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第17話
冷ややかでありながらどこか幼げな声。陰氷 の男は声のする方へあからさまな迷惑顔を向けた。韶華 を仲間へ押しつけつつ、目つきで急げと撤退の指示をだす。そうしながら自分は現れた女性へ恭しく頭を下げた。
「硅女 、なぜ、こちらに」
言葉では意外そうにするが、顔はやはり不満そうだ。それを無礼と罵ろうとした硅女は拘束された韶華の姿を目に留める。美しい眉をひそめた。
「はじめから、こうすればよかったのね……」
そして硅女の袖が一払い、空をはためいたかと思うと、途端、ぱっ、と紫の稲光が天に散り、激しい雷鳴とともに大地を貫いた。天地を突き刺す稲妻はまるで檻のように陰氷らと韶華を閉じ込めた。その内側では盥の底が抜けたような大雨が全身を撲ち続け、辺りはまっ白で人も家屋も何も見えなくなってしまう。
少女のぼそぼそと呟く声だけが、背後や耳のすぐ後ろから、激しい雨音を縫ってかすかに聞こえてくる。
冷静に剣を抜く陰氷らは瞼から滴る雨を鬱陶しく拭い続ける。
ずぶ濡れになった韶華はその横で白煙の立ちこめる雨の中、身なりを整える硅女を見つめていた。
「花神さま、約束の夕暮れです。残念なことに、どうやら少年を、連れてきてはいないようですね」
韶華はにこりと微笑んだ。
「君に会えてよかった。話しがあってね」
「あら、」
硅女は冷たい表情をかすかにゆるめ、そっと手を振る。すると、白昵山 を訪ねてきた若者が水煙の向こうからぬっと現れた。手短に敬意を示すと、頷く韶華の身体を担ぎ上げる。
背丈は韶華と同じか少し低いくらい。けれど彼は易々と韶華の身体を持ち上げてしまったのだ。
驚いた韶華は同時に、陰氷の拘束が解けている事に気がつく。
「至宝の腕前を持つはずだよ。細い女性の腕と、至宝に劣る従者が陰氷の攻撃をしのげるとは、思えないけれど」
おそらく硅女のもたらした雷雨が剣術の腕を鈍らせたに違いない。硅女もその自負があるらしい。感情の薄い顔を少し得意げにした。
「剣など、私の前では無力です。さ、運んでちょうだい」
悠々と立ち去る硅女の後に、韶華を担いだ若者が続く。激しい雨の中では雷の檻から出ようと、剣を切りつける音がしばらく響いていた。
硅女が韶華を運んだのは瀑泉 のはるか上空、翡翠 の羽を敷き詰めた美しい床の城だった。水の沫 から紡いだ糸を編んだ垂れ絹と、三日月の淡い光りに満ちている。
その清らかな城に不釣り合いな一室に韶華は閉じ込められた。四隅を硬い壁で閉ざされ、腕も伸ばしきれないほどの小部屋。
放り込まれた身体は立ち上がる間もなく、床下から続く鎖に手足を縛られていた。目を凝らさなくても、その小さな部屋が何のための部屋かはすぐに見当がついた。まだあたたかな、血のにおいがするのだ。
「暦帳のことだろう」
韶華は背筋に冷や汗を滲ませていう。
「あの少年が、私のところから盗んでいったんです」
ふっくらとした頬に笑みを浮かべ、困ったように硅女は応えた。少しすると穏やかそうな顔つきになるので韶華は安堵したが、つぶらな黒い瞳が背筋の凍るような怒りを盛らせていることに気づいてしまった。
それは違うよと韶華は首を振る。なるべく穏便にすませたいものだが、手についたぬめりは乾ききっていないのだし、あの目を見るとそうもいかないらしい。
「星郎が盗んだのは、君の巻き軸ではないよ」
言い聞かせるように韶華は言う。妓楼の少女が口にした蝋梅の一節を思い出していた。あれは韶華がしたためた吉祥の一文なのだ。もしその言葉を星郎が伝えたのなら、星郎は硅女から暦帳を盗んでいない。
なぜなら彼女は零落れたのだから。
権威を灑女 に譲ったのが、吉祥とは真逆の末路を辿ったことの表れである。もし暦帳を盗んだのが星郎なら、彼は吉祥ではなく不吉の一節を口にしていなければならない。
まだ、そのことを知らない硅女が目を丸くさせた。
「どういうことです?」
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