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第18話

「君がもっていたのは、……」  特別なことではないのだから平然と答えようとして、途端に重いため息が言葉尻に混ざる。  まさか、善と吉祥の神である自分が、あんなものを生み出したとは、認めたくはない。  けれど息を整えて韶華(しょうか)はいった。 「あの暦帳は、私の罪と、盟神探湯によって悪、偽、邪とされたものを殴り書きしたもので、それは不吉で凶悪な巻き軸なんだ」  だから、確かな神に保管を頼んでいたことを今まですっかり忘れていた。  私の苦しみと、後悔、嗚咽を全て封じ込めた、邪悪な巻き軸…… 「君はそれを、どうやら吉祥の巻き軸と勘違いをし、どうやってか手に入れてしまって、灑女(さいじょ)より零落れた」  硅女(かくじょ)の頬が恐ろしいほど強ばった。「零落れた」そのたった一言に今までやってきた全てが間違っていのだと、ようやく気づいたようだった。血の気の失せたまっ白な顔で目を瞠る。 「……どうして星郎(せいろう)が、私の巻き軸を盗んでいないと、断言できるの?」  韶華は優しく微笑んだ。なぜなら、あのとき、裾を掴んだ愛らしい手の震えと、縋りつくあの瞳が嘘に思えなかったから。 「星郎の善性を信じているからだよ」 「飯店での狼藉や、楼閣通いを知らないわけではないのでしょう? それなのに、信じているですって?」 「飯店で何があったのか私は何もしらないんだ。彼はもしかしたら、無頼漢を捕まえようとしたのかもしれない。楼閣通いも、少女たちの病を気にして励ましていたのかも。だから、少女は蝋梅の花の一節を知っていた。星郎がそれを伝えたんだ」  硅女が忽ちあざ笑う。 「善神は、おそろしいほど都合が良いのね」 「私の家に火をつけたのも、君の従者だろう」  硅女は覚えがあるのだ。嘲笑がすうっと引いていく。息を呑み、唇をかたく結んだまま応えない。その姿に韶華はやはりそうなんだねと微笑んだ。 「私の家を焼き、建て直すなんていって、星郎の悪評を吹き込んだ。彼を差し出すように仕向けようとしたんだろう?」  いいながら、韶華は手首に繋がれた鎖に目を落としていた。  身体を拘束させて逃げられないようにしているのは、さては、この身体で星郎をおびき寄せるつもりだろうか。 「……星郎は信じて、私のことは疑うつもり?」  韶華は慌てて硅女をなだめるようにいう。 「君たちのやっていないことを、私は一度だって責めてはいない。それに君は血のにおいのする暗い小部屋に私を連れ込んだ。それが、全てだ」  硅女は言葉を失ってもごもごと唇を動かした。硬く手を握りしめて少しずつ韶華から後退っていく。 「それから、非常に言いにくいんだけれど、星郎は私に興味がない。私を餌にしても、彼は来ないよ」  震わせていた唇を噛みしめると、硅女はきつく韶華を睨み付けた。 「星郎に善性があるのなら、あなたが苦しむ姿を、放っておくわけがないわ!」 「なら、試してみるといい。君の神性が穢れるだけだ」 「……いいわ。星郎が暦帳を持って現れるまで、あなたを痛め付ければすむだけ。――槐葉(かいよう)!」  名前を呼ばれた若者がひどくびくりと身体を跳ねさせた。鞭を手におそるおそると進み出す。震える足で韶華の目の前までやってくると、怯えきった眼差しで見おろした。鞭を握る手が激しく震えだし、次第に息が荒くなる。小さな声で「ごめんなさい、許して」とうわごとのように何度も繰り返していた。  その背中に硅女の押し殺した怒号が飛ぶ。 「星郎は盗みを働いた。その罰を、星郎が受けないというのなら、養育者の花神に与えるだけよ。禁令に従って、打ちなさい」 「……そ、それは……」  相手は善と吉祥の神。  投獄され、罪をその両腕にしるしながらも神性は未だに善であり続け、天上で最も美しい神、韶華なのだ。 「……できません」  ぽつりと呟く若者ははっと思い出したように頭を振った。 「できません! そんな、罰当たりなこと!」 「寄越しなさい……!」  硅女が若者の手から鞭をむしりとる。鞭をしならせ虚空を数回引き裂くが、いざそれを韶華の身体へ打ちつけようとすると、硅女の身体も恐ろしく震えだしていた。  硅女は乱れる吐息を一切漏らすまいと唇を噛みしめ、恐怖を破り捨てるように鞭を振り下ろす。  そしてひとたび手を止めれば、どれほど恐ろしいことが待ち受けているのか、硅女でさえ知っているのだ。我に返ってその恐怖を受け止めることなど、彼女にはとてもできなかった。だからこそ逃げるように、一心不乱に鞭を振り続けた――

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