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第21話

 純潔の花、銀梅花(ぎんばいか)の、その綿毛のような花がほころび、辺りは甘いかおりに満ちていた。  滝壺を穿つ激しい水の音に、冷気は痛いほど肌をしめつける。韶華(しょうか)はじっと水の中を覗き込んでいたが、やがて頭をふった。 「……ここには、ないようだ」  森はしっとりと霧がわたり、草木は翠色(みどりいろ)に透きとおっていた。澄んだ鳥の声が高く響く。硅女(かくじょ)の力が、まだ森全体に及んでいるのをはっきりと感じ取れた。 「潜ってきます」  長衣を脱ぎ捨てた鶏明(けいめい)は言うと、すぐさま水の中に飛び込んだ。 「本当に、ここにはないんだよ」  のんびりと止める韶華の言葉も待たずにだ。  すぐさま泡が噴き上がって、鶏明が苛立った様子でぶはっと顔をだす。 「なんていったんです? 本当にない?」  鶏明は頭から滴る水を拭いあげていた。韶華は仕方がないなあといって手を差し出す。 「ないんだ。上っておいで。違うところを探そう」 「そういうことは、先に言ってください」 「言う前に、入っただろう」  凶悪で不吉な暦帳の行方を、韶華と鶏明は捜していた。  風神と入れ違いにやってきた陰氷(いんぴょう)の男は韶華に見て見ぬふりをされてから数日ものあいだ、門が開くのを辛抱強くまっていた。偶然鶏明に発見されて迎え入れられたのだが、頻繁に出入りしていた星郎(せいろう)が気づかないはずがない。けれど韶華も星郎も誰一人としてこの憐れな男を気にかけなかったのだ。  だからだろうか。額に青筋を浮かべて言い放ったのだ。秩序を乱すので早急に対処が必要だと。けれど誰もその不吉な暦帳に関わりたくないので、留守を預かるからどうぞご自分の手で是非回収を、と押しきられてしまった。回収すれば今回の妓楼や飯店での騒ぎはなかったことにするという。 「善性を磨くには、丁度いいんじゃないですか」  鶏明の白らかな眼差しに、断ろうとした韶華は果たして家をあけることになった。  硅女の屋敷跡から暦帳の行方を追おうとしているのである。 「見つかるとは、思えないな……」 「硅女と親交のある神を探れば、早いのでは」  韶華は濡れた岩畳の河岸を慎重に歩いていた。その後ろでは全身そぼ濡れた鶏明が長衣を脇に抱え、放った剣をつま先で蹴り上げた。パシッと空に掴んで帯に吊り下げる。ゆっくりと歩く韶華の後を追う。 「零落れた神の噂を、君は一人でも聞いた覚えがあるか?」 「硅女の他には、誰も知りません」  投獄の間に何もかもかわってしまっている。帥江(すいこう)の神女、灑女(さいじょ)の名さえ知らなかった韶華である。鶏明も同様に世情には疎い。 「さらには、陰氷も嫌がって触らない代物を、誰が持ちたがるだろうか……」 「なら逆に、誰に預けていたんですか?」  ちらりと、韶華は鶏明を気遣った。名前を出す直前、躊躇って声を落とす。 「……北神だ」  鶏明のすました顔が微妙に歪んだ。やはり、こちらにも北神という名前は禁句だな。韶華はひそかに苦笑う。 「とりあえず、彼に直接話しを聞いた方が早そうだ。君は星郎と留守番をしていてくれ」 「星郎と……?」  鶏明は険しい顔つきをぎょっとさせて足をとめる。 「あんな子ども、どうやって接しろと」 「適当に話をすればいい。すぐ戻る。それじゃ、頼んだよ」  鶏明と星郎の微妙な距離感を、韶華としてはなんとかしてやりたいと思っていたのだから、丁度良い機会が巡ってきたものだ。これが吉祥の力だろう。  へへ、と鶏明の背中を軽く叩いて、韶華はすぐさま足早に向かった。

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