吹き荒れる感情をため息とともにうまく吐き出しきったらしい。 「しかしおれも、よほど従者として虐げられる方が、性に合うようです」  投げやりに言い放ったとき、すでに彼の顔はさっぱりとしていた。韶華は「ふふ、」と微笑をこぼす。 「残念だけど、従者はもういらないよ」  行ってしまえと手を振る。風神は一瞬呆気にとられたものの、韶華の暢気な態度に軽く顎を引き、素早く踵を返した。そのやり取りを見守っていた男が深い哀愁を韶華にそそいだ。 「星郎については、数々の逸脱行為が顕著で、こちらでも行方が追えていない。善の神ならば、花柳街や飯店の店主たちの気持ちも汲んでやってほしい。私たちに引き渡すつもりはないようだし、ご自身で星郎に懲罰も与えないとなると、責任は誰が負うべきだと考えるか?」 「私を罰してそれで場がおさまるのなら、協力しよう。けれど、それには少し時間が欲しい。寄りたいところがあってだね……」  韶華はあっさりと顔色一つ変えずに頷いた。  なんとか話しがまとまりそうだと安心しかけた男が、韶華の提案にむっと眉をひそめる。 「それは難しい話しだ。あなたには今すぐ拘束するよう指示が出ている。なおかつ自由にさせてしまっては、陰氷の名が廃る」  韶華も困った顔をして、「うぅん」と深く唸る。 「では、君もついてくるというのは、どうかな?」 「……なぜ、あなたの言うことを聞かなければならない?」  韶華はぶわりとふきだした汗を慌てて拭った。確かに韶華は今、立場が弱い。けれど、日暮れまでに硅女(かくじょ)の城に行かなければ、彼らは本当に星郎を見つけ出して指先から切り刻みかねないのだ。 「その……切羽詰まった大変な急用が……」 「それを一々許していたら、私どもの仕事ははかどらないだろうな」 「なんとかならないか……?」 「申し訳ないが……」  渋渋と差し出した手に今にも縄がかけられるという時だ。美しく照り残っていた夕焼け空に墨液のような黒雲が広がりはじめ、辺りはたちまち大粒の雨がざっと降りだした。 「お待ちください――」  その雨の中、雨滴の音を裂くような凜とした声だった。

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